フィギュアスケート・パック 








 さて。

 突然ですが。

 ウィンタースポーツの季節がやってまいりました。
 スキーにスケート・スノーボート。
 種目はたくさん御座いますが、中でもいっとう華やかなのは氷上の花・フィギュアスケート!
 ということで、『もし』鋼のキャラがフィギュアスケートの選手だったらどうなるか。
 ちょっと想像してみましょう。
 まずは設定(週刊誌特集風)

1 エドワード・エルリック。

 若干12歳でグランプリ・ファイナルに食い込んできた驚異の天才スケーター。
 持ち味は2種の4回転・3回転・3回転のコンビネーションジャンプとエッジワークの技術力。
 まるで精密機械のようだと定評があるが、機械にはあの人の心を揺り動かす素晴らしい演技は出来ようはずもない。彼の精巧な技術は、日々の基礎によって磨きぬかれた成果である。
 シニアデビューを飾ったプログラムは『オズの魔法使い』。次年度は『ドンキホーテ』。
 よく伸びる表情豊かな手足の演技の軽妙さと、ずば抜けたスケート能力に『すごい新人が現れた!』と関係者を驚嘆させた。
 昨年度のフリープログラム。『ボレロ』で出場をしたグランプリシリーズを悉く制覇していったことはまだ記憶に新しい。そしてその勢いは今年も健在。
 今、最も注目を集める選手のひとりである。


2 アルフォンス・エルリック。

 その苗字に聞き覚えがあるものも多いだろう。
 アルフォンス・エルリックの一つ違いの実兄、エドワード・エルリックはあまりに有名。
 ジュニアの世界で、その兄より早く世界一の栄冠を得た若き俊英でもある。
 昨年よりシニアの世界に殴り込みをかけ、6大会のうちのほとんどを兄のエドワードともに1位2位を独占した。その『エルリック・ショック』はフィギュアスケート界に一大ムーブメントを巻き起こした。
 昨年のプログラムは『アーサー王』より白鳥の騎士ランスロット。
 それに相応しい気品と、清潔感漂う演技で女性ファンを魅了した。
 世界で一番『速くうつくしいスピン』はファンならずとも一見の価値あり。


3 ロイ・マスタング。

 29歳(今年で30歳)の大ベテラン。
 その演技は円熟の極みである。
 氏のステップワークの華麗さに、盛大な手拍子が巻き起こる競技場はコンサート会場と化すこともしばしば。
 派手な印象ばかり先行するロイ・マスタング氏はしかし新ジャッジ・システムの移行に最も適合した選手であり、定められた8つのエレメント(要素)を完璧にこなしてくる実力者である。
 彼の『オペラ座の怪人』のファントムは、絶後の嵌まり役。苦悩の天才芸術家の叶わぬ恋に多くの女性が溜め息をついた。
 ロマンチズム溢れる演技は、ロイの世界を構築している。


4 ランファン・リン組(フィギュアスケート・ペア)

 その演技は豪放にして磊落。高いリフトに早いスピン。
 男性のリンは一見細身に見えるがその実、非常に男性の力が必要な難易度の高いポジションもいとも容易くこなすパワーファイターである。
 新採点方式の移行により選手層の入れ替わりが加速された観もあるが、その並外れた身体能力とスピード感溢れるバイタリティは、見事の一言。末頼もしい15歳。
 シングルで活躍していたランファン選手はもともと強い足首と基礎体力が特に優れた選手だったが、真の意味で才能が開花したのは鳳凰のつがいを得てからといっても過言ではない。
 エドワード・エルリックの台頭に始まった、この年代に揃った珠玉たちの研磨は、視線をそらさせない期待感に満ちている。
 昨年度のプログラムは『三国志』より周瑜と小喬。


5 イズミ・カーティス

 エルリック兄弟の恩師。
 女性では史上初トリプル・アクセルを武器にした伝説のスケーター。
 足を壊して選手生活から引退。それと同時に婚約者のシグ・カーティス氏と結婚。多くの男性ファンを涙させた。


 …なんちゃって。プー。









 鋼住人がフィギュアスケート選手だったら 1



「うっはー。嫌味!」
 しょっぱなから決めてきたのは、四回転・三回転・三回転のコンビネーションジャンプ。
「あんたの兄さん、人間の範疇を超えているにも程があるわ」
 観客は無邪気に喜んでいるけど、あれって凄いことなんだから。
 簡単だと思ってもらっちゃこまるわと、モニターに毒づくパニーニャにアルフォンスはおっとり笑って同意した。
「兄さんは派手好みだからね」

