ビートルズ。

キノコみたいな髪型をした奴だ、というのが第一印象だった。
もちろん、いい意味ではない。
どっちかって言ったら、胡散臭くて妙な奴、ってニュアンス。

奴は、入学式も講義のガイダンスも一段落着いたうららかな4月中旬のある日、
ふんすか鼻歌を歌いながらごくごく当たり前のように部室に入ってきた。
目に痛い黄色のパイナップルが沢山プリントされた原色だらけのシャツに、
色んな生地でつぎはぎされたボロいジーンズ。
麻布っぽいだらんとした白いショルダーバックを右肩から下げ、
左手にはカブトムシ色のやや大きめなギターケースを持っている。
部室の奥のテーブルで、窓から差し込む柔らかな陽の光の下おにぎりを食べていたあたしは、
奴があまりに自然な様子で部屋に入ってきたのでてっきり先輩だと思い、
「あ、どうもこんにちわ。あたし、新しく入った1年生の月野です。」と、深々と頭を下げて挨拶した。
奴はあたしの向かいの椅子にどっかと腰をおろし、ギターケースを壁に立てかけると、
「あ、ども。」
ペコリと小さく頭を下げた。
「この部室、いいよねぇ。知ってた?何気に他の部室より1畳分広いんだぜ。」
「あ、そうなんですか。他の部室見たことないんで分からないんですけど。」
「うん、広い。窓もちょっとデカイしな。明るくていい部屋だ。」
彼はきょろきょろと部室内を見回し、満足気に微笑んだ。
「あの、先輩、ですよね?名前、何ていうんですか?」
彼の自己紹介をまだ聞いていなかったあたしは、おずおずそう尋ねた。
「俺?あ、俺ね、トキオ。よろしく。」
にっこり笑って右手を突き出してきた。
握手、ってことかな。
何だか初対面なのに馴れ馴れしい人だなぁ、と思いながらも、
先輩だし、という気持ちから躊躇なく手をにぎりかえした。
「こちらこそ、よろしくです。」
彼はあたしの手を離さずに、握手したままぶんぶん振り回す。
「月野さん、下の名前は?」
「え?あ、サヤですけど。」
「サヤかぁ、うん、いいね、気に入ったな、その響き。凛としてて。」
「ど、どうも…。」
「でも君、名前負けしてるんじゃない?何かぼーっとしてるの好きそうな顔だよね。」
「…は?」
先輩じゃなかったらあからさまに嫌な顔してやるところだけど、ぐっと我慢した。
「あ、カチンときた?はははー、図星かな。」
図星だろーが図星じゃなかろーがそんなこと言われたらたいていの人類はカチンとくるものです。
「うそうそ、冗談だから。っていうか俺も名前負けしてるし。」
「そんなことないですよ、トキオさんだなんて、素敵な名前ですよね。」
カチンときたって何でもない顔と言葉をとっさに作るくらいの社交性は、ある。
無理矢理笑顔をつくって会話を続けようとしたあたしに、彼は笑いながら、
「トキオさんってのやめてよ。俺も1年だしさ、何かさんづけなんて気恥ずかしいじゃん。」
「…え。」

同学年かよ。同じ新入生かよ。なんだよなんだよ、だったら初めからそう言えよバカヤロウ。
今度は遠慮せずあからさまに不審な表情をしてみせた。
「…なんだ、敬語使って損しちゃった。」
「おいおい、随分顔付きも声音もさっきと違ってるぞお前。」
「先輩だと勘違いしちゃったじゃない。最初に新入生だって言ってくれればいいでしょ。」
「お前が勝手に勘違いしたんだろぉ。勝手に勘違いして勝手に怒るなよなー。」
・・・・・・・・・・・。
それは、まぁ、その通り、と、言えなくもない、かな…。
少し納得してしまい、出かけた文句をこくんと飲み下してしまった。
すっきりしないなぁ。

