Something About...
8/30 ひとり英国フェア。
「ひとり江戸川乱歩フェア」とか「ひとりシャーロック・ホームズキャンペーン」とか、
要は勝手に自己完結で何かに盛り上がる
ひとりイベントを良く開催するのだが、
ここ数日間はまさしくタイトル通り「ひとり英国フェア」だった。
と、いうのも、去年の秋口に起こった自律神経系の不調がまた発症して失神を起こし、
「いかん!好きなものに浸って体調を取り戻さねば!!」とかなり焦ったがゆえ。
(ほんとに凹む。自分の身体くらい自分で完全にコントロールしたい。)

…ま、とにかく、どんなフェアだったかとゆーと、
ケンブリッジで購入した英国小説のトビラ絵をデザインした
マグカップに紅茶を淹れ、
チョコチップクッキーをほおばりながら英国が舞台の英国小説を数冊読破し、
フランツ・フェルディナンドを聴きながら雑誌の英国コーナーに目を通し、
英国映画を3本立て続けに観て(『ブリジット・ジョーンズの日記』1,2と『Love actually』)、
湖水地方の旅行ガイドにうっとりし、スコーンを8個くらい食べ、
父への贈り物に
バーバリーのセカンド・バッグを購入し、英国製のケトルを探しまわった。
嗚呼、楽しかった…だいぶ癒された気がする。

それにしても、毎度言うことだが、日本製の市販チョコチップクッキーはまるっきり駄目だ。
あの程度のものをチョコチップクッキーと呼ぶこと自体おこがましい。
チョコチップクッキー・ジャンキーなあたしとしてはすさまじく不満で不快で不愉快である。
適当な
バタークッキーにご機嫌伺い程度の小さなチョコチップをふりかけただけだもん。
もっと美味しい商品を売り出してくれることを切実に痛烈に切迫して願う。

8/28 「何度も呼んでいたんだ 貴方の声を探していた」(♪『スロウレイン』
■先日福島に旅行に行った友人が、お土産を買ってきてくれた。
「絶対気に入ると思って♪」と言って、手渡されたのが、これ(写真左)。

← …凄まじく
妖しい(笑)。
いや、絶対気に入ってるのは間違いないのだが。

どうも、五穀豊穣や魔除けを願う「
豆面」というシロモノらしい。
とりあえず居間のドアにかけてみた。いいことありますように。

■珈琲を飲みながら、女の子が3人出てくるきらきらした物語を読み終えたら、
その物語のなかで鍵となる存在だった『
小公女』をどうしても読みたくなって、
そのまま本屋に行って児童文学コーナーへ直行、一気に立ち読みしてきた。
今まで、もうタイトルからしてつまらなさそう、と思って手にしたことも無かったのだけど、
これがどうして、なかなか面白いじゃないの!
舞台が
英国なのがまたハートをくすぐるのよね。(あたしゃ英国贔屓なもので…。)
いつか完訳版を読みたいな。

今夜はせっかく月蝕だったのに、曇り空でめちゃめちゃ残念。悔しい。むきー。

8/23 「伝えられない事ばかりが 悲しみの顔で駆けぬけてく」(♪『PRIDE』)
■仕事が本格始動する9月に入る前に、ちょっくら感覚を
リハビリして戻しておかないとな、と思い出勤したものの、
やっぱりやる気がおきなかったので(←おい)、
偶然居合わせた先輩と一緒に筑波のケーキ屋さんへ。
(関係ないけど何で今は「つくば」って平仮名で書くのだろう?
 漢字で書いた方が絶対雰囲気あるのに。)
ごろごろと果実ののった黄金のマンゴータルトと濃い目のミルクティーに大分癒された。
「お茶の時間」て、やっぱ大事だよなぁ。考えたり、整理したり、ふっきったり、紡いだり。