 兄の今年のショートプログラムのテーマは『海賊』だ。
 アルフォンスはコミカルな動作を得意とするあの兄なら、ピーターパンのほうが似合っていると密かに思ったのだけれど。本人曰く「毎年、似たようなことやってると飽きるだろ?」とのこと。天性のエンターティナーは今年も健在だ。
 広いリンクがいっそ狭く感じてしまう。舞台はエドワード一人の独壇場だ。しかもアクション性を加味した演技は見ごたえたっぷりで、プログラムが派手なら、格好も派手。
 裾に切れ込みが入る、上着は天狼鷲。
 貴族的なシャツドレスを留めるのは、偽白蝶貝のカメオのブローチ。
 黒地のズボンは金銀刺繍のラインが入る。…これは足を伸ばした姿勢がうつくしいほどに、よく映えるのだ。
 いっそ露悪的なほど豪華絢爛たる衣装は、存在自体が高インパクトなエドワードによく似合った。
 調子に乗るから言わないが、我が兄ながらいかにも粋で颯爽としている。
「……じゃあ、あの服はエドのセンス?」
「ボクたちの衣装はお針子希望の幼馴染みと、うちの師匠が用意してくれてるけど」
「そういや去年のアルの服も度肝を抜かれたっけ」
 アルフォンスの去年の服はランスロット。その辺はあまり触れないでくれるとありがたい。
 普通の男が着れば噴飯もののきらきらでひらひらでしゃらしゃらなお洋服は、兄に大爆笑されたトラウマがある。
(あれを似合っているって褒められてもねえ)
 アルフォンスは咳払いして話題を目の前の兄に戻した。
「…これでエキシビジョン用の衣装には羽飾りが付いた舟形帽子と、翻るマントのオプションがつくんだよあの格好。……あとアイパッチとサーベルも」
 どうも師匠は弟子を着飾って楽しむ道楽があるようだ。ほんの少し恥ずかしい。

「今のスピン、キレイだね。…あれ? エドは今年、両足のビールマンはやらないの?」
 後ろ足を肩より高く持ち上げた格好でスケート靴のエッジを持ち、回転する。それがビールマン・スピンだ。
 単独でも難しい技だが、それも足を持ち替えて両方となると…出来るものは数が少なく配点も高い。
 パニーニャの疑問も最もだ。
「審査方法が変わって、ビールマンやる人が増えたから。兄さんは皆と同じようなプログラム構成になるのは避けたいって」
「レベル4を狙わなくっても勝てるって? ゼイタクね」
「まあ、そうだけど」
 パニーニャから批難の響きを感じ取って、アルフォンスは語尾を濁した。
 彼女の気持ちもわからなくない。アルフォンスは誰よりも兄の傍にいた。
 それで胸に刺さる嫉妬を知らずに育たないなんて、そんなの嘘だ。
 重力を感じさせないジャンプは、より攻撃的に。
 ピンと伸びた指先は、鋼の意思で空を切り裂いて。
 正確な要素を要求されるショートプログラムで、ここまで『物語』を構築するスケーターをアルフォンスは兄以外知らない。
 エドワード・エルリックというスケーターは傲慢かつ贅沢で、またそれが許されてしまう天才だった。

「……いつも思うけど、エドはリンクのなかじゃ別人だね」
「うん。詐欺だってウィンリイにもよく言われる」
 普段が普段なだけに否定は出来ない。
 アルフォンスの視線の先でエドワードはプログラム後半部になっての三回転半・三回転のコンビネーションジャンプを、背に羽根が生えていそうな軽やかさで飛んでいる。
 そのランディングのしなやかなことときたら、他者の追随を許さない華やかさだ。

「うー……あそこまで簡単に飛ばれると……転べー・転べー…って念を送りたくなるね」
(男子は本っ当にかわいそう)
 パニーニャはつい思ってしまう。自分だったらそんなのヤダ。
 あのモンスターとこの先戦っていかなくちゃいけないなんて、想像するだけでゾッとする。
 女子選手ではほんの一握りの4回転ジャンプの武器を持つパニーニャの目からしても、エドワードは格が違う。
「パニーニャ」
「あああああ、わかってる!わかっているけど腹がたつのよう!」
 パニーニャは身悶える。
 競技中の選手の不調を願うのは、同じ選手…でなくても、褒められたことではない。
 ただ、ほんのちょっぴり愚痴をこぼしたくなっただけだ。
「いや、兄さんも練習中は転ぶから」
 まあ、落ち着いてとアルフォンスはパタパタ手を振る。
「…転ぶの? ……そりゃあ見てみたいわ。っていうか、あいつが転んだの見たことないよ」
 サルも木から落ちるのだから、あのエドワードだってジャンプの失敗で転ぶこともあるとは思うけど。
「トレーニングは地味で真面目に積むひとだけど、それ以上に本番に強いんだよ兄さんって。ここ一番は必ず決めるし」
 パニーニャはアルフォンスの横顔を見た。
 リンクの中央で。呼吸をするのも忘れそうな視線が集まるなか。
 エドワードは見えないマントを振り払う仕草でフィニッシュを決める。
 会場からは万雷の拍手。
 リンクに投げ込まれる花は年々増える一方だ。

 ちえ。

(あーあ、嬉しそうな顔しちゃって。…仕方ないなあ、このブラコンは)
 アルフォンスと話していると、毒気を抜かれる。
 ライバルがいい演技をしたのがそんなに嬉しいのか。
 ……。
 ……嬉しいんだろうな、この顔は。
 その建設的な精神は、是非とも見習いたいものだ。

「強敵だね」
「うん。でも負けるつもりはないから」
(おっと!)
 言い切った、その目に浮かぶ光の強いこと。
 パニーニャはヒュウと口笛を吹く。
「格好いいね!男の子!」
 こんな気負いは悪くない。どころかはっきり格好イイ。
「女の子も格好いいよ。パニーニャのプログラム。個性的で面白かった」
 パニーニャは気まずさを隠して首筋に手をやる。
 アルフォンスに褒められるには課題の残る演技だった。
 胸に湧き出るモヤモヤに、口先を尖らして言い訳をしてみる。
「……まー。古典のがジャッジ受けがいいってわかってるんだけどね。自分の持ち味殺して高得点を目指すのは、そうしたほうがいいって分かっているけど納得いかないし」
「没個性の1位より、果敢で独創的な8位のほうがボクは好きだな」
 アルフォンスはお得な人間だ。他の誰が言っても嫌味にしか聞こえない言葉を、とてもやさしく話すから、つい乗せられそうになってしまう。

