少年の夢は生きている



 仕事から帰ってきた兄はただいまもなしだった。
「アル!大変だ!科研が新しいエンジンを発表した!」
 バタン!
 玄関先で叫ばれる大声に、ポトフの味見をしていたアルは口のなかを火傷した。
 …が、それどころではない!
「なんだって!」
 すぐさまコンロの火を止めた。血相を変えリビングに向かう。
「例の複葉機のエンジンだよね!?」
「おう!」

 まるで御伽噺から出てきたような。翼を持たざる人間にとって、誰もが憧れる空飛ぶ機械・複葉機。
 当然ながらエルリック兄弟も、ひとかたならぬ感心を抱いている。
 エドはコートをソファーの上に投げ出したついでに、カバンから紙の束を取り出した。
 じゃん!と効果音を自分で付ける。
「設計図、一部ガメてきた!」
 その表情は自信満々。
(また機密を持ち帰って!)
「えらい!」
 本当は怒らなくてはいけないのに、つい褒め称えてしまった。アルも自分に正直だ。
 エプロンをもどかしく脱ぎ捨てている間にも、エドはテーブルに設計図をザッと広げた。急いで兄の横に滑り込む。小さい身体はこんなとき便利だ。
「すげーんだよ、こいつ。従来のものより半分も軽いんだぜ信じられねえ」
 ここ最近の工学技術の躍進は、目を見張るものがある。
 エドは子供のように頬を高潮させている。設計図を捲るうち、アルにも兄の興奮の理由がわかった。
「9気筒の空冷回転星型エンジン…?」
 シリンダーが9つの星の、尖った部分についている。
 今までアルが見たことない形のエンジンだった。
(うわ、面白い。なんだこれ?!)
「コンロッドとクランクシャフトの結合方式、珍しくないか? 特殊も特殊」
 アルは下唇を舐める。
「……凄いこと考えるひと居るもんだね。世の中ひろいな」
 図形を読み取るのは得意だ。
 アルの頭の中には実物モデルさながらの青写真がくっきり浮ぶ。
 人体練成の技術を封印した今となっては、機械工学は特に興味のある分野だだった。目を通すうち、自然と力が篭もった。
 古いラジオを分解して、中身を確かめるどころの騒ぎじゃない。
(え、ちょっと待てよ)
「ひょっとして。これを乗せるんだったら、飛行機の機体の形も変わるんじゃないの!?」
 アルはざっと計算を弾き出して、歓声を上げた。
 これだけの推力を得られるんだったら、もはや飛行機の形状は複葉である必要はない。(単葉…といえばいいのだろうか? )両翼、一枚ずつで充分だ。
「ねえ兄さん?」
「……」
「…兄さん?」
「……」
 返事がない。ふと見れば兄は新聞折り込の広告の裏に、ガリガリ方程式を書き連ねていっている。
(しまった。ご飯前だったのに)
 集中しきった目の色だ。瞳の濃度さえ変わるよう。
 物事に夢中になると、兄は外部の情報をシャットアウトする癖がある。
「あのね。兄さん、ご飯食べてからにしよ?」
「………ん…」
 だめだこりゃ。しばらく放って置くしかない。
 アルは寝るまでずっとこの状態が続くなら、腕力に訴えようと諦める。
 すると何故か口の内がヒリヒリ痛んだ。……あれ?
 あ。
(そう言えば味見していて火傷したんだっけ。忘れてた)
 不快な痛みに耐えかねて、水を飲みに台所に向かう。
 アルもエドを笑えなかった。


 アルが風呂を浴びている間に2階の書庫に篭もったエドが降りてきたのは、10時を回った頃だった。
(ちえーっ)
 フライパンとお玉の音響攻撃を用意していたアルはちょっとだけガッカリとするが、気を取り直して温め直した料理をテーブルに並べた。
「今日はポトフとコンビーフのパイだよ」
 ポトフは自作。パイはいつも良くしてくれる隣のおばさんお手製だ。
 兄弟2人の食卓としては上出来なほうだと思う。
「……悪い、待たせた」
 先程の狂熱が嘘のように、兄は悄然(あるいは、ふてくされて)としてテーブルに付いた。…浮き沈みの激しいことだ。
「何か嫌なことでもあった?」
 弟の問いかけに、兄はゆるりと首を振った。
「そうじゃないけど。……なあ、アル。ガキん頃、作ったロケット覚えているか?」
 アルは懐かしい記憶を持ち出され、パイを切り分ける手を止めた。

