Glass


「あ、アレ好きそう」
 ウィンリィが立ち止まったのは、技師装具店のウィンドウではなかった。
 珍しいことがあるもんだ。
 エドワードとアルフォンスは揃って顔を見合わせる。
 なんたってここは機械鎧のメッカ、ラッシュバレー。
 ウィンリィはあっちにフラフラこっちにフラフラ。
 総ての技師装具店を制覇すると息巻いて、兄弟を引きずりまわしてくれている。
「買うのかよ。ばっちゃんへの土産か?」
 ウィンリィの視線の先には、天狼鷲に包まれて誇り高く鎮座するカットグラス。
 ピナコは楽しい酒飲みなので、きっと喜んでくれると思う。
「予定を変更してだいぶ留守にしちゃったしね。あーでも駄目。ゼロの数ちょっと多すぎ」
「ウィンリィ、ウィンリィ。お財布さまならすぐここに」
 アルフォンスはエドワードの肩を掴んで両手で押し出す。
「アル!お前なぁ俺のことをなんだと……」
 兄はうがあ!と暴れるが、弟は気にもとめない。知らんぷり。
「いいじゃない。ウィンリィにはお世話になりっぱなしなんだし、これぐらい」
 仲良くじゃれ付き始めた兄弟に、ウィンリィは手を振った。
「いいわよう気にしなくて。自分のお金で買えないものを、プレゼントするのは分相応よ。返ってばっちゃんに叱られちゃうわ」
「あっそっか。そうだよねえ」
「うん、そう」
 にこにこにっこり。
 アルフォンスとウィンリィの間に花が飛ぶ。
 ここまで旅費をたかっておいて何を今更言うか。頭の隅で思ったが、エドワードは口にするほど愚かではない。
 その代わりに女王のように優美なグラスをじっと眺めた。
(ガラスの中でもクリスタルと呼ばれる種類のものなら…)
「珪酸55に酸化鉛24、酸化カリ15パーセントと…あと遊びが少しっていったところか」
 兄の呟きに、弟はピンと来る。
「酸化コバルトか、酸化銅で色づけをしても綺麗だよ。あ、ばっちゃんなら酸化ソーダやアルミナとかを主成分にして耐熱用にしたほうが親切かなあ。お湯割とかも好きだしね」
「「ウィンリィはどう思う」」
 見事なユニゾンで尋ねられ、ウィンリィは腰に手を当て仁王立ちした。
 まったくもう。
「あんたら、私にもわかるよーに話しなさい」
 仮にも幼馴染。ホントはなんとなく分かるけど。
 小マメに注意しておかないとこの兄弟は2人だけしか分からないような会話を成立させてしまう。困ったものだ。
「や、買うと高いけど、材料は安いぜ」
「そうそう。やっぱり手作りって心が篭もっていていいよねえ」
 思考回路は違うのに、やることなすこと、息がピッタリ。
「……兄弟って不思議よねえ」
「「ウィンリィ?」」
 またハモる。
「なんでもないわ。そうねぇ折角作ってくれるんなら、4つばっかりお願いするわ。ばっちゃんと、エドと、アルと、あたしの分」
 ウィンリィは指折り数える。
「あたしたちが使えるようになるまでは、棚の飾りにしたいくらい素適なカットグラスを頼むわ」
 あ。2人ともいい笑顔。
 提案したこちらの方が嬉しくなってしまう。
 例え鎧姿でも、ウィンリィにはお見通しだ。
「「まかせて(おいてよ)おけ」」
 なんて不敵。
 やあ。こうして見ると、はた迷惑な兄弟でも結構格好イイではないか。
(幼馴染ってこれだから)
 自分のことのように鼻が高い。ウィンリィは破願した。


 引越し荷物も片付いて、ようやく訪れたセントラルでの穏やかな休日。
 郵便物の受け取りに印鑑を持って出たアルフォンスは、箱を頭に載せてリビングに入ってきた。
「兄さーん。ウィンリィから荷物届いたー!」
「ん」
 溜めきっていた新聞を片っ端から読破していたエドワードは丁度キリが良いところだからと、テーブルの上に広げていた紙の束をいったん纏めて床に置いた。
 壊れ物注意!のステッカーに慎重に荷物を取り出すと、見覚えのあるグラスが出てきた。
「うわ、懐かしいな」
「覚えていてくれたんだ…」
 光を弾くカットグラスは底に『宝冠を掲げ十字架を背負う翼有る蛇』の紋章が刻まれている。
 ピナコとウィンリィのグラスは、今もロックベル家の居間に飾ってあるのだろうか。
 あーだこーだ言い合いながら練成したグラスは、しっかり2人の署名入りだ。