 自分の好きなことをやって、それに惹きこむエドワードが妬ましい。
 そりゃ、文句なしに実力あるのもわかってるし…その力は練習によって積み重ねられてきたものっていうのも承知はしているけども。
(でもなー。素直に憧れるには性格アレだしなー)
 その考えが顔に出たのか釘を挿された。

「悩む前に、パニーニャは。あとはウッカリ転んでも立ち直る精神力と、表現力の充実が課題だね」
 あ、痛っ。
 アルフォンスはお綺麗な笑顔で手厳しい。
(たしかにコケてからは上手く立て直せなかったけど!)
「アルの鬼」
 恨めしく睨みつけても、アルフォンスに堪える様子はまったくない。
「競技前のボクのところでクダを巻く、パニーニャにそれを言われてもね」
「そりゃそうだ!」

 少女の弾ける笑顔から愛嬌がこぼれる。
 試合前のコンセートレーション。
 アルフォンスは一人で集中するよりも、誰かと話していたいほうだ。それを知って付き合ってくれるパニーニャは気のいい友人。好意に甘えて、こき下ろさせてもらう。
 アルフォンスの走番は兄のつぎ。
 もうすぐ出番だ。

 会場にアナウンスが流れる。…と、場内のどよめき。
 どうやら、兄はパーソナル・ベストを更新したらしい。
(そうこなくちゃ!)
 緊張もしている。でもそれ以上に胸が躍る。
「じゃ、行って来る」
 馴染んだスケート靴の感触をトントンっと確かめ、アルフォンスはリンクに向かう。

 アルフォンスのショートプログラムは、かの天才ウォルフガング・アマデウス・モーツアルトが最も愛したオペラ『魔笛』。

 さあ。
 2分40秒の、夢をお見せいたしましょう。


「海賊王に負けないくらい、格好いいとこみせてよ!」
 グッジョブ!
 パニーニャの高く掲げたサインをアルフォンスはそっくりなぞった。












 鋼住人がフィギュアスケート選手だったら 2




 解説のお仕事 1




『皆さん、こんばんは。アナウンサーのデニー・ブロッシュです。白熱した大会も4日目を迎え、総ての競技が終了いたしました。最終日の今日、エキシビジョンの解説は、2昨年前のシーズンより競技者から転向し、プロのスケーターとして、ご活躍中のマリア・ロスさんにおいでいただいています』
『こんばんは、マリアです』

(おー!)
(マリアちゃーん!)
場内モニターに一瞬だけ映った放送席の姿に、野太い男たちの声援が飛ぶ。
 デニー・ブロッシュはそれをさりげなく受け流して、立て板に水と続ける。

『男子シングルでは、先年度のグランプリ・ファイナルを制したエドワード・エルリックが驚異的な精神力を見せました。そして2冠の栄誉をもぎ取ったわけですが、いやあ、素晴らしかったですよね?』
『そうですね。ショートプログラムも優れたものでしたが、彼のフリーの演技は圧巻でした。今年の大会は熟練の層の手妻と、若手の躍進が特に目を引いたと思います』

 ここで場内アナウンスがラッセル・トリンガムの名前をコールした。
 選手がスケートリンクの中央へ滑っていく間に、ブロッシュは暗記しているはずの選手のプロフィールにざっと目を落とし、確認する。

『さあ。今年、シニアデビューを飾った男子シングル第4位。ラッセル・トリンガムの登場です。初出場で4位とは大健闘!しかもまだ14歳です!エドワード・エルリックから続く若手台頭の波はまだまだ途切れそうもありません。彼は昨年度のジュニア選手権では優勝という素晴らしい成績を収めました。これからが非常に楽しみな選手です。…曲はベートーヴェン・チェロ・ソナタ第三番イ長調です』

 チェロの朗々と歌うような音色に乗って、氷上のラッセルは踊り始める。
 解説のマリア・ロスはしっとりとよそ行きの声で、注釈を入れる。
『彼は長い手足を上手に使った表現が得意で、ロマンスの香りを漂わせる演技をする選手です。…今のジャンプは、トリプル・サルコーですね。上背がありますので、ジャンプが成功すると非常に映えます』
『ショートプログラムでは転倒してしまった痛恨のサルコーでしたが、本人としてみればこれが演技中だったら…!と、……思うんでしょうねえマリアさん?』
 デニー・ブロッシュとマリア・ロスが放送席でのコンビを組んで2年目だ。
 ブロッシュが話題を振ると、マリアは阿吽の呼吸で受け答えする。
『それは、やっぱり思いますね。…競技を終えてお祭のエキシビジョンになると、選手はものすごっく、楽になるんですよ。身体は疲れきってクタクタなんですが、こう…精神は盛り上がっていて…。キャメルスピン…から独特のクロスフットスピン。滑らかですね、綺麗です』
『ラッセル選手は正統派的な、ロマンチックな演技をしますよね?』
『はい、バレエのレッスンは相当積んできていると思いますよ。昨年に比べ格段と、表現の質が良くなりました』