■実家は大嫌いだが
地元は大好きなので、たまに、ふらりと足を向ける。
千波湖畔に静かに佇む
近代美術館で、面白そうな企画展をやっていたので、行ってみた。
**『水のかたち』展**
「水」をモチーフにした作品を集めた企画展。
何がぐっとくるかって、各作品からミストのように溢れ出す
涼やかさ」と「冷たさ」。「音」までも耳の奥に響いてくる。
炎天下に火照った身体に、
さぁっと染み入るのが分かる。
この季節に見るには最高の企画だね、グッジョブ水戸!
どんな感想より先に「気持ちいい」が出てくる企画も珍しい。
上の作品は、小野竹喬の「沼」で、福島の五色沼にインスパイアされたらしい。
昭和45(1970)年に描かれたとは思えない
みずみずしさ艶っぽさ
今回の企画展は、年代を見て「え?この時代にこんな澄んだ未来的な絵を!?」な作品が
結構沢山あるのにも驚かされる。いつの時代も「水」の基本性質は変わらないからだろうか。
それから、やはり、「日本の水の風景」には油彩ではなく顔彩が似合う。
湿度や気候や土地の特徴まで汲み取るには、
日本画の手法がしっくりくるのだ。
9/24まで開催されているらしいので、涼みたい方にオススメです。
 → 茨城県立近代美術館HP

■いつも夏は、祖母が待つ田舎で幸せに過ごしてきた。
その、還るべき場所を失ってからというもの、どうにも情緒が不安定でいけない。
あたしはそんなに社交的でも寂しがり屋でもない(と、思っている)のだが、
ひとりでいることのどうしようもない哀しさを感じる刹那は、やはり苦しくて重いものだ。

8/18 考えたくないということは、もう手遅れだということ。
ココナツ風味が大好きなので、タイカレーが好きだ。
なので、先日、ふんすか
レッドカレーを作ってみたらば、
目分量で適当に作ったせいか予想外に沢山できてしまった。
…もーぅ毎日カレー三昧ですよ
(泣)
始:ストレートに
カレーライスにして食べる、
→スパイスと目玉焼きを追加して、
エッグカレーにして食べる、
カレーピラフにして食べる、
→チーズをたっぷりかけて、
焼きカレーにして食べる(最終形)。
写真は最後の焼きカレーです。さっきやっと食べきった…。
美味しかったけど、もう当分カレーはいいや…。

■いやなことがあると、昔から、衝動的に髪を切る傾向がある(クラシックでしょ)。
今日も、突然美容院に予約を入れて、
ガッツリ切ってもらってきた。
本当は、毛先をちょっとだけ切って揃える程度にしてもらおうと思っていたのだが、
もうなんだかいろいろ嫌になって、
「ショートにしちゃっていいです。」、「あ、
アシンメトリーな感じで。」、
「え?てっぺんだけ短くしたらどうかって?…いいです、やっちゃって下さい。」
「襟足部分を全部切る?…いいですねー、どーぞどーぞ。」てな感じで、
だいぶコンサバから離脱したヘアスタイルになってしまった。

どうも、昔から、あたしの
「好きにやっちゃって〜♪」なオーダースタイルは、
(特に)若い美容師さんの創作意欲を刺激してしまうらしく、かなり
挑戦的な細工をされる。
それが
に出る時もあれば、「これで金取って良いのか」的結果につながる時もあるけど、
今回は、吉。美容師さん自身が気に入って興奮して
「これで全体を白に近い金髪にして、トップに赤を入れれば完璧です!」とか言い出すくらい。
…あの〜、アタシの職業お伝えしたと思うんですけど、忘れてますよね(笑)??

でも、ま、やり方次第でコンサバにもまとまる髪型なので、問題ないでしょう。

最近妙に疲れたので、本気で可愛いお嫁さんになりたい気がします。
(こんな髪型にして喜んでる時点で「可愛い」は嘘八百だと暴露したようなもんですが。)
都会の超!高層マンションの最上階か、東北の田舎の小さな庵で、
世間とほどよく隔絶して静かに流れていきたいです。

8/13 ガラスって個体と液体の中間なんだってね。
■結局大事なのは
自分のココロがどう感じているのか、ってことだけなのにな。
オプションに一喜一憂したり、銘柄にひるんでるようじゃ、世の中きつくなる一方だって。
まぁでも、無いものねだりってのが人間の性なのかもしれないからね。なんとも言えない。

■夕方に、近くを流れる
までふらりと出かけた。
水面を渡る
は涼しくて、夕陽の彩に照らし出される草花の影は切絵のように綺麗で、
音も聞こえないほど遠くの空では遠雷がきらきらと
オレンジの光を放っていた。
暗くなって、星が瞬きだして、川と大地との境目が曖昧になる。
夏の夜というのは、いろんなものが暑さで溶け出して混ざり合って熱を帯びる。
楽しみなような、怖いような。

