のどあめ。

「新任だからってはりきってんじゃない?月島のやつ。」
「男ならまだしもさぁ、女のくせにしゃしゃり出られてもほんとウザイだけだよね。」

ユキとレイコが、むしゃむしゃハンバーガーにかぶりつきながら、怒ったように言った。
土曜の昼下がり、学校帰りのファーストフード店は、制服姿の中・高生で溢れかえっている。

「ねぇ、ナナコはどう思う?月島。」
レイコが鼻息も荒くあたしに問う。
月島先生が、前人未到の大悪人みたいな口ぶりだ。
「…どうもこうも、まだ先生のことよくしらないし。」
あたしはメロンソーダをちゅるちゅる飲みながら、興味なさそうにそう答えた。

実際、興味はない。
新しくきた音楽の先生が若い女の先生で、しかも美人で、
男子生徒が馬鹿みたいに盛り上がって、
先生をからかったり敬ったりなにかとちょっかい出すその様子が、
全女子生徒(実際には、まぁ9割くらい?)をして「面白くない。」と言わしめていることなど、
ペプシとコーラがどう違うのか、という疑問よりはるかにどうでもいい。
そんなことより、明日オン・エアーされるゲイリー・オールドマンの新作映画の方が気になる。
確か今回は頭脳明晰でセンスのいい渋い悪役だったはずだ。
早く観たい。

「ナナコって、何か、冷めてるよねー。」
レイコが、ふん、と鼻を鳴らして、Mサイズのカルピスウォーターを一気に飲み干した。
「あたしが冷めてるんじゃなくて、あんたたちが騒ぎすぎなんだよ。」
「そう?だって私たち、お金払って学校来てるんだよ?
もっと積極的に学校の教育体制や教師の指導能力について問題意識を持ってほしいなぁ。」
「あああ、やだやだ。そういう教育ママがマスコミとかにやたら文句ばっか投稿したりするんだって。」
「えぇ?私、教育ママみたいなこと言ってる??」
「そこらの教育ママみたいに、どうでもいいことに目くじらたてたがるって言いたいの。」
「どうでもよくないよー。」
それまで黙ってフライドポテトをつまんでいたユキがレイコに加勢した。
「そうだよ、どうでもよくないよ。あの人、絶対自分が綺麗だってこと知ってて、
男子生徒が騒ぐの見て、楽しんでるんだよ。」
ユキが2年越しの思いを寄せている花巻君は、月島先生が赴任してきてすぐに、
「俺、あーゆう年上美人がタイプなんだよね。」と昼休みに友人と大騒ぎをして、
それをユキはばっちり小耳に挟んでしまい、
たちどころに月島先生に対する反感の炎を燃え上がらせてしまった。
「…まぁユキはね、やきもち妬けるのも分からなくはないけどさ。」
子供をあやすような口調であたしがそう言うと、ユキは、
「べ・べつに、花巻君のことは関係ないもん!!」
と、やや自爆気味な反論を叫んで、ぷうっとふくれて黙り込んだ。

「女」になりかけの「女の子」というのは、どうも、すでに女になっている同性に対して、
必要以上に攻撃的な気がする。
あたしはまだ「女」でも「女の子」どっちでもないけれど(しいて言えば女寄り、かな)、
別に、敵対心を感じたり嫉妬したりするようなことはない。
美人?いいじゃない。
才女?いいじゃない。
売女?いいじゃない。
どうあろうと、イイオンナはイイオンナだし、くだらない女はくだらない。
そして、イイオンナでありたいなら、くだらない逆恨みはしないに限る。

でもって、月島先生がどういうオンナであるかはあたしにはまだ分からないし、
それがどうだかも特にこれといって興味はない。
案外、普通の、教育熱心ないい先生かもしれないし、
レイコやユキの言うとおり、美人だからって図に乗ってる嫌な奴かもしれない。
どっちにしろまともな音楽の授業さえしてくれればそれで満足だ。