 ここでブロッシュはマイクのから離れた場所で、こっそりマリアに耳打ちする。
(彼って不運ですよね、マリアさん)
(なあに?)
(バッチリ同年代じゃないですか彼!あのエドワードくん、アルフォンスくんと!)
 ああ。
 マリアは遠い目をした。
 解説で話したことは嘘じゃない。ラッセルはこれからスケート競技会を背負って立つ人材だとは思う。

 しかし、あの怪物兄弟を蹴散らして1位を獲得するのは……かなりどころじゃなく難しい。
 おまけに今年はベテラン・ロイ・マスタングが怪我から復調してきたので、この三人で入賞のワクをガッチリ独占しているのだ。
『うわあ、マリアさん!なんだか、ちっさな子たちが頑張ってますよ!』と、兄弟をつい贔屓してしまうブロッシュの目から見ても……やはりそう見えるのか。

(…でも、彼らも長い競技生活中、試合に出れないってこともあるでしょう?)
 辛うじてひねり出した軽口も一刀両断にバッサリ斬られる。
(そんな時、勝っても『ああ、あいつらが出なかったからな』とか言われちゃうじゃないですかー!可哀想ですよ!努力しているのに報われないなんて!)
 氷上の白薔薇。リザ・ホークアイと時期が重なったマリアには、ブロッシュが言わんとするところはよーくわかる。
 目標は高ければ高いほど燃えるものだが、時には道の険しさに、溜め息だってつきたくなるものだ。

(…せめて、気合を入れて応援をしてあげましょう)
(ガッテン承知です)

『演技を終えたラッセル・トリンガム。あっ。満面の笑顔ですねー!』
『ええ、思わず声を失うような。見蕩れてしまう演技でしたね!』
『これは今後の試合への自信になりますよ!』
『会場からも沢山の拍手が贈られます!』


 選手のフォローと応援も、解説とアナウンサーのお仕事のひとつ。








 鋼住人がフィギュアスケート選手だったら 2




 解説のお仕事 2




『ロイ・マスタングー…。アメストリス』

 焔の名前がコールされると、割れるばかりの拍手が響いた。
 観客の膨らみきった期待に迎えられ、ロイ・マスタングは悠然とリンクの上に立つ。

『さあ、出てきましたロイ・マスタング。シングル2位。去年は怪我に泣かされましたが、今年は見事に復調しました。30歳の大ベテラン。堂々と登場です』
『彼の華麗なステップワークは必見ですよ』
(キャー!)
(ロイさまー!)
『あっ。黄色い歓声が上がってますねー!女性ファンが非常に多いのもこの人です。…曲はお馴染み『オペラ座の怪人』』

 エキシビジョンは競技ではない。よって小道具の使用も認められる。
 顔の右上半分を白い仮面で覆ったマスタングは、漆黒の燕尾服を纏い、闇のような佇まいだ。
 ドラマティカルな音楽と共に怪人の哄笑が響き渡り、帝王のようなファントムがスケートリンクに降臨する。

『マスタング選手のオペラ座の怪人は3年前のフリープログラムの演目でしたが、非っ常に反響がありましたねー。旧ジャッジ・システムで6.0を軒並み叩き出して、そう、車のCMにもなりました。こうしてファンの熱い要望に答え、エキシビジョンで演じてくれるのは嬉しいですね、マリアさん』
『そうですね、彼はファンを大事にしますよね』

 ここでブロッシュは一息つき、簡単に曲の紀要を説明した。

『狂気の天才芸術家ファントムは可憐な歌姫クリスティーヌに恋をします。…報われぬ愛。…『地獄の業火に焼かれながら、…それでも天国に憧れる』…。あまりに有名な一節を体現したいと彼は言います』

 姿のないクリスティーヌの手に、口付けを捧げるファントム。
 会場が息を飲んだその一瞬。

『さあ、ここからが見せ場です!ロイ・マスタングの真骨頂、ストレートライン・ステップシークエンス。思う存分に酔いしれてください!』
『複雑なエッジの使い分け。ステップの難易度もそうですが、あのスピードで品を失わず、かつ情熱的に。…何度見ても素晴らしいです』

 ファントムが仮面に手を掛ける。
 仮面の下には人目を引く赤い傷跡。
 仮面を投げ捨てると同時にトリプル・ルッツの体制に入る。

『いやあ、格好いいファントムですよね。クリスティーヌも彼が相手ならその手を取ってしまったこと間違いありません』
 アナウンサーとしては多少ミーハーなコメントもエキシビジョンでは許される。マリアもそれに追随した。
『彼のファントムのメイクは一条の傷跡なんですよね。女性の目から見ると、なんとも艶めかしいというか…』
『試合では高速で魅せてくれたスピンですが、回転を落とすと実に優雅な印象ですねえ』
『競技では難易度の高い技でポイントを稼がなくてはいけませんから。…ウィンドミル(風車)スピンから足変えのコンビネーションスピン。…うっとりします』

 余韻をもってスピンを終え。
 後ろから誰かに呼ばれたような仕草で演技を締めくくったロイ・マスタングのリンクには花が降るように投げ込まれる。
 このまま花屋が開けてしまいそうな勢いだ。