 子供の遊びにしては本格的なロケットを作ったのは、エドは10歳、アルが9歳の夏だった。
 アルは、ああと思い出す。
 何でも出来ると、傲慢なまでに信じ込んでいたあの頃。
 悲しみはすでに知っていたけど、毎日が宝石のようキラキラしていた。

「楽しかったね。今から思うととんでもないけど。ちゃんとアルミとプラスチックとかから固体燃料作ってさ」
「ああ。爆破実験でうっかり塩素ガス出したりな」
「びっくりしたねえ。離れたところで見ていたら爆心地、草とか木とか枯れているんだもの。うわ、やばいよ。考えるとドキドキしてきた。デンジャーなお子様だったねボクたち!」

 あははと乾いた笑いが漏れる。
 村の人たちは母親を早くに亡くした兄弟に甘かったけど、あの時は村中から怒られた。それで諦めなかったのだから、子供というのは結構しぶとい。
 結局計画を縮小して、打ち上げたのは全長23センチのペンシルロケットだった。
「でもよくも3個も打ち上げたよな。しかも1つは水平飛行で」
 うんうんと頷く。
「計算より射程が長くて、牛小屋まで飛んでっちゃって冷や汗かいたよねえ。……それが、どうかしたの?」
 おもちゃのようなペンシルロケット。
 形は子供の持ち物だったが、しっかり火薬も詰めていて、思えば危険な代物だった。
 パイにかじりついていたエドは、2口で飲み込んでから応える。
「ずっとあの時のことが頭に残っててな。本当はあの時、宙まで届くようなロケットを作りたかったって言ったら笑うか?」
(兄さんもアレでロマンチストだよね)
 アルは首を振って否定した。
「笑わないよ。あの夏は星がキレイだった」

 夜更かししても叱ってくれるひとが居なかった夏。
 2人して屋根に上り、満天の星空を幾夜見たことか。星に手が届きそうなのは錯覚でしかなく、伸ばした腕につかめるものは何もなかったけど。

「さっき計算したら、今作れば結構イイ線までいきそうなんだよなあ、これが」
 エドは親指に付いた油を舐める。
 美味しいものを食べているのに、気分が上向かずに鬱々とする。
「固形燃料のロケットは構造が簡単で燃費がいいが、火薬の配合ひとつ取っても難しいから個人では手を出しづらい。だから棚上げしてたんだけど。……あのエンジンを見て考えたんだが、灯油と液体酸素を使って飛ばせる方法もあるんじゃないかってな」
 今日のエドの発火剤は、持って帰ってきたエンジンの設計図だ。
 考えたら止まらなくなった。

「液体燃料を使うの? そうかエンジンを付ければ安定した推力が取れるね」
 長時間煮込んだジャガイモは、口の中でホロリと崩れた。アルはポトフにスプーンを入れつつ相槌を打つ。
 兄の口の回りと食事の速さはまったく持って関係ない。
(早食いはみっともないのにな)
 エドの皿はもう空だ。ひとりで食後のお茶に入っている。
「ああ、液体燃料なら問題はエンジンの重さと制御装置をどうするかってことになる……あー、畜生。今から取り掛かって上手くいきゃ、オレが生きてる間に作れそうな気がするんだよな。人工の衛星」
 エドは心底、悔しそうだ。

 ぶ。
 アルはスープをエドの顔に噴き出した。
「うわ!汚ねえよ、アル!」
 エドは憤然としたが、意識を他に捕らわれたアルは頓着もしなかった。
「人工衛星!そんなもの作ろうとしたの兄さん!」