■そういえば、今、深夜2時(←夏休みは生活時間帯がつい学生に戻っちゃう)なんだけど、
まだ外で蝉が破竹の勢いで鳴いてる。しかも、よりによってTeam
アブラゼミ
ここんとこ、きゃつらずっと
オールナイトフィーバーしてるんだけど、
いくら1週間の命を精一杯謳歌したいとはいえ、もう少し夜はムーディになってほしい…。

8/7 「食欲のある男の子は3割はハンサムに見えるのよ」(『卵の緒』)
タイトルは瀬尾まいこの小説の、ある会話部分の引用なのだけれども。
これ、ほんとにそうだなぁ、と思う。
あたしの場合は、食欲があると言うより、「
好き嫌いのない男の子」に惹かれる。
出されたものをぱくぱくと、何のためらいも無く口に運ぶ一連の動作は見ていて気持ちがいい。
それから、
食べ方がきれいなひとにも惹かれる。
仰々しくない程度にスマートに、余分なものは残さず、きちんと全部食べていく。
後に残るのはなーんにも残っていない
お皿だけ。
これはね、ほんとに素敵。そばで見ていて心底感心してしまうのだ。

ふと思い返すと、あたしがガッツリ惚れこむ男は、みんな好き嫌いが無かった気がする。
そして、見た目で判断することもなく、食わず嫌いをするでもなく、
野菜も魚介類も果物も肉も木実もキノコも穀物も、全部、
むしゃむしゃと食べていた。
その姿には、たぶん、いい意味で動物的な強さがあって、
あたしは、自分が若干
な食べ物の好みをしている分、憧憬のような気持ちを抱くのだと思う。
我が家は父も母も好き嫌いが激しかったから、食事の時間は色々と面倒なことも多かった。
でも、何でも食べる男の人と一緒にいると、そういうことを一切考えなくていいから、
清々しくて、逞しくて、気持ちが
すっと通るような気がするのだろう。

まぁ、でも、誰に何と言われようと、
ピーマン梅干は許せないけれどもね。

7/21 時期が来たら、ってそりゃあんた、今だってばさ。
こっちに来てから、五感は確実に明敏になったと思う。
朝の
空気の温度とか、の濃淡の変化とか、の匂いとか、の動きとか。

先日は、ベランダで「ぶぶぶぶ…」という、何かが羽ばたく音が聞こえてきて、
何だろうとひょいと覗いたら、本物の
玉虫が不時着していた。
隣りの畑から来たんだと思うけど、生きた玉虫って久しぶりに出会ったもんだから、
「おぉぉお!!」と感動の雄叫びをあげてしまった。
夏の陽の光を浴びてきらきらと
に輝き、宝石のように美しかった。
←ちなみに日本にいる玉虫はこんな。
正式名称は
ヤマトタマムシというらしい。
角度を変えるとこのきらめきの色合いも変化して、
情熱的な
オレンジのグラデーションや、
鮮やかな
メタリックブルーになったりもする。
どうしてこんな綺麗な虫が生まれたのだろうなぁ。見事だ。
…でも、まだまだ虫と遭遇するとビビッてしまう。
昔から虫は怖かったけど、それでも、
イナゴカマキリ尺取虫も掴めたのにな。
(カマドウマとコオロギと蝉は昔も駄目だった。あの蛇腹とたくましいアキレス腱が許せない。)
何で人間(特に女子)って、自分よりはるかに小さくて力も弱い昆虫を、
無敵の殺人マシンか何かのように怖がるのだろう、とふと考えて、

1、何を考えているか分からない・表情や感情が読めない。
2、予測できない動きをする(突然飛んできたり、凄まじいスピードで動いたり)。
3、哺乳類や爬虫類と外見が違い過ぎて、未知なるモノへの恐怖心をかきたてる。

の、3点が大きな要因なのではないかという結論に至った。
なんにせよもう少し奴らの存在に慣れたいな。。。

7/16 気流をつかまえれば、あの町なんかすぐさ。
あっという間に7月も後半戦突入ときたもんだ。

<最近の屈辱>
仕事に適した服を現在
まったく持っていないために、
服屋に行くたび、自分の趣味の服ではなく無難な
職場用ウェアを探さねばならないこと。
先日なんか、せっかく
セールやってるマルイに赴いたというに、
購入品の9割が職場用というこの悔しさよ。きぃー。
(しかも、普段そういうコンサバな服を着ていると、たまの休みになっても、
 以前着ていた服をどう着こなしていいかとっさに判断がつかない。)