『ああ…審査席側から花を投げ入れないで下さい……って、彼の試合の時はアナウンスが流れましたね。そう言えば』
 審査員の頭にマスタング宛の花束がガンガンぶつかって、ブロッシュなどは印象悪くなるんじゃと余計な心配をしてしまったぐらいだ。
『やはり凄い人気ですね。彼がリンクを去っても催促の拍手が鳴り止みません。…ああ、これはひょっとすると』
『出てきました!アンコールに応えて再度登場です。期待を裏切りません、ロイ・マスタング!…あ、両手を大きく叩く仕草で、手拍子を要求してますよ』
『観客を乗せるのが上手いんですよねー。競技場はもう、コンサート会場!…やはり彼が出ると盛り上がります!』
『さあ、もう一度。要望の多いストレートラインのステップです!』



(選手には、やはり気持ちよく滑ってもらいたいもの)
(いい演技をしたら、力の限り褒め称えましょう)

 これも解説の大事なお仕事。







 鋼住人がフィギュアスケート選手だったら 2




 解説のお仕事 3




 そんでもって真打登場。

『会場の皆さんに嬉しいお知らせです。男子シングル1位エドワード・エルリック選手と、3位のアルフォンス・エルリック選手。なんとエキシビジョンでは、2人で踊ってくれるそうです!』
(拍手!)

『これはお祭ならではの楽しい試みですね』
『ああ、やっぱり珍しいことなんでしょうか』
『男女シングルの仲のいい選手同士がエキシビジョンで踊った前例はあります。…でも、ペアとシングルでは演技の内容も違いますから、珍しいといえばそうですね』
 第一彼らは、2人とも男だ。
『それは、同じコーチについて学んでいるひとつ違いの兄弟ならではといったところでしょうか。エドワード選手もアルフォンス選手も、先立って行なわれたグランプリシリーズで他のエキシビジョンの演目を披露していましたから……今シーズン2つ目のお祭用のプログラムということになります。ファンは彼らの色々な演技が見られて嬉しいですよね』

 エルリック兄弟がリンクに入り、2人の名前がコールされるとワッと会場が沸いた。
 白いドレスシャツに兄は赤、弟は緑のリボンタイ。
 ズボンはもちろん履いてはいるが…リボンと同色の腰巻きタイプのエプロンが、まるでマイクロミニのスカートのようだ。

『あら、可愛い』
『(マリアさん…一瞬、素になりました?)…。』
『…。(…う、ごめん)』
『(立ち直って)そうですねえ。2人ともお揃いで。少年らしい溌剌とした格好で出てきました。最近は2人とも大人っぽい演技をするようになりましたから、衣装もそれに合わせていたので、かえって新鮮ですね。曲はルロイ・アンダーソン作曲『トランペット吹きの休日』です』

 リンクの端と端に兄弟がスタートラインを決めると、軽快なファンファーレが鳴り響く。
 まずはスピーディなサーペンタインステップ。
 大きなカーブで対称を描き蛇行しながら2人はリンクの中央に近づいていく。

『出会い頭の変形ペア・スピン。この形だとエドワード選手がどうやらリードを取るよう…では、ないみたいですね』

 歯切れのいいスピンから曲調に合わせて、弟が兄を空中にほおり投げるツイストリフト。
 そのままオーバヘッドリフトに移行する。いきなり大技の連発だ。

『持ち上げられたエドワード選手は大柄なほうではありませんが、細身に見えて力持ちですねアルフォンス選手は』
『そうですねえ。…でも、リフトは…男女のペアがやるから雰囲気があるんであって、男2人のペアだと格闘技…か、そのまま雑技になるんですね……』

 颯爽と鮮やかなリフト位置の入れ替えは、迷いがなくて恐ろしく早い。だから余計に軽業っぽい印象だ。
 そして高いリフトの体勢から、アルフォンスは兄を空中に投げ出した。
 うつくしい放物線を描くスロージャンプ。

『ランファン・リン組のお株を奪うような滞空時間の長―いジャンプ!……ああ。エドワード選手、アルフォンス選手も。めちゃくちゃ笑顔ですねー。活き活きとして楽しそうです』

(なんて可愛くない)
 いや、笑顔は年相応でとっても可愛い。思わず頭を撫でたいくらいだ。
 しかしやってることときたら、あどけなさとか可愛げとかそんな単語から100万光年は離れている。

 マリアは頭が痛くなる。
 規格外だとは感じていたが、これほどまでとは思ってなかった。
 シングルの選手は転向でもしない限り、ペア用の練習をしたりしない。何故ならリフトもペアのスピンもシングルの選手には必要ないからだ。

 いくら2人で踊るとはいっても、競技に通用しそうなペアの内容に仕上げて来るなど……なんて非常識な。
(なにやってるのよ、あの兄弟はっ)

『やっぱり練習してきているんでしょうねー』
『かなり時間を費やしていると思いますよ。2人ともペアの経歴は白紙ですから』
 兄弟の演技は男性パートと女性パートが交互に交じり合う、観ているものには複雑なものだ。

 アルフォンスの膝に、エドワードの片手が絡む。
 テンポのいい音楽そのままに、勢いに乗って。

『あー…っと、氷面すれすれのデススパイラル。アルフォンス選手は身体が柔らかいですから、空中での姿勢がしなやかで綺麗ですねえ。兄弟の息もぴったり。フィギュアのペアやアイスダンスの選手は、恋人か夫婦、あとは男女の兄弟などが多いのですが…それが必要になってくるという理由がわかります』

 いや、あれは人外だから。
 他のシングルの選手にはムリだから。
 無邪気に感嘆するブロッシュに突っ込むこともできず(全国ネットで恥を晒したくない)、マリアは密かにストレスを溜めた。