「でもさ、月島ってば、」
「レイコ、先生呼び捨てにするの、品がないよ。」
「つきしませ・ん・せ・いってば、香水つけてるんだよ?生徒に音楽教えるのに、必要ないと思わない?」
「…香水?」
「うん。夜に彼氏とデートの約束でもあるのかもしれないけど、
だったら仕事終わってからつけたっていいじゃない。」
あたしはちょっと、小首をかしげて考え込む。
「…うーん、それは、確かに、あんたの言うとおりかもね。」

月島先生がいい女かそうでないかは別として、無駄なことをする女は、嫌いだ。
香水をつけようが濃い化粧をしようが、
何らかの目的があるなら全然構わないし、むしろ女らしくていいと思う。
でも、音楽教師が、学校に、香水をつけてくるというのは、不自然だな、と感じた。
必要がないじゃないの。
ピアニストがコンサート当日に爪のばして豪奢なネイルアートしてくるようなもんだ。
必要じゃないこと、は、無駄なこと、だし、
音楽や文学や芸術みたいな「価値のある無駄」は別として、
そういう些細な無駄、は、ほんとうに無駄、であると思う。

なんだかガッカリした。
月島先生なんてどうでも良かったけど、なんとなく、
レイコやユキやその他大勢の女生徒の「邪悪な期待」をスパーンと裏切って、
威風堂々、粋な先生であってほしかった。
身勝手な話だ。
勝手にガッカリされてちゃ、月島先生もたまんないね。



月曜日。
いつも通り登校したあたしは、4時間目に音楽の授業があることに気がついて、
日曜を挟んだおかげで忘れかけていた月島先生の話をふわりと思い出した。
少し、嫌な気分になった。
どうでもいいんだけど、どうでもいいからこそ、その不快感が癪にさわる。

男子生徒は相変わらず朝からそわそわしていた。
だいたいあんた達もいけない。
心の中で野次を飛ばす。
騒ぎ立てる攻め方なんて、三枚目か喜劇役者の特権だ。
プレイボーイはどうかと思うが、せめてもうちょっとスマートにアプローチできないものか。

「ナナコ、このクラス名簿、月島先生の机の上に置いてきてくれない?」
3時間目が終わり、次の授業の準備をみんなががさごそし始めた時、
ユキが黒い表紙のクラス名簿をあたしのところに持ってきた。
「クラス名簿?…ああ、ユキ、今日日直だっけ。」
毎日順番で回ってくる日直当番は、移動教室の授業の際、
クラス名簿を担当の先生へ持っていくのも仕事のうちだった。
「ガキっぽいやきもちだってわからない訳じゃないんだけど、やっぱ、さ。」
「ほんとガキだわよ、そんなの。」
あたしは呆れた視線をユキに向け、それでも名簿を受け取った。
そのくらいなら、まぁいい。
音楽の教科書とルーズリーフをまとめて持つと、一足先に音楽室へ向かった。
音楽室の隣りが音楽教員室になっていて、
そこの机の上に、いつも名簿を置いておく決まりになっている。

コンコン。
音楽教員室の部屋のドアをノックしたが、返事がない。
「失礼します。」
あたしはガラリと勢い良くドアを開けた。
誰もいない。
前の時間の授業が長引いているのかもしれないな。
あたしはつかつかと窓際にある月島先生の机に歩み寄り、
ばさっとクラス名簿を置いた。

そのまま立ち去ろうとしたその時、
小奇麗に整理整頓された机の片隅、猫の形のブックエンドの隣りに、
綺麗なルビー色のガラス瓶が置いてあるのが目に止まった。
大きくも小さくもない、丁度いい感じの大きさのガラス瓶で、
ツタのような緑の葉っぱと赤い果物らしき絵が描かれた生成り色のラベルが貼ってあった。
英語ではない外国語で何か大きく書いてあるけれど、あたしには読めない。
気になったので、辺りをちょっと見回してから、そのガラス瓶を手に取った。
じゃらり、と音がして、瓶の中身が揺れ動いた。
ラベルの隙間から覗いてみると、ビー玉くらいの丸い何かが沢山入っていた。
ガラス瓶を手の上でくるりと回して、ラベルの後ろ側を見てみる。
すると、
『のどあめ(フランス産)』と書かれた小さな値札シールが目に入った。

