料理


「ロス中尉いるー?」
 ひょっこり覗く金髪に、ブロッシュ少尉は始末書と格闘していたペンを休めた。
「なあ、ブロッシュ少尉、ロス中尉知らね?」
 あれー? 首を傾げるその仕草は、相変わらず国有数の『頭脳』に見えない。
 いつも羽織っている白衣の代わりに、大荷物を下げて軍服を着ているから尚更だ。
(だけど、どっかの美形俳優が軍人のコスプレしてまーす。っていうカンジになるのはどうなんだろうね?)
 ブロッシュ少尉は苦笑した。
「中尉は朝からアームストロング大佐と外回りに出かけられましたよ。もう帰られる頃ですね、そう言えば」
 気付いたらもうすぐ昼だ。やれやれ肩がこったと腕を回すと、ゴキリと関節のなる嫌な音がした。
 エドは顎に手を当てニヤリとする。
「おっさんと? あー。少女連続誘拐事件のアレかあ。じゃあソレ始末書?」
 大・正・解。ちょっと泣きたい。
(ロス中尉も大佐も書類仕事得意なもんだから、2人してちゃっちゃと終わらせちゃうしさあ)
 ブロッシュ少尉はひとり淋しく置いてけぼりだ。
「……大佐は気前いいひとですから」
「うはははは。また派手に壊したもんなあ! いいじゃん、人質みんな無事だったし、犯人一網打尽にボコれたし!始末書の一枚、二枚、安い安い!」
「一枚二枚じゃありませんよー。ビル一棟に国道半壊しちゃいましたし」

 昨日明け方の大捕り物。
 犯人のひとりが人質を殴ったりするもんだから(それも小さな女の子をだよ!)大佐は発奮するし、ロス中尉は静かにキレるし。
 あの2人にGOサイン出されちゃったら突撃するしかないでしょ。ウチの部隊は。
「おっさん錬金術師でよかったよな。まるまる被害総額具申したら、減俸どころじゃすまねえぜ」
 同情を含んだ眼差しで、ポン、と肩を叩かれる。…色々察してくれて有り難う。
「おかげさまでアームストロング工務店は早くて仕事が丁寧だって、街の皆さまから評判いただいてます」
 笑い話にしかならないよ、もう。
 その時前触れもなしにドアが開く。
「エドワード・エルリック!!」

 ばばん!
 アームストロング大佐は取立て乱暴にドアを開けるわけではないのに、そう表現したくなる不思議な人だ。
 やっぱり存在感(筋肉と前髪)だろうか。
 大佐は『希望・勇気・知恵・忠実・愛・慎重・貞節』といった有名な七つの美徳のもののうち、殆んどがその性情に当て嵌まる(すごい!)漢。
 これで脱がなきゃ理想の上司なんだけど。
「おお。久しぶりだな、元気にしておったか!」
 勢いのまま抱き潰すかなと一瞬、危惧したが大佐は踏みとどまった。
 そのかわりの挨拶に、エドが大佐の腹を拳で叩く。
「おっさん、一週間前も会っただろうが。あ、ロス中尉こんにちは」
「こんにちはエドワード君…軍服も似合うわね。その格好だと中佐とお呼びしなくちゃいけないかしら?」
 ロス中尉はエドに甘い。話していると口元がやさしく緩み、柔らかい表情になる。
(いいなあ)
 ブロッシュ少尉は成熟した女性の魅力に、心の鼻の下を伸ばした。
「焔の無能がコッチに来る時ぐらい服装規定守れって五月蝿くてさ、しぶしぶ着てるんだから勘弁してよ。それよりさ、昼に予定ある?」
 エドがちらと時計を見ると、居りよく時間を知らせるベルが鳴った。
「特にないけど?」
「我輩もだ」
 エドの視線が動く。(え、オレ?)ブロッシュ少尉はなんだろうとドキマギする。
 なにせ天下のエドワード・エルリック。かの名前がトラブルメーカの代名詞に使われる日は近い。
「食堂に行こうかなあってぐらいですかね」
「んじゃ、ちょっと協力して」
 エドは大きな荷物を掲げて見せた。