<最近の職場>
だいぶ夏めいてきました。
先日は、かーなーり、でっっかい
西瓜
バケツにぷかりと浮かんで冷やされており、
頂いてみればその甘いのなんのって!!
蚊取り線香(クラシカル版)も登場し、
すっかり田舎のおばあちゃんち気分。

それにしても、凄まじく忙しいのだけどこれは果たしてスタンダードなのか否か…。

7/7 星降る夜に。
七夕ですね!七夕ですとも!!
…別に派手に騒ぐようなイベントでもないけど、なんとなく。
去年の七夕の日記を見たら、社会人の友人と
東京タワーに遊びに行った事が書いてあった。
一昨年の七夕は、どうやら
グリーンカレーを作ったらしい。
その前の七夕はレポートやらプレゼン準備やらで
てんてこまいだったっぽい。
更にその前は七夕と生贄の牛の話を書いていたようだ。
ま、つまり、どういうことかって言うと、このHPで日記書き始めてから
5年が経った、ってこと。
5年だぜ?5年。そりゃぁ色々変わるわいな。

■さっき、たまたまテレビでナイト・シャラマン監督の『
シックス・センス』を流していた。
久々に見たけど、あれ、作品としてはかなりいい出来だと改めて思った。
物語の内容云々以前に、
絵画を思わせる画面構成が秀逸だ。
(だからこそ、その後の作品の堕ちっぷりが尚更痛ましい。)

■最近、父と話していたら、ふとした瞬間、生前の
祖母と瓜二つの口調になって驚いた。
そういえば、瞳の感じや、ちょっとした表情もこのところとみに祖母に似てきた。
父は祖母の息子なわけだから当然と言えば当然なのだけれど、
そうと分かっていても一瞬胸をつかれて息をのんでしまう。

魂とは、こうして、受け継がれていくものなんだろうと思う。
「彼女の存在」は、姿を変えながら
次の命へ流れていく。
そしていつか、私は祖母に良く似た父とそっくりに歳を取るだろう。
つまるところ、彼女のスピリッツはあたしのなかにそのまま息づいているのだ。
だからこそあたしは、祖母のように優しく、父のように穏やかに、
その魂を次へ託せるよう自分を大切にして生きねばならない。

7/3「Hey you, I think you need a new one.」(『Girlfriend』/Avril Lavigne)
瞳そのものの美しさ、というよりも、目線の強さ、にあたしは惹かれる。
ふとした瞬間の、まさに「射抜く」視線というのは、実に鮮やかに意識に残る。
(※ちなみに、現代では「視線」も「目線」も同じ意味で使う傾向にあるらしい。)
「邪視」なんて概念が生まれたのも非常に納得だ。
だって、凛々しい目線は、実に見事に相手を窮地に立たせるもの。そう、
刹那のうちに。
時間には限りがあって、いのちにも限りがあって、
そしてその事実はあたしに一種破壊的な力を与えてくれる。

そういえば、もうすぐ自分用の車を買う予定だ。
勿論新車で買う余裕なんて無いから中古車だけど。
でも、赤くて、まっすぐな顔をした、実に
キュートな娘なのだよ。
(運転へただけど)運転するのが楽しみだ。早く逢いたい。

7/1 「こわして なおして わかってるのに それがあたしの性格だから」(『そばかす』)
いいこと
、は、たくさんある。いやなこと、も、もちろん、すこしくらいは。
まぁ、総じて楽しい。おおむねあたしはあたしのまんまで生きている。
でも、ま、そういう魅力を体感しているとはいえ、今のストレートな気持ちとしては、
どっかで区切りをつけて、次のせいかつにシフトしていきたい。うむ。

今の部屋は、隣りが
と小さなという、実に素敵な環境なのだが、
その分、都会ではついぞお目にかからなかった
妙な虫があちこちに潜んでいたりする。
網戸の隙間から入ってくる小さな羽虫なんかも、割といる。
でも、例えば
台所とかだと、殺虫剤使うのもなんだか気が引けるし、
かと言ってそのまま羽虫を放置しておくのも気が散ってしょうがない。
            なので。
ナチュラル〜に、かつしっかり羽虫ちゃんを捕ってもらおうと、
食虫植物を買ってきてみた。その名もハエトリソウ。
早速台所の出窓部分に置いてみたところ、
さっき早くも小さな虫を捕食していた。
恐ろしや!!
…しかし頼もしや(笑)。

そうそう、ちなみに、下の日記で書いた
バオバブは、やっとこさ芽が出てきました。

6/24 軽く聞き流す強さ、それだけじゃ終わらせないしたたかさ。
ちょいと仕事(のようなもの)で、新潟は越後湯沢の方に3日ほど行って来た。
新潟なんてどんだけ遠いんだろう、と思っていたら、意外と
あっという間なのね。
新幹線なら上野からほんの1時間ちょっと。
しかも列車の名前は「
とき(朱鷺)」ときたもんだ。素敵。

左:駅前の足湯

中:蕎麦!!

