渋谷
金王八幡宮(渋谷城址)
所在地: 渋谷区渋谷3−5−12(渋谷駅 徒歩5分)



 金王八幡宮(渋谷城)
 


 僕の生まれ育った渋谷にもお城があった。それが、渋谷城である。
 渋谷から六本木通りを北上、渋谷二丁目交差点を右に曲がってすぐのところ。そこは現在、金王八幡宮となっている。
  まさか、こんなところに城跡があるなんて、ほとんどの人は知らないに違いない。実際、僕もそうだった。
   



渋谷二丁目交差点
 


 石造りの鳥居がある。
 実を言うと、この辺りは個人的に思い出深い。何しろ、僕が大学を卒業して最初に勤めた会社のすぐ裏に位置しているのだ。会社のお花見をこの神社でしたこともある。にもかかわらず、城跡の存在に気づきもしなかった。
  



金王八幡宮鳥居
 


 渋谷城は渋谷氏の居城であった。渋谷氏の祖・河崎基家によって建てられている。金王八幡宮も1092(寛治6)年に彼によって創建されている。 当初は、単なる「八幡宮」あるいは「渋谷八幡宮」といった。
 その後、基家の子・重家が堀河天皇(1079〜1107/在位1087〜1107)より渋谷姓を賜った。子のできなかった重家が、夫婦で八幡宮に祈願したところ、金剛夜叉明王が妻の胎内に宿る夢を見て男児 を授かった。そこで、生まれた子供を「金王丸」と名付けたという。
 この、渋谷金王丸常光 (1141〜85)は、 後に源義朝(1123〜60)に仕えている。「平治物語」によると、義朝の妻・常盤御前(1138〜)に義朝の死を伝えた人物とされる。平治の乱の後、出家し土佐坊昌俊と名乗り源頼朝(1147〜99)に仕えた。

 なお金王八幡宮は、2011(平成23)年が御鎮座920年、御社殿造営400年、金王丸生誕870年の節目の年であったそうだ。
   



 


 それだけ由緒のある神社だけあって、門と社殿、渡り廊下が渋谷区の有形文化財に指定されている。門は1769(明和6)年とも1801(享和元)年の作ともいわれる。
  



金王八幡宮門
 


 門の手前の右の植え込みに、「明治38年戦役記念碑」が建っている。「明治38年戦役」とは日露戦争(1904〜05年)のことで、終戦後の1906(明治39)年8月、凱旋軍人によって建てられた。揮毫したのは乃木希典大将(1849〜1912)である。何でも、乃木希典の先祖・佐々木房義に、金王丸の兄弟である渋谷重国の娘が嫁いでいるのだという。
   



明治38年戦役記念碑
 


 門を潜って境内に入る。
 突き当りの社殿は1612(慶長14)年に造営が開始されている。 徳川家光(1604〜51)が三代将軍に決まった際に、その乳母・春日局(1579〜1643)と教育役であった青山忠俊(1578〜1643)によって造営が始められた。
    



社殿
 


 社殿の右手には渡り廊下が付属しているが、残念ながら現在改修中。神社の人の話では、8月20日に完成する予定とのことだ。
   



渡り廊下(現在改修中)
 


 境内の見所としては、渡り廊下の手前にある金王桜がある。土佐坊となった今王丸は、頼朝によって源義経(1159〜89)の追討を命じられる。1185(元暦2)年10月17日、土佐坊は約60騎を率いて、堀川にある義経邸を襲撃する。だが襲撃は失敗し、捕らえられた土佐坊は斬首されてしまう。そのことを悼んだ頼朝によって 、金王桜は鎌倉からこの地に移植された。現在渋谷区の天然記念物に指定されている。
 
   



金王桜
 


 金王桜の前には松尾芭蕉(1644〜94)の句碑。1817(文化14)年建立。

   しばらくは 花のうえなる 月夜かな
   



芭蕉の句碑
 


 金王八幡宮が渋谷城であったことを示す縁はほとんど残っていない。ただ、社殿の左前に置かれた砦の石があるだけだ。
 渋谷城は、1524(大永4)年、北条氏綱(1487〜1541)の関東攻略の際の戦場となり、北条氏によって焼かれてしまった。
   





渋谷城砦の石
 


 さて、境内に目を移すと、神殿に向かって左手に神楽殿がある。
   



神楽殿
 


 神楽殿の手前には摂社・玉造稲荷神社。1703(元禄16)年創建。宇賀御魂命(うがのみたまのみこと)を祀る。
  



玉造稲荷神社
 


 さらに右手手前には御嶽神社。櫛真知命(くしまちのみこと)、少名毘古那命、大己貴命(おおなむちのみこと=大国主命)、日本武尊を祭神とする。「開運」「商売繁盛」の神だという。
   



御嶽神社
 


 右手には社務所と宝物館がある。宝物館の展示物の中では神輿が見物。鎌倉時代の作で、都内に現存する最古の神輿といわれる。江戸時代初期、当時金王八幡宮の氏子であった青山百人組の人たちが、鎌倉八幡宮の大祭に参詣の際、八幡宮の神輿を担ぎ出し、そのまま持ってきてしまったものだという。当時の鎌倉七神輿の一つといわれる。
   


宝物殿


都内最古の神輿
 


 金王丸御影堂は、金王丸を祀っている。ここには金王丸の木像が収められている。金王丸が保元の乱(1156年)に出陣の際、自分の姿を彫刻し母に残したものだという。毎年3月末の土曜日に行われる金王祭の際に開帳されるとのこと。
   



金王丸御影堂
 


 金王八幡宮の西側は公園になっている。僕は会社員時代、営業職だったのだが、よく外回りの帰りにこの公園で一息ついてから会社に戻ったものだった。
     



西側の公園


公園から観た神殿
 


 西側の鳥居から通りに出る。道を挟んで、豊栄稲荷神社(とよさかいなりじんじゃ)がある。
   



金王八幡宮西の鳥居


豊栄稲荷神社
 


 豊栄稲荷神社は鎌倉時代、金王八幡宮を創建した川崎基家の曾孫の渋谷高重(〜1213)によって創建されたそうだ。もともとは渋谷川の辺、現・渋谷駅の辺りにあり「田中稲荷」「川端稲荷」といった。その後、何回か場所が遷され、1961(昭和36)年に現在地に遷り豊栄稲荷神社となった。
  



豊栄稲荷神社
 


 豊栄稲荷神社の鳥居を潜ると、中には朱塗りの鳥居が10数基並んでいる。
   



朱塗りの鳥居
 


 その朱塗りの鳥居のすぐ脇には、古びた石塔が11基建つ。「庚申石塔」である。
 



庚申石塔
 


 それらは江戸時代中期に庚申信仰によって建てられたもので、三猿やら神様の姿が掘られている。渋谷川の辺にあった頃に設置されたものが神社と一緒に移転された。
    





庚申石塔
 

 
 庚申石塔の脇には庚申塔略記が建つ。また、「神社由緒の碑」も。
   



神社由緒の碑と庚申塔略記
 


 豊栄稲荷神社の社殿は1972(昭和47)年の創建。
  



社殿
 


 1975(昭和50)年に建てられた「蔵脩館」は、研修道場。書家の氏家史山(1911〜77)が「礼記」の「蔵・脩・息・游」より選んだ言葉だそうだ。
  



蔵脩館
 


 金王八幡宮近辺を歩いても、在りし日の渋谷城の姿に思いを馳せることは難しい。だが、見所も多く、いい雰囲気の場所である。一度は訪れる価値があるだろう。
        

(2013年5月6日)


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