 引率されてやってきたのは、芝生を敷き詰めている中庭だった。
 時間が時間なので弁当族が、それぞれ腰を下ろして寛いでいる。もっぱら食堂のお世話になっているブロッシュ少尉には珍しい光景だ。
 その中でも目を引くのは、ビニールシートを広げている美人さん。(……うわ、本物だよ)ブロッシュ少尉はやや緊張した。
「大尉、お待たせ!」
「これで揃ったのかしら?」
「他にも声掛けるつもりだったんだけどさ、運良く大佐を捕まえられたから。3人分は軽いだろ?」

 リザ・ホークアイ大尉は表情を変えなかったが、どうやら歓迎してくれたらしい。
 ロス中尉に『なんなんですか?』目で尋ねると『知らないわよ』と返される。
「少尉、中尉も座って」
 アームストロング大佐はすでに軍靴を脱いで、ビニールシートに座っている。靴を脱いでいる間に、エドが取り出したのは、ランチセットの数々だった。
「アルが友達と花を見行くーって言うからさハイキングでも行くのかと思って用意したけど、花は花でも『絵に描いた花』ってゆーからさ。ちと処分に付き合って?」
 勘違いに照れたようなエドは、蓋を次々に開けていく。すると、胃がきゅうっと絞られるいい匂いが漂った。
 ベーコンを巻いたアスパラガスの焼いたのと、一口サイズのミニ春巻き。サラダは南瓜と小エビの2種で、海老のほうにはサフランがふられて彩り鮮やか。
 メインに置かれたカット済みのローストビーフは堂々たる迫力だし、添えのオリーブにも抜かりなし。
 三色のサンドイッチのラインナップに、卵が入っているのが個人的に嬉しい。

「うわー。こんなまっとうなご飯久しぶりだよ!」
 思わずブロッシュ少尉はエドを伏し拝みそうになってしまう。ああ、ありがたやありがたや。感動に目を潤ませていると、ホークアイ大尉が手ずからコーヒーを淹れてくれた。
(なに? 今日のオレ。こんな幸運あっていいのでしょうか、お母さん)
「…生きてて良かった…っ!」
「……やめなさい。恥ずかしいわよ少尉」
 ロス中尉はコメカミを人差し指で揉んでいる。  でもでもでも!
「だって今日の昼は食堂のカレーの予定だったのに!」
「あなた好きでしょ。食堂の水っぽいカレー」
「好きですけど。愛してますけど!もうソレとコレとは違いますよー!」
 拳を握り、力いっぱい主張する。

「……なあ」
 エドはほぼ一口でサンドイッチを食べ切った。
「おっさんの部下を選ぶ基準ってさあ腕っ節のほか、漫才できるかどうかだろ?」
「ふっふっふ。いやお恥ずかしい」
「…否定してください大佐」
 ロス中尉は頬を染める。
「えっと、いただきまーす」
 ブロッシュは気まずさにサンドイッチに手を伸ばした。
 お、旨い。ブロッシュ少尉はハムと胡瓜のサンドイッチにトマトを最初に入れた人を心の底から尊敬する。

「そういや、リザさ…じゃなくてホークアイ大尉は面識あったっけ、この2人と」
(リザさん?)
 ホークアイ大尉は澄ました表情を崩さない。
「ロス中尉とは。ブロッシュ少尉は、ほぼ初対面かしらね」
「はい」
 声が弾む。
 知っていてくれたんだと思うと素直に嬉しい。
 ホークアイ大尉とても有能な軍人だと聞く。もしブロッシュ少尉がどうしようも使えない奴だったら、視野に入れてもくれないだろう。
(書類仕事苦手だけど、頑張ろう)心に誓う。

 その時。
「……楽しそうだな」
 ぞくりと背後に冷気を感じた。突然割り込んできた声は低い。
「「マスタング少将!」」
 思わず立ち上がりかけて、ブロッシュ少尉はまあ座っとけとアームストロング大佐に肩を掴まれた。そしてロス中尉はホークアイ大尉に。

