豪徳寺
世田谷城址
所在地: 世田谷区豪徳寺2−14−1(東急世田谷線宮の坂駅下車徒歩5分)



 世田谷城址
 


 日本100名城は日本城郭協会が選んだもので、当然基準から外れて漏れてしまったお城も相当数存在している。例えば東京のお城で選ばれているのは江戸城八王子城の2つだけ。しかし選ばれていないお城であっても、面白いものがたくさんある のだ。なかなか遠隔地のお城には行けないので、都内のお城を訪ね歩こうと思う。そこで、世田谷区豪徳寺にある世田谷城へ行った。
 
 世田谷城へは東急世田谷線の宮の坂駅から歩いて5分程である。また、小田急線豪徳寺駅からも10分程度で行ける。
    



世田谷城址公園
 


 世田谷城の跡地は「世田谷城址公園」となっている。
 世田谷城は、14世紀後半に吉良治家が居住したのに始まるという。その後、吉良成高が城として整備した。吉良氏は北条氏と婚姻関係を結んでいたが、1590 (天正18)年の小田原征伐の際に豊臣秀吉(1537〜98)によって廃城となった。世田谷城の石材は、江戸城改修の際に利用されたそうである。
 したがって、建物等は何も残らず、遺構もほとんどない。
 
 世田谷城址公園は1940(昭和15)年に、世田谷区内唯一の「歴史公園」として開園。東京都指定の史跡となっている。公園の入口には そのことを示す古い石碑が建っていた。 
          



世田谷城址の碑
 


 かつては隣接する豪徳寺の辺りまでが城の敷地だったようだが、現在の城址公園自体はそんなに広くない。
     



廓跡への石段
 


 小高くなった廓跡へ登ってみた。
 特に何もない。
 ツツジが綺麗に咲いている。
       



廓跡


廓跡
 


 唯一の遺構といえるのが空堀と土塁。
   





空堀と土塁


土塁から空堀を見下ろす
 


 世田谷城は結局のところ、公園として整備されてしまっていて、往時を偲ぶのは難しい。ところで「Wikipedia」によると、すぐ西の豪徳寺住宅脇は「良く旧態を留めている」とあったでそちらのほうにも行ってみた。
  



豪徳寺住宅
 


 団地の脇に土塁の跡があった。もっとも、緑が生い茂っていてよくわからなかったのだが…。
   





住宅脇の土塁
 

 
 世田谷城の本丸は現在の豪徳寺の辺りにあった。次に豪徳寺を観てみたいと思う。
  



豪徳寺参道
 

(2013年5月3日)


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