(たとえどんな理不尽を真当たりにしても、解説者は選手を責めたり貶してはいけません)
(叶う限り、好意的な視点で場に臨みましょう)

 それが良い解説とアナウンサーのコツです。







 鋼の住人がフィギュア・スケートの選手だったら3




 姉弟でペアの場合。




 エルリック姉弟。今年のプログラムは『カルメン』だ。

「あいつら、あんな薄着でよくやるわ…」
 そりゃ、作ったのは私だけど。
 防寒対策に着膨れしたウィンリイは、寒む寒むと悴む両手を擦り合わせた。

『恋は野の鳥』は、こう歌う。
 そちらが嫌でも好きになる。わたしが好いたら用心しな、と。
 歌詞のある曲は競技では使えない。だからリンクに流れるのは楽器のみの演奏だったが、誰もが一度は耳にしたことがある歌だ。
 その情熱的なメロディーどおり。スケートリンクの上の幼馴染みは、甘い毒を滴らせる妖婦の色香を放っている。

 アルフォンス演じるドン・ホセの、首に絡む腕の白さ。後れ毛の金色。
 その目千両の流し目は、女の子宮さえ疼かせる。

 色なら紅。
 花なら薔薇。
 惚れられたのなら身の破滅。
 エドワードの『カルメン』は、棘を持つからこそうつくしい、そんな女だ。

 プログラムの最後では、ホセに刺し殺されたカルメンが、氷上の上で崩れ落ちる。

 音楽が途切れる否や、エドワードは跳ね起きた。
 がっしりと、アルフォンスの胸倉を掴み、吠え立てる。
「だーかーらー。そんなお上品なホセがいるか!ホセは伍長だぞ!伍長!流浪の騎士や王子さまじゃないんだぞ!」
 お前がやりたいっていうからカルメンにしたのに!
 怒鳴るエドワードと、
「だって、姉さんは荷物じゃないんだから!そう乱雑にリフトなんて出来ないよ!」
 そう主張するアルフォンス。

 いつもながらの光景だったが、本番用の衣装を着ての最終チェックで、まだ揉めているのは珍しい。
 ウィンリイは外から声を張り上げる。
「そろそろ時間よっ、上がってきなさーい!」
 選手がリンクで練習できるのは、朝と夜だけ。昼間はお客さんが使っている。
「もう、そんな時間か」
 チッと舌打ちしたエドワードはそれでも素直に上がってきた。
 そして歯に衣を着せない(つまりは信用している)幼馴染みに問いかける。
「ウィンリイ。どう思う? こいつのホセ」
「そうねえ。真面目で無骨な男っていうには優雅すぎるけど。嫌いじゃないわよ、チョロそうで」
「チョロ…」
 あまりに直球な幼馴染みに、アルフォンスは絶句する。
「エドの奔放なカルメンに、僕ちゃん振り回されてますーって感じで……ある意味、女の本懐よね。そういう解釈で踊ってたんじゃないの? ……ちょっとアル、ホールドの姿勢とってみて。…うーん。やっぱり肩周りは補正しなくちゃ駄目だわ」
 エドワードの問いに答えながらも、ウィンリイは衣装チェックに余念がない。
 ウィンリイの将来の夢はデザイナーだ。
 姉弟の演技は世界の至るところで放映される。大きな大会のたびに何の経歴もない(あるのは祖母の七光りだけだ)自分に衣装を頼んでくれる友人たちの、その期待以上のものを作らねばならないとウィンリイは自負している。
「あー。そっか。それもいいな…」
 毒婦なら、初心な男を振り回してナンボだろう。
 カバーをつけたスケート靴を脱ぎながら、エドワードはそれもアリかと納得した。

 納得できないのはアルフォンスだ。
 小柄な姉の背中に、ぎゅうぎゅうとしがみつく。
「待って姉さん!」
「えー?」
 フィギュアスケートのペアなんて、なまじの夫婦や恋人よりも密着指数が高いものだから姉を抱きこむアルフォンスの行動には迷いがないし、エドワード側にもテレがない。
(ったく、こいつらは。…他人の振りをしちゃおうかしら)
 ジロジロとした視線を浴びて、その場で恥ずかしいのはウィンリイだけだ。
「ボク、頑張るから!」
 このまま見捨てないで!
 アルフォンスは必死だった。
 フギュアスケート・ペアの男なんて添え物(もしくは黒子)に過ぎないとは知っていても、幼馴染みや姉の目から見て『簡単そうな男』を演じるのは、ものすごーく嫌だ。
 ふっ。
 エドワードの唇には慈愛に満ちた微笑が浮かぶ。
「……うん。だってオレ、ほら。荷物のようポンポン投げられるのイヤだしさー。やっぱりお前の持ち味って天然貴公子っぽいところだと思うし」

「さっきと正反対の意見をどうもありがとう!でもさ、今年は姉さんも悪女なんだし、ボクだって違う演出をしたほうがこれから演技の幅が広がるよね!うん、そうだよ!そうに違いない!そうじゃなきゃヤダ!」



 競技場では、オペラグラスと膝掛け・カイロは標準装備。
 カメラは当然持ち込まない。
 選手の邪魔する不貞のやからは、係員より先に会場のファンに抓みだされる。これが今日の常識だ。