 マスタング少将はいささか据わった目の下に大きなクマを飼っている。
 すみませんご苦労様です。呑気にメシ食っててすみませんってつい謝りたくなる迫力だ。…ならない? オレだけ?ブロッシュ少尉が見回すとかろうじてロス中尉が緊張しているぐらいで、エドなどアスパラを口に咥えたままだった。
「楽しいよ? あんたは楽しくないの?」
「あいにくな。鋼のが来ると紙仕事が莫大に増えるのは何故だろうな?」
 エドはへっと鼻で笑った。
「うちの職場で少将のハンコをもぎ取ってくるほど押し出しの利く奴、他にいねえもん。だいたい少将が悪いんだぜ、来期に通すつもりの法案のレジメあんたのところで止めるから。あんたのサインがなきゃコッチは先に進めないんだけど?」
 ホークアイ大尉の視線に、マスタング少将は咳払いをした。
「知ってる? 十代では前代未聞の中佐待遇国家錬金術師のこのオレが、羨望の目で見られることなく哀れまれるその理由。昨日5日ぶりに家に帰ったんだけどさあ、絶対給料以上に働いているよなあオレ」
 エドの嫌味は軽快に続く。どうもマスタング少将の旗色が悪い。
「…いいじゃないか若くして重要な仕事を任されるなど栄誉なことだ」

 わけのわからないブロッシュが首を傾げていると、頼りになる上司が説明してくれた。
「ふむ。今は国家錬金術師のあり方が変わろうとする過渡期でな。エドワード・エルリックには編纂チームを率いてもらっている」
 エドはうんざりと肩をすくめた。
「だいたいまっとうな研究者ほど引き篭もり多いんだよ錬金術師って。それでなくても縦の繋がりは濃いけど、横になるとてんでバラバラでさー。そのせいでオレなんかあちこち旅する羽目になったんだぜ。民間・軍部を問わない、広囲的なネットワークのひとつも作らないとやってけないよ」
「地方まわりの経験が役に立ってよかっただろう?」
「ふん、オレが住みやすい世の中にするために精々軍を利用させてもらうさ」
「かまいはしない。法案が通れば軍部のイメージアップ確実だ」
「…狸」
「褒め言葉だな」

 国家錬金術師の機関まわりがバタバタしているのは知っていたが、まさかエドが中心に居るとは思わなかった。  ブロッシュ少尉は驚く。
「ええ、若いのに大変じゃない!?」
 あ、いけない敬語が抜けた。ブロッシュ少尉は密かに焦ったがエドは気にせず頷いた。
「つーか。年寄りに任せたら過労死するってだけだろ。ウチの職場24時間耐久マラソン死のロードと化してるし? 人死にが出たら外聞悪いもんなあ?」
 毒舌吐きだけどエドは嘘をつかない。
 げー。ブロッシュ少尉は顔を引きつらせた。そんな仕事場ゼッタイ嫌だ。
「大丈夫なんですか。そんなに大変なのにお弁当とか作っていて。その分休めばいいのに」
 ロス中尉に心配されて、エドは恥ずかしげに口を尖らせた。
「いつも留守しがちだし、たまにはアルにサービスしとこうと思ったんだよ」

「…………ちょっと待て鋼の」
「あに?」
「君は料理なんて出来たのか?」
 少将はランチセットを呆然と見下ろしている。そんなに意外だろうか。
「作れるよ。レシピのあるものなら」
 食べる? と差し出されたタッパーに、少将は手袋を脱いでおそるおそる春巻きを抓んだ。
「…普通に旨い気がするんだが」
「失礼なヤツだな!なんか言ってくれよリザさん!」
 エドはやっぱり普段は『リザさん』って呼んでいるのか。
 それはどうでもいいがブロッシュ少尉は、マスタング少将の顔が怖くて見れない。そちらの方から無言のプレッシャーが掛かってくる。
(ひー。嫉妬とかするんだ、こんな人も。あんなに浮名を流しているのに)

 ホークアイ大尉は平然としている。
「エドワード君の料理は基本的に男の料理なのよね。レストランとかホテルとか、職業的なコックの味」
「……だって普段つくらないから。家庭の味の出し方なんて知らないし」
 エドの料理の基本は旅先で出会った美味しいものだ。
 いつかアルに食べさせようと、こっそりレシピを覚えておいた。
 その成果があり、レシピどおりに作ればまっとうな料理を提供できる。アルもおいしいと言ってくれた。
 しかし。
「どうしてかな? レシピ通り作らないと、食材が謎の物体]になるんだけど」
 ……とても不思議だ。食べ物を使って料理しているのに、食べられないモノ(?)が出来るのだから。
『兄さんは料理に関しては創意工夫をしなくていいから』
 青筋を立てたアルにそういい聞かされている身としては、家庭料理はハードルが高い。普段食べるものほど、料理書には載っていないもので…したがってエドが作れるのは、どこか気の抜けない『お固め』のものばかりだ。
「……簡単なものだったら、実践方式で教えましょうか?」
 ホークアイ大尉は小首を傾げ、ロス中尉も頷いた。
「私もブラックケーキやハニーチキンみたいなのでよければ教えてあげるわよ?」
(はー。ロス中尉の家庭の味はそれかあ。オレなんかだと卵たっぷりのドーナッツとか、ミートソースのスパゲティだったりするんだけど)