 太陽の周りを星が回るように? この星に衛星を付けるつもりなのか?
 らしいと言えばあまりにらしいが、大それている。
 あの小さいときからそれを考えていたのか。
(なんて突拍子もない兄さんだ)
 だからアルはエドのやることから目が離せなくて、ワクワクしてしまうのだけど。
 しかしエドは苦さを噛み締めるよう、顎を右手で押さえ込んだ。…吐息が重い。
「ただ宇宙に飛び出すだけ。距離を稼ぐだけだったら、固形燃料でも充分だぜ。物質を軌道に乗せるには燃焼をコントロールする必要がある。だったら液体燃料だったら可能じゃないか?……そんな想像して楽しんでいたんだけど、まさかこんなに早くエンジンが進化してくるとは正直思わなかった。この調子で行けば、手が届きそうなのに…こんなの作れても作れねえ」
「……兄さん?」
 エドは薄く自嘲した。
「オレらがむかし作った固体燃料のロケットさえ、今の政治状況じゃ兵器に転用される技術だろ。とてもじゃないが誰にも言えねえよこんなの」

 ああ…………うん。
「そっか。…そうだね。作れないね」
 残念だ。
 知らず浮き上がっていた尻を、椅子の上にポテと落とした。

 例えば(嫌な例えだけど)。
 火薬の発明は一体何をもたらしただろうか?
 その中のひとつ。岩盤を掘るために開発されたダイナマイトは、多くの人命を奪う悪魔の兵器に成り下がった。
 発明者はそんなつもりではなかったと深く嘆き悲しんだという。
 それはそうだろう。彼はただ鉄のような岩盤に苦労する労働者の手助けするために、ダイナマイトを作ったのだから。
 技術が悪い訳ではない。問題はモノを使う人間のモラルだ。
 人は善性だけで出来ておらず、また誘惑にはあまりに弱い。

 顧みて。可燃物質を大量に詰め込んだロケットは、遮るものなく凄まじい勢いではるか遠くの空を飛ぶ。
 それは一方的な虐殺と、破壊の道具になるだろう。
 ウロボロスの撒いた災いの種は、今だこの土地を汚している。政治は夜明けを迎えているが、それは努力あってこそ。火種をつければあっという間に、炎は大地を嘗め尽くす。……残念ながらその想像は難くない。

 青空にロケットを打ち上げた。
 たなびくのは白い煙。
 夢のように楽しい記憶があるだけに、その空想の光景は酷く心を凍らせる。

「ボクたち、色々失敗してきて良かったねえ」
 アルは長い長い、息を吐いた。
 錬金術師は業が深い。すべの物事を解き明かせずにはいられず、何かを作り出さずにはいられない。
 そこにあるものを諦めるしかない、兄の悔しさは身に染みてわかる。
「アル?」
「先端技術に目がないボクたちが、好奇心に負けず…色々考えて我慢できるようになったんだもの。それを考えると人生回り道じゃないなあって」

 そう言い切れるのは、まさしくアルの強さだとエドは思う。
 兄は弟のこの姿勢に幾度助けられたか分からない。前向きというより柔軟なのだ。
 硬い刃はすぐ折れるが、針金はしなやかに曲がり割れることない。
「…………お前、しっかりしてるなあ」
 エドに感心した目で見られ、アルは照れて首筋を撫でる。生身の首が赤くなっていないかどうか気になった。

「いつか平和になったら造ろうよ。2人も錬金術師がいれば、個人でもなんとかなるよね」
 だいたいエンジン自体大型過ぎて、まだロケットには乗せられない。
「それまで稼いでおかないとな。材料費に、旅費もかかるか」
(旅費?)
「なんで?」
「設計段階だと、三段構造になっていてな。一部、二部はどうしても地上に落っこちる計算になるから。海や砂漠がないと拙いだろ?」
「外国まで行くのかー。言葉も覚えないといけないねえ」

 なんとも壮大な遊びの計画だ。
 他の技術の進歩を待つ必要もあるし、生きているうちに間に合うかさえ疑問が残る。
「まあ、遊びなんて手間隙かけるものだしな?」

 それでもいつか。
 堕ちてこない、大きな花火を打ち上げよう。
 2人で真夏の夜に描いた夢の欠片は、完全に消えることはない。



 2004,8,11 up

 エドとアルはキケンなお子だと思います。割れ鍋に綴じ蓋な兄弟。
 でも学習能力の高い彼らのこと。ちっちゃい頃にあれだけ過酷な失敗したら、そりゃあもうステキな大人になると決まったようなものですね!(ドリーム)


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