ああ、のどあめなんだ、これ。
外国語の大きなラベルが貼ってあったから、一瞬何だか分からなかった。
どうも輸入物らしい。(まぁフランス産なんて表記してあるくらいだしね)
明らかに、その辺で売ってるのどあめより値段が馬鹿みたいに高かった。
へぇ、効くのかな、これ。
のど気遣ってるなんて、やっぱ一応音楽教師なんだな、当たり前だけど。

パタパタと廊下を走ってくる音がした。
あたしは慌ててそのガラス瓶をブックエンドの脇に戻したけど、
戻したその瞬間に、月島先生が息せき切って教員室へ飛び込んできた。
まずい、ちょっとだけ見られたかもしれない。
このガラス瓶、いじってたこと。
月島先生は自分の机の前に突っ立っているあたしににっこりと微笑み、
「あ、クラス名簿?ありがとう。」と息を整えながら言った。
それから、少し間をおいて、そのガラス瓶、綺麗でしょう、と言った。

あちゃ。案の定、見られてたみたいだ。

「すいません、勝手にいじって。綺麗だったんで、何かな、と思って。」
「いいのよ、ただののどあめだから。」
「これ、外国のなんですか?」
「うん、フランス産の、いちごのどあめなの。」
「いちごのどあめ?効くんですか、そんなお菓子みたいなので。」
「私には、ね。昔からこればっかり舐めてたから。
美味しいし、喉にもいいし、声はなめらかに出るし、文句ナシの一品なのよ。」
月島先生はチラリと廊下の方を見て、それから、早足で机の側まで近寄り、
いちごのどあめの瓶の蓋を開けた。
「1粒あげる。美味しいし、喉もスッキリするし、なかなかいいわよ。みんなには秘密ね。」
子供じみた先生の言動に少し驚かされながらも、
あたしはいちごのどあめを1粒手の平に乗せてもらった。
形までいちごを模していて、つぶつぶの跡まである。
甘酸っぱい、いい匂いがして、口に入れると、いちご味がほわっと広がった。
むむむ、さすが。高いだけあって、美味しい。
美味しいことや香りがいいことが、
のどあめとしては価値があるのかどうかは判断しかねるが、
とにかく、その綺麗なルビー色のガラス瓶に入れられるだけの価値はあると思った。
月島先生はくすくす笑い、自分は2粒いっぺんに口に放り込むと、
「おいしいでしょ。」と嬉しそうに言った。
その時まじまじと月島先生の顔を見た。
確かに美人だなぁ。
嫌味な、鼻につく美人の顔つきではなかった。
なんての、こういうの、嘘っぽくてあんまり言いたくないんだけどさ、
内面の美しさが、そのまま表情にあらわれた、そんな印象。
でも、月島先生じゃなくとも、こんな綺麗なのどあめをいつも舐めてたら、
誰でもいつのまにか美人になってそうな気がした。

「これ、おいしい、です。」
あたしはなるたけポーカーフェイスを気取ってやろうと思っていたのに、
(だってあめ貰ったくらいで喜んでたら小学生みたいだし)
どうにもニヤついてしまい、うまくいかなかった。

「舐めすぎは良くないんだけど、少しでもいい声で授業したくて、つい舐めちゃうのよね。
授業の合間とか、ホームルームの前だとか。
生徒が持ち込んでるおやつのことなんて、あんまり注意できないわ。」
困ったような顔で、月島先生は小さなタメイキをついた。
…本気で困ってるようにはみえなかったけど。

その時、また、分かった。
月島先生の「香水」は、こののどあめなのだ。
甘酸っぱくて、ふんわりした、ルビー色のガラス瓶に入ったフランス産のいちごのどあめの香り。
先生が、いつもいつもこっそり舐めてる、いちごのどあめ。

レイコのかぁば、と、密かに笑った。

授業始まる前に、急いで舐めちゃってね、と先生に念をおされて教員室を出た。
でも、あんまり美味しいから、勿体無くて、そろそろ舐めた。
きっと、今のあたしは、月島先生とおんなじ香りがするだろうな、なんて考えて、
少し嬉しくなった自分に自分で驚いた。

また今度、こっそり、わけてもらいに行こうとおもう。
多分あたしは共犯者だから、大目にみてもらえる気がする。


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