(でも。…なんだかいい光景だなあ)
 ブロッシュ少尉は思わず見蕩れた。
 ロス中尉とホークアイ大尉とエドワード。そこだけ別世界みたいにキラキラしている。
「いいの? 中尉や大尉が遊びに来てくれるとアルも喜ぶしオレも嬉しい」
 エドは控えめにはにかんだ。
(おお、かわいい。大人になったな、エドワード君。昔はギスギスしてたのにねえ)
 そう思ったのはブロッシュ少尉だけじゃないらしく中尉も大尉も大佐もみんなニコニコしている。

 しかし少将だけは違う衝撃を受けたようだ。
「…鋼の、君は思っていた以上にやり手だな」
 どうやら少将のライバル判定に引っ掛かったようだ。焔の錬金術師は燃える目付きでエドを見下す。手袋を投げつけないのがおかしい位だ。
 しかしこの場に火消しがひとり。

「そういえば少将。午前中お願いしていた仕事はもう終わられたのですか?」
 ホークアイ大尉の笑顔は、それはうつくしく迫力があった。
「あ、ああ」
 そう答える以外マスタング少将に言えることはあったのでしょうか。いやない(反語)。
「助かります」
「じ、じゃあ、ホークアイ大尉。ゆっくりしていてくれたまえ」
 足早に去っていくマスタング少将の背中が哀愁を漂わせている。いと憐れ。…男って悲しい生き物だ。
(……今からしゃかりきで仕事するんだろーな少将。あと昼休み20分しかないけど)
 ご飯はきちんと食べられるのだろうか、心配だ。

 ふとブロッシュ少尉は気になっていたことをエドに尋ねた。
「そういやエドワード君。なんかマスタング少将ヘンじゃなかった?」
(あれじゃあ、まるで)
「うん、少将オレが女だってまだ気付いてないみたい」
 エドはあっけらかんと種明かしをした。
「別に隠してないけど、特に言うことじゃねえだろ? 最初から書類とかにも女だって書いて提出したし。実際、おっさんもホークアイ大尉もロス中尉もブロッシュ少尉もわりと最初から気付いただろ?」
「…オレはエドワード君をおんぶしたことあったしねえ」
 それがなければブロッシュ少尉は気付いていなかったかもしれない。
「いつ気付くか面白いから黙っとく」
 エドは茶目っ気たっぷりに人差し指を立てた。
(あー)
 気付いた時の少将の反応を考えると……そりゃ確かに面白い。
「オレが言うのは不遜だけど。なんかさあ、あそこまで有能な人が、ささやかな間抜けをしてくれるとなんか微笑ましいねえ」
 ブロッシュ少尉は遠まわしに沈黙を誓った。
(マスタング少将といえば、恐れを知らない野心家でけっこうお怖いひとだけど)
 仲間外れにされたぐらいで怒るほど狭量な人ではないはず。……だといいなあ。
 ブロッシュ少尉の感想にホークアイ大尉は一瞬だけ、先ほどとは違う種類の笑顔を浮かべた。
 若葉のよう瑞々しい微笑み。
「だからこそお仕えする甲斐があります。弱点のない機械にはついていく気がないので」
「やだなあ大尉。のろけかよ」
「あらそう聞こえたかしら」

(あ。やっぱりそうなんですか。ふーん)
 ずずーっとぬるいコーヒーを啜る。
 春だねえ。

「ですって。…残念だったわね」
 ポン。
 肩を叩いたロス中尉は澄まし顔。
 こっそりされた耳打ちに心臓が早鐘を打つ。
(それは期待してもいいってことですかー!)

 気管に入ったコーヒーに、ブロッシュ少尉は咳き込んだ。



 2004,8,11 up
 ごめんなさい。馬鹿ップル大好きなんですー。




 戻る