 不意にアルフォンスは可笑しくなった。
「アル?」
「いや、ごめん。だってさ可笑しくなって。…あれだけ山あり谷ありな旅をしてきたのに、どんな時でもボクたち人生楽しんでたなあって思ってさ。もっと暗くてハードボイルド? な感じになってもよさそうだったのに!」
「あー無理だろそりゃ。オレたちには似あわねえって」
 エドワードはパタパタと腕を振る。
 ひとりだったらそうなっていてもおかしくないが、幸いふたりだったので長い時間落ち込んでいる隙がなかった。お互いに。
「だよねえ。あ、メッセージカード読むよ。『空っぽのグラスは、愛を注ぐのに最適な贈り物だそうよ。そろそろコレを結婚式の引き出物に選ぶくらいの甲斐性を見せなさい』……だって」
「…オレは機械鎧と結婚しそうなウィンリィにだけは言われたくないぞ。 …………アルフォンス君。そこで何で君は笑っているのかな? お前だって言われてんだぞ、他人事にするんじゃねえぞコラ」
 エドワードが弟の小さな頭を両拳でグリグリすると、アルフォンスは楽しそうに悲鳴を上げた。
 適応能力には定評があるアルフォンスだ。子供ぶりっこもバッチリだ。
「えー。だってボク11歳!」
「オレだって18だ!」
「…張り合わないでよ兄さん」
 疲れると素が覗いてしまうのが今後の課題か。
「ふうん。空っぽの器ねえ」
 エドワードはごろりと横になりながらウィンリイのカードを眺める。
「……とりあえずアルの中は愛で満たされていたよな?」
「え?」
「ほら猫」
 あー。
「…ひょっとして一生ボクはそれを言われるのだろうか」
「言うって。フツーやらないだろ? 猫だぜ猫!…まあ、毛布とか救急箱とかの生活雑貨が出てきたときも驚いたけど」
「やーおかげで鞄持ち歩く癖が付かなくってー。便利だったねえボク。うん、使えた」

 心地よいキャッチボールのような会話が止まる。

「……使えなくっていい」
 ぼそり。呟いた声は小さかった。
 アルフォンスが振り向くと兄は新聞で顔を隠してしまっている。
 うん。まあそれはそうなのけれども。兄は時折、繊細だ。
 笑い話にしてくれてもいいのになあと、アルフォンスは頬の辺りを掻いた。
「早速だけどグラスおろしちゃおうか。もうすぐ10時だしお茶にしよう?」
 2人ともアルコール解禁までは時間が掛かる。とっておきにしてもいいが、これはやはり普段使いにするべきだろう。
 グラスに掛けた願いは、もうすでに叶ったのだから。
「オレンジを浮かべたアイスティー。この前つくってくれたやつ旨かった」
「オーケー」

 今日ばかりはジャンケンもなし。素直に淹れてきてあげましょう。
 柑橘類を落としたアールグレイは色合いがうつくしいし、とてもいい香りがする。
 葉っぱを蒸らしている間に煮沸消毒も忘れずにして。アルフォンスは氷を落としたグラスに、濃い目に淹れた紅茶を注いだ。

 グラスに満たされるのが愛ならば。
 あの無骨な鎧を満たしてくれたのも愛だろう。
「満たされているはずだよねえ」
 鎧の中が、からっぽなのは充分承知。それなのに温かい何かでいっぱいになって、とろけそうな思いを味わった。
 愛を注いでくれたのは、可愛い幼馴染であり、祖母とも思うひとであり、尊敬する師父であり、ただひとりの兄であった。
 今度はアルフォンスが注ぐ番だろう。

 いまだ夜中に魘される苦労性なあの人に、とりあえず紅茶一杯分。



 2004,8,8 up

 うちの年の差兄弟、もしくは姉妹はエドが18、アル11ぐらいが基本です。


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