右:コシヒカリキューピー

3日間とも基本はホテルに缶詰めだったんだけど、チョロリと外出も出来まして。
帰りの新幹線の切符を買いに駅まで出たついでに、誰もいない
夜の足湯で一休み。
やっぱり温泉街って好きだ。雰囲気も、ひとも。
そういえば、未だに密かに、東北の温泉旅館の後継ぎ息子に出逢うことを夢見ている。

新潟といえば
お米が有名だけど、ホテルごときで出たご飯でさえすっごい美味しかった
なんての、ふっくらつやつやしていて、更に、
甘いの。おかずがいらない位美味しい。
ついでに、水もいいからか、蕎麦もたまらなく旨かった。夢中で食べちゃったもん。
蕎麦の風味がしっかりしていて、かつ、ちゅるりとしたのどごしも最高。

きちんと
ひと自然が共生している土地から帰ってくると、いつも、妙に落ち込んでしまう。
自然のちからが強い土地は、ひとがどんなに全力で
近代化を図ろうとしても、
ちゃんと自然がその
乱暴さを飲みこんでくれて、結果としてバランス良く町が整う。
その感じ、が、たぶん、あたしはたまらなく好きなのだ。
だから、そこから離れると、カラダのスイッチを切り替えなければならなくて、凹むのだろう。
あの、緑や空や水や土や石が恋しくて、混んだJRの電車に乗っている自分が馬鹿に思える。

次の場所を、常に意識して、考えて、手段を身につけていかなければと思う。

6/17 その隙間を縫って行け。
友人から、『バオバブの木の種』をもらった。
かたくて小さい、大豆のような形の種。
発芽させるためには、まず、白い種子が見えてくるまで、
根気良くかたい種の殻を紙ヤスリで削らなければならない。
で、今度はぬるま湯に24時間浸し、
そうしてやっと土に浅く埋める事ができる。

←大きくなったバオバブはこんな。

…はやく、芽が出ないかな。
6/13 瞬間的に掴める感覚。カラダが覚えている。
ここのところ、良くも悪くもいっそがしい毎日を送っている。
やることが多過ぎて、何をやるべきか分からないくらい。
それでもまぁ、精神的な疲れではなく物理的な疲れだってところがせめてもの救いか。
いろいろ、考える事も多かったり。見えてきたものも多かったり。
でも、芯さえぶれなきゃ大丈夫だな、って確信は失くしてない。
何かあったら、身ひとつで次の場所へ行ける準備は、常にしておきたい。
Besides、広い視野と謙虚さを見失わないように。

ちょっとした言葉の端々から、目の前にばぁっと浮かぶ光景がある。
2階へ続く階段だとか、朝の匂いだとか、他愛もない景色ばかりなのだけれど。
あの時に私のなかを流れていたスピリッツは、今、まだ、同じ血管を巡っているだろうか。

6/3 そっから先へ、踏み込んでいく気力、そう、たぶん、気力。
どうやら新居でもビルダーが作動することが確認できたので、
そろそろこっちでの日記更新を再開することにした。
何か落ち着くんだよな、こっちだと。
Blogだと、どうも「日記」というより「おしゃべり」になってしまう。

新居の近くで、新しく喫茶店の看板が出ていることに気付いた。
ふらりと入ってみたら、これがとってもいい雰囲気。
店内を流れる
Jazz、ほど良く使い込まれた木のテーブル
自家焙煎の珈琲の香ばしい匂いが辺りに漂い、
カウンターの向こうには穏やかなマスターが笑顔を浮かべている。
2階の窓から下の通りを眺めつつ、ケーキと珈琲を堪能。
更に、雰囲気がいいので読書も快適。1冊読破。

素人のお店じゃないだろうと思っていたら、やはり、
以前は別の場所で喫茶店をやっていて、最近移転してきたらしい。
もうかれこれ35年近くになるとのこと。
こういう雰囲気のお店ってほんと大事。足繁く来ようと思った。