「今年のエドワード・エルリック。色っぽかったねーv」
「ねーv 去年は男装の麗人的に格好良かったけど、今年は違った意味で格好イイよね!すっごい美人だった!……でさあ、アルくんは……アルフォンスさまに成長あそばしてたよね?」
「そう、アルフォンスさまだった!モノにならない女は殺してしまえって、…ビバ!鬼畜!」
「ブラボー!鬼畜!」



 そう女性ファンをさざめかせた、若きアルフォンスくんの苦労は実はあんまりしられていない。
 …こともない。

「よう、アルフォンス。今年は随分頑張ってたな」
「今日は、ブレダさん。そんなことはないですよ(精一杯の虚栄心)」

「おや、アルフォンスくん。よいプログラムだったよ。あの鋼鉄のレディ相手に苦労したね」
「いえいえ、そんなことありませんよ。マスタングさん。ところで去年の怪我の理由は女性に刺されたってあの噂、本当ですか?」

「努力したんですね(ファルマン)」
「凄いよ、アルくん。偉かったね(フェリー)」
「あの大将相手によくぞここまで…!お前こそ男の中の男だ(ハボック)」

 …なんで皆さんそんな同情的ですか。
 がっくりとヘコたれたアルフォンスに止めを刺してくれたのは、若くてきれいなお姉さんだった。

「去年のエドワードくんのリフト。あれが見物…いえ、見事だったからかしらね(リザ)」

 小さくて可憐な女の子が男の子をひょいひょいと持ち上げる姿に、会場は大いに笑…盛り上がったし。
 白薔薇に例えられる清雅な美貌が、ほろりと崩れるさまに。

 ああ、このネタはこの先何年言われるんだろうか。
 アルフォンスはちょっぴりグレたくなった。










 鋼の住人がフィギュア・スケートの選手だったら4




 兄妹でアイスダンススケーターの場合。




「ごめん、兄さん、ボクが悪かったよ…」
 だからそんなに無理しないで。
「…っ!」
 エドワードは一度覚悟を固めたら貫き通す鋼の意志を持っている。
 しかし今日ばかりは、その決意が大きく揺らいだ。
 あと一歩。
 危ういところで踏み留まる。

「いや、大丈夫だ。この半年で大分慣れたっ…!」
(そうは見えないけど…)
 強がる兄は、いたるところにスジが入ったとってもユカイな顔をしている。妹的にはせっかく目に楽しい顔をしているのだから、そういう表情は止めて欲しいのだけど。

 ビールジョッキ一杯分の牛乳vsエドワード・エルリック。
 ここ半年、恒例行事となった毎朝の席の勝負は、いつも一方的に兄の分が悪い。
 特に覚悟を決めて一気に挑むまでの、試合前でもない緊張感は、朝の爽やかな雰囲気を確実に台無しにしている。
 アルフォンスだって好き嫌いのひとつやふたつ、みっつやよっつはあるし、兄を苛めるネタに牛乳を使ったことは沢山あるけど、眉間に懊悩のシワを刻ませるほど嫌なものをこう毎日毎日、飲ませたがるサドっ気はない。
(失敗したなあ)
 アルフォンスはコリコリと、こめかみの辺りを掻いてみる。
 あれがここまで兄に影響を与えるとは思ってなかったのだ。


 時は去年。
 演目は、そう『椿姫』だった。
 先輩スケーターの素晴らしい演技に感激して、いつかあんなのやりたいねって言ったのは当時のアルフォンスだ。

 その時は兄妹もまだ子供子供していて、どんなに気張っても情緒的なプログラムは似合わなかった。
 未熟な体躯にあどけない顔立ち。そんなんで色気を追求しても、お笑いにしかならなかっただろう。
 だから飛び切り快活な演目を用意した。
 童話『ヘンデルとグレーテル』の世界観を借りた、勇敢な少年と健気な少女の冒険活劇。
 今この時の自分たちにしか出来ない演技をしようというその目論見は当たって(アイスダンスに十台半ば以下の選手が出てくる珍しさも、きっとあった)会場からは拍手喝采の嵐を受け取った。
 それはそれで充足感はあったけど……氷上のロマンチックはやはり別格。乙女永遠の憧れだ。

 伸びた姿勢にしなやかな足腰。
 それでいて指の演技には薫風さえも纏うような。
 初めて出た世界大会で、そんな力強くも優雅な先輩たちを間近で見て。少し…いや、かなり、はっちゃけていたかもしれない。

『いいねえ、ステキだねえ。格好いいねえ』
 はしゃぐ妹に兄は苦笑していたが。
『うわあ、高いリフト!あれぐらいの高みから見下ろすと世界も変わって見えるんだろうね』
 の一言に、氷像のように固まってしまった。
 …その日の競技は終わっていて、本当に良かった。

 もともとアイスダンスを滑るにはエドワードは小柄すぎた。相方の女性(妹)よりもほんの少しだけ背が低い男性パートナーというのは…おそらく前代未聞じゃなかろうか。
 誰に言われずとも本人が一番気にしているところだろう。
 そんな兄の男心を無邪気にメガトンハンマーで打ち砕いてしまった妹の罪は大きい。
 やっと牛乳を飲むようになったエドワードに周囲もはじめはいいようにからかっていたが、三ヶ月で10センチという例もザラではない成長期(の筈)なのに、地道でいて辛い努力の成果が殆ど発揮されないまま半年というのは…少しばかり哀れな話だ。