「サヤ、お前、パートは?」
…いきなり呼び捨てかい。
先輩じゃないと分かった途端、コイツの馴れ馴れしさがどうも鼻につきだした。
だから、無理に笑顔はつくらないことにして、ぶっきらぼうなまま答える。
「あたし?一応、ギターだけど。」
「どんなバンドやる予定なの?」
「最初は、普通にコピーバンド組むつもり。後は洋楽もやりたいし…。」
「洋楽!」
トキオはそこで嬉しそうに小さな雄叫びをあげると、期待に満ちた声で、
「ビートルズ、好きか?」と言葉をつないだ。

ああ、そういうことね。
そのキノコヘア、ビートルズのつもりなわけね。
あんた、ビートルズファンなわけね。

ビートルズは好きでも嫌いでもなかったけれど、
コイツを喜ばせるのはどうにも癪にさわったので、
「悪いけど、正直嫌いなんだよね。」とポーカーフェイスでうそぶいてやった。
トキオは思い切り肩を落とし、ふかぁいタメイキをつき、
「そうか…。」とつぶやいてうつむいた。
可哀相、だなんて全然思わない。

途端、トキオは何かを決心したかのようにガバリと顔をあげ、
壁に立てかけてあったギターケースから黄色いアコースティックギターを取り出した。
ボディの前面に、大小様々なイミテーションの宝石が散りばめられている。
透明でダイヤみたいな形の石、真っ赤なルビーみたいな石、神秘的なトパーズみたいな石…。
窓から差し込む陽の光に反射して、きらきらキラキラ素直に綺麗だった。
自分で作ったのかな…随分手の込んだことを。しかもいい出来だ。
トキオはそのギターを優しく抱きかかえ、財布からピックを取り出した。
ギターと同じ、黄色のピック。
そうして、すぅ、と息を吸い込み、あたしの顔をきっと見つめて、
「よし、じゃあ今からビートルズの名曲の数々を俺が披露してやろう。よっく聴けよ。」
と、やたら仰々しく言った。
…弾き語るつもりか。
チラと時計を見ると、そろそろバイト先に行ってもいい時間だったので、
「じゃあ1曲だけお願いするけど、あたし、すぐに行くから。」と半ば呆れたように答えた。
トキオはおもむろにイントロのコードを弾き始める。
もともとたいしてビートルズのファンではないあたしには、何の曲だかそれだけではサッパリ分からない。
そんなあたしはお構いなしに、トキオはなめらかにコードを押さえていく。
きれいな指をしている、と思った。
きれいな宝石のギターをつくれる指だった。
きらきらきらきら。イミテーションのダイヤやサファイアやトルコ石が輝く。

歌が入った、その瞬間、
あまりの音痴っぷりに、あたしはビックリして思わず食べかけのおにぎりを足元に落下させてしまった。
下手とかズレてるとかそういう問題ではない。
ウケ狙いでわざとやってるんじゃないかってほど、トキオの歌はひどかった。
ギターがうまいだけに、そのひどさが一層目立つ。
馴れ馴れしくて、図々しくて、押し付けがましいのに加えて、音痴ときた。
あたしは落としたおにぎりを拾いもせずに脱力して彼の歌が終わるのを待った。
ちからがぬけた。そう、なんだかとてもね。

1曲歌い終わり、
「な?いいだろ?これ、俺が1番好きな曲なんだ。」
と、ボディで光る宝石と同じようにきらきらした目で顔をあげたトキオに、
「そんなんじゃビートルズファンの怨念に呪い殺されるわよ。」と1言だけ言い放ち、
あたしはさっさと荷物を手にとって部室を出た。
落としたおにぎりをゴミ箱に放り込むのも忘れずに。
あんな変なパイナップルシャツ野郎につきあって損した。
一瞬でも、彼のギターと、奏でる指と、粒揃いの音色を綺麗だなんて思った自分が悔しい。
まぁいい、色んな人がいるからサークルって面白いんだ、
そう、言い聞かせないと、苛々が口から飛び出してきそうだった。

