面影橋
山吹の里の碑
所在地:豊島区高田1−18−1(都電荒川線面影橋駅)



山吹の里の碑
 


 都内ではもう数少なくなった路面電車のうちの一つ都電荒川線。その荒川線の駅を終点の早稲田駅から出発して次の駅が「面影橋」。そのすぐ近くに「山吹の里」の碑が建っている。
 
 「山吹の里」は次の伝説に基づいている。後に江戸城を造る太田道灌(1432〜86)が、鷹狩りに出かけた際ににわか雨にあってしまう。付近のみすぼらしい民家に立ち寄って蓑を借りようとしたところ、出てきた少女は山吹の花一輪を差し出した。
 道灌は意味がわからず怒ってしまったが、後に「後拾遺和歌集」で中務卿兼明親王(914〜87)が詠んだ和歌、

 七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだに無きぞ悲しき

という和歌を踏まえ、「実の」と「蓑」を掛けていたということを知る。古歌を知らなかったことを恥じた道灌は、それ以後歌道に励んだという…。
 
 この場所から、もっと東のほうに行ったところに新宿区山吹町があり、そこからこの辺りまでの一帯を通称「山吹の里」といったそうであるが、それもやはりこの伝説にちなんだもの。近くには「山吹の里公園」もある。
 ただし、この話の舞台となったとされるのは、ここに限らず、荒川区町屋、横浜市金沢区六浦、埼玉県越生市などの各説があってはっきりしない。ちなみに越生には「山吹の里歴史公園」がある。
 
 もちろん、どこが正しいかをここで詮索する必要は無いし、各場所についてはそれぞれ思い入れがあって良いと思う。僕はこの場所からほんの数分の所に住んでいるのだから、当然豊島区高田説に全面的に賛成である。
 この「山吹の碑」は1686(貞享3)年に建てられたもので、最初は面影橋の辺にあったそうだ。
 



オリジン電気の太陽光・風力発電システム
 


 「山吹の里」の碑のすぐ隣には何やら不思議な塔が建っている。すぐ隣は「オリジン電気」の本社なのだが、説明書きを見ると、「クリーンエネルギー 太陽光・風力発電システム」とある。なるほど、一番上のプロペラのようなものは風力発電機で、その下のパネルは太陽電池なのだろう。風が吹くと風力発電機が回りだすが、なんとものどかな光景。でも、これでも300Wの電力が作られるそうである。
 


面影橋
 

 「山吹の里」の碑の目の前にある川は神田川で、そこにかかっている橋が「面影橋(俤橋)」。面影橋は別名「姿見の橋」ともいうが、古来場所については諸説あり、すぐ北側にあった別の橋のことをさすのだとも…。さらにこんなロマンティックな名前の由来にも、様々な説がある。
 


面影橋から見た神田川
 

 在原業平(825〜80)が、鏡のような川面に姿を映したからという説や、鷹狩りの鷹をこの辺りで見つけた徳川家光(1604〜51)が名づけたという説もある。一番有名なのは、近くに住んでいた和田靭負の娘・於戸姫が、自分の美しさゆえに周りの男たちが争うのを嘆き、この橋から身を投げたという説である。
 もっとも、現在の面影橋はそんな伝説とも無縁そうな、コンクリートの橋になってしまってはいるが…。
  


面影橋駅と都電荒川線
  

 神田川といえば、南こうせつとかぐや姫の代表曲「神田川」が名高いが、同じくフォークソング・グループのNSPが歌った「面影橋」も名曲である。


  君には君の愛する人が いつもそばにいるのに
  僕の口づけをうけた わけがわからない
  黄昏せまる面影橋に 見送るつもりで来たが
  帰したくなくなって さよならが言えない
  ルールも友達も約束もみんな捨てて
  君を ああ このまま抱いていたい 面影橋で
 



山吹の里公園
 


 最後に山吹の里公園に来てみた。山吹の里の碑から東に歩いて5分ぐらいのところにある小さな公園である。
 というか、ここって僕の家から徒歩2分もかからない公園じゃんか。そんな由緒ある名前だなんて今まで全然知らなかった。
 


 
 


「七重八重…」の歌が刻まれている
 

 よく見たら、「七重八重…」のあの和歌が刻まれた石碑もあり、確かに山吹の里にちなんだ公園である。 
 

(2006年5月 4日)


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