ヨハン・シュトラウスについて 


 

19世紀にウィーンで活躍したヨハン・シュトラウスは、「ワルツ王」として世界中にその名を知られ、今でも「ヨハン・シュトラウスを知らなければウィーンを知っていることにはならない」とウィーンっ子が自慢するほど、この「輝ける都」の代名詞になっています。

「ラデツキー行進曲」で有名な父親のヨハン・シュトラウス一世は、ウィンナ・ワルツの創始者と言われ、ヨーゼフ・ランナーとともに舞踏音楽に革命をもたらした人物でしたが、自分の息子が音楽家になることは望んでいませんでした。やがて成長した息子が父親の意に反して、父と同じスタイルの「ヴァイオリンを演奏しながら華麗に指揮をする」というやり方で、指揮者としてデビューすると怒り、それを許すことはなかったといいます。

しかし、若くして亡くなった一世に代わり、ヨハン二世は、その情熱的な演奏と才能豊かな作曲で、たちまち聴衆の熱狂的な支持を受けることになりました。「美しく青きドナウ」「皇帝円舞曲」「ウィーンの森の物語」など、国民の心の琴線に触れる音楽を作り続け、やがては「ワルツ王」「ウィーンの太陽」「ウィーンのもう一人の皇帝」とまで言われるようになっていきました。

現在でも世界中でヨハン・シュトラウスの音楽は愛され続け、毎年、ウィーン・フィルが元旦に演奏するニューイヤー・コンサートでは、ほとんどが「ワルツ王」の曲であるにもかかわらず、各国に衛星中継され、高視聴率をあげています。