桜が散って、葉桜になり、蝉がじぃじぃ鳴く季節になっても、
トキオは相変わらずだった。
変な服を着て、キノコアタマで(たまに寝癖がついている)、馴れ馴れしくて、
神出鬼没の、うっとうしい、要はあたしの苦手なタイプを地でいっていた。
いつまでたっても音痴は全く向上のカケラも見せなかったし、
馬鹿の一つ覚えみたいにビートルズばっかり弾き語っていた。
あたしにしてみれば目障りなことこの上ないのに、
タデ食う虫も好き好き、トキオを「かわいい!」などと評してきゃあきゃあ騒ぐ女の子達が出てきて、
それがますます癪にさわった。
加えて、彼はあたしよりはるかに上手に六弦を空気に響かせた。
同じ曲を演奏しても、明らかにあたしが下手だった。
気に入らない。
誰が何と言おうと、気に入らないもんは気に入らない。

ただ、彼の、ニセモノの宝石だらけの黄色いギターは、いつ見ても綺麗だった。
晴れた日なんて特に、陽を浴びた宝石が七色のプリズムを浮かび上がらせ、
思わず見とれてしまうほどだった。
そのギターを、楽しそうに、愛しそうに爪弾く彼の指先も、いつ見ても綺麗だった。
こんな綺麗な指をした男が存在するもんなんだなぁ、と、
ある日ぼんやりと思った事を覚えている。

気温がぐっと下がり、キャンパス内の木立がセピアに色づきだした頃、
あたしは部室に顔を出すのをやめた。
理由はいたってシンプル、失恋したのだ。
それも、割と悲惨な結末で終わった恋だった。
簡単に言うと、付き合っていた先輩に浮気され、
しかもその相手はあたしのバンド仲間であり親友でもあったヴォーカルの女の子で、
彼にデートをドタキャンされたその日に、
街で偶然手をつないで歩いている彼らと鉢合わせてしまったというわけ。
自分はそれなりにタフだと思っていたのだけれど、さすがにこたえた。
しばらく言葉を失って、何も話せなくなり、次に、音楽を聴けなくなった。
音を聞くと、バンドを思い出し、バンドを思い出すとその親友を思い出し、
その親友を思い出すと先輩を思い出し、
最終的には自分が馬鹿馬鹿しい、惨めな存在に思えて泣けてくるのだ。
たかが男の1人や2人、気にするだけ時間が勿体無い。
分かっちゃいるけど、感情はそんなに合理的な仕組みには出来ていない。

色づいた葉も散り始め、5限が終わる頃には辺りが暗くなり出した頃、
授業を終えて教室をでたところで、ばったりトキオに出くわした。
と言っても、ちょっとビックリしたあたしとは反対に、トキオは、
待ってましたと言わんばかりににやりと笑い、
「よーぅ!」と軽く右手を挙げた。
左手には、いつものギターケース。
「…偶然だね。この授業取ってたっけ?」
適当な言葉をかけながら、よりによってあんたか、と思った。
会いたくない奴に限って、こっちの思惑を裏切って突然現われるものだ。
「ううん、5限なんて取ってるわけないじゃん。腹減るしさ。」
だったらとっとと家帰ってコロッケでも食ってろよ。
「…ああそう。…じゃ。」
小さく会釈して通り過ぎようとしたあたしの腕を、トキオが掴んだ。
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってってば。君さぁ、最初に会った時から思ってたんだけど、
ちょっと行動が問題アリだよ。久々に会ったのに、『じゃ』ってあんまりでしょ。」
「あなたに行動がどうこう言われるなんて思ってもいなかったけど。」
「サヤ、君ね、そういうの、ほんっとかわいくないよ。」
カチン。
別にあんたにかわいいなんて思われなくたって構わないし。
「あたしに何か用事でもあるわけ?ないなら、あたし急いでるんだけど。」
「ありあり、大あり。ちょっとなら時間あるだろ?俺の歌聴いてけって。」
「…冗談やめてよね。今ビートルズなんて聞きたい気分じゃないし、
あんたの歌声もぜんっぜん聞きたくない。」
「いいじゃん、1曲だけ!最近サヤの感想聞いてないなーって思って、わざわざ待ってたんだぜ?」
あたしが彼の弾き語りを聞かせられた後のコメントは、
大抵いつも同じ、「ビートルズに失礼だと思うよ。」だけだったのに、
打たれ強いというかしぶといというか執念深いというか。
ここで口論しても面倒くさいだけなので、1曲だけつきあってやることにして、
あたしとトキオは中庭のベンチへ向かった。