「このままオレの背が伸びなかったら…お前、シングルに転向するか?」
 どんよりと雨雲を背負うエドワードの声は、滅法、暗い。
 見栄えの問題もあるが、女性をリフトするのに体格というのは、どうしても必要になってくる。
 妹はすくすくと出るところは出始めているというのに(それどころかスケート選手には珍しいボインちゃんだというのに!)なんていうことだろう。

 アルフォンスはそんな兄の手(牛乳・イン・ビールジョッキを持ったままの)を両手で握る。
「転向しないし、他の人とペアも組まない。……兄さんはきっと大器晩成なんだよ。たしか…父さんも背が高い人だったらしいし、努力すれば、あとは時間が解決してくれるよ」
「アルフォンスっ」
「兄さん」

 世界は2人の為にあるの。

 …まあそういった、うつくしい兄妹愛だ。このままで話が終われば。


「心配しないで兄さん!ほぼ同じ身長って…考え方によっては武器にもなるよね? だから、今年は白鳥の湖にしよう」
 アルフォンスはそう、にっこり微笑む。

「白鳥の湖?」
 それはスケート競技には最もポピュラーな選曲のひとつだけど。
(あ、すっごく嫌な感じ)
 エドワードの妖気アンテナがピコンと反応した。
「兄さんがオディットで、ボクがオディール。……別に逆でもいいけど」
(…)
 予感的中。
 心構えが出来ていたエドワードは、慌てず騒がず提言する。

「…まあ、まて妹よ。今はまだ夏だ。プログラムを組み立てるのはもう少し先だろう。それまでに身長が急に伸びることもあるだろうし」
「うーん。そうだねえ」
 エドワードが待ったをかけると、アルフォンスはそれもそうだと素直に頷く。
 同じほどの体格に身長体重だから対比のシークエンスが面白そうなのに、兄が窮鼠の根性見せて背を伸ばしてきたら台無しだ。

「…じゃ、秋までに伸びなかったらボクの希望通り白鳥の湖で」
 ああ、どんな衣装にするかウィンリイと相談しなくちゃ。
 羽根をたくさんつけた兄さん。楽しみだなーv
 ウキウキと冷めかけのベーコンエッグにかぶりつく妹の姿にかけて固く誓う。

(明日からカルシウム・マグネシウム摂取量2倍ー!)



 そして冬。
 スケート・シーズンが到来して。


 胸元と手首には羽根飾り。首筋を詰めたノースリーブは、ボディスーツの形状だ。衣装は兄妹、全くの同型。
 しかし色は対比の白と黒。
 可憐で優艶なのは光にて妹。純白のオディット。
 人を迷わせる魔性は闇にて兄。漆黒のオディール。
 同じ身の丈。同じ衣装。
 ただ色だけが2人を分かつ。
 コンビネーションジャンプからのソロ・スピン。
 その双子のような姿は、氷面のキャンバスに完璧なユニゾンを描き出した。


『マリアさん。エルリック兄妹は去年と趣向を変えてきましたねー』
『そうですね。衣装も性差を切り捨てたようなスタイリッシュないでだちで。…アイスダンスでは異色ですが、面白い試みだと思いますよ。リフトはまた別物ですが、スピンの角度やジャンプ。ステップのエッジ捌きの細かいところまでよく揃えられています。これは身長差がゼロに等しいからこそ、シークエンスがここまで映えるんでしょうね(感嘆の溜め息)』


 ときに。
 水面に浮かぶ白鳥は、人知れず水を掻いていたりする。
 ただ、それが人目につかないから優雅に見えるだけで。


「兄さん。そんなに冷たい牛乳を飲むと、おなか壊すよ?」
 いくら丈夫な胃腸とはいえ、物事には限度がある。
 それにイヤイヤ飲まれては、牛乳の生産農家も浮かばれまい。
 アルフォンスは地獄を見てきたような気迫をもって2本目の牛乳瓶と相対する兄からソレを没収した。
「……だって…っ」
 オレだって飲みたくない。飲みたくないけど!
「男性ファンにほほ染められて、耳にボタンが付いたでっかい小熊だの、耳と目がでかい服を着たネズミだの、一抱えもある四角い茶色い怪獣だの!そんなんを贈られる屈辱なんてっ。…お前にわからないだろうっ!?」
 応援してくれるのはとっても嬉しい。だけど女性選手じゃあるまいし、何故にプレゼントがぬいぐるみか。しかもエドワードのコンプレックスを刺激する巨大サイズの!
「それは、わからないねえ。嬉しいもの」
(…いいじゃない。兄さんが男の人から見ても華があって、それだけ魅力的だっていうことでしょー?)
 アルフォンスも可愛いと沢山褒めてもらったが、オディールは兄の苦渋が滲み出てる分だけに妖艶だった。
 …特に女の子っぽい衣装だったわけでも、お化粧もしていたわけじゃないのに。
(もうっ。女の子として自信なくしちゃうなあ)

 それにアイスダンスの男の人は女の人の裏方にしか見られないケースも多いから、スケーターとしては悪くないんじゃないだろうか?
 なにしろ。
『エドワード・エルリックは実は女で妹のアルフォンスとペアを組むために男装している』
 そんな噂が流れていたりするぐらいだ。

 でもそれを教えたら本気で落ち込まれそうなので、心やさしい妹は金の沈黙を守ることにした。








2006,2,18



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