先輩も、弾き語りの得意な、ギターの上手なひとだった。
時間があると、あたしの聞きたい曲を、何回でも弾き語りしてくれた。

いそいそとギターケースを開き、トキオは宝石ギターを取り出した。
久しぶりに、しかも暗闇の中で見たのに、相変わらずタメイキが出るほど綺麗だった。
トキオには勿体無い。
でも、じゃあトキオ以外の誰にこのギターが似合うだろうかと考えると、
誰も思い浮かばないのもほんとうだった。

今日は何の曲だろう。
あたしが部室に顔を出さなくなるちょっと前にハマってた「Please Please Me」かな。
それとも、いつも最低な出来だった「のっぽのサリー」かな。
「And I Love Her」だけは今は聞きたくない気分なんだけど。
ふと、いつもトキオに聞かせられていたせいで、
ビートルズに詳しくなってしまった自分に気がついて苦笑いした。

仏頂面のあたしを微塵も気にせずに、トキオは優しくギターを抱きかかえた。
外灯のオレンジの光をかすかに受けて、宝石がちらちら光った。

そして、
すぅ、と息を吸い込んで、ゆっくりと弾き出した彼のメロディは、
ビートルズのアルバムのどこにも収録されていない曲だった。
…え?、と思いふっと顔を上げると同時に、トキオが歌いだす。

…ベン・E・キング。「Stand By Me」。
先入観や予想や想像を、真っ向から裏切る曲だった。
まさかトキオが、ビートルズ以外の曲を、しかもこんな名曲を、
あっけに取られるほどしなやかに、こんな場面で選曲してくるとは思わなかった。
まだ、彼のオリジナルでも歌いだされた方が納得がいくというものだ。
その上、いつもの音痴はどこへやら、
決してうまいとは言えないまでも、曲の風情を大事にした、いい歌声と、いい歌い方だった。
そう、ちょっと、泣けてくるくらい、さ。
キノコアタマのパイナップルシャツ野郎のくせに、生意気だよね。

No, I won't be afraid, Oh, I won't be afraid
Just as long as you stand, Stand by me, so
Darling, darling, stand by me...Oh, stand by me...

トキオはゆっくりと、2回、繰り返して歌った。
1回目はスタンダードに、2回目は少しジャズっぽいアレンジで。
黄色いギターが、気持ちよさそうに音色を紡ぐ。
トキオは黄色いピックで、何気なく、けれど確実に、一分の狂いもなく弦を鳴らす。
宝石をきらきらさせながら。
綺麗な指先で。
とてもとても、綺麗な指先で。

トキオが、あたしと先輩との話を知ってるかどうかなんて分からない。
どういうつもりで、あたしにギターを弾いてくれているのかも分からない。
昔からこの曲は練習していたのか、突然弾きたいと思ったのかも分からない。
だいたいこんなキノコでパインな奴の頭の中なんて、分かってたまるかって話。
だけど、とりあえず、感じたんだよ、
彼なりの、あたしへの、クサすぎるほどクラシカルな、精一杯の応援を。
多分、自分自身が、落ち込んだ時にでも、弾き語りして、勇気付けられてきた曲なんだろう。
だから、年がら年中弾いている割にはちっとも進歩の見られない、
ビートルズのナンバーよりもずっと優しくて、湿気を含んだ、暖かい歌になっているんだと思う。

もうすぐ最後のサビが終わる。
歌い終わったら、トキオはいつものように、にんまり笑って、
「な?いい曲だろ?」って、得意気に言うんだろうな。
あたしはいつも、うんざりした顔で、
だいたいあたしあんたと趣味合わないし、とか、
ビートルズなんて好きじゃないし、とかぶつぶつ言って、
どうやってあんたを落胆させてやろうかって、あれこれ悪知恵を働かせるんだ。

でも、今日は、いつものあたしのコメントは、ちょっとおあずけにしておくよ。
今回だけはあんたに感謝したい気分。あくまで、ちょっとだけ、だけどね。



「ね、そういえばさ、あたし、ビートルズ、結構好きだよ。」




                                      END