小川町
交通博物館
所在地:千代田区神田須田町1−25(秋葉原駅徒歩5分)
HP:http://www.kouhaku.or.jp/
入場料:一般310円 4才〜中学生150円
開館:9:30〜17:00 月曜閉館
(2006年5月14日閉館)




交通博物館
手前は万世橋
 


 交通博物館が70年の歴史を閉じるというので、閉館の4日前に駆け込みで訪問した。

 GWの連休中、たまたま中央線の電車内から交通博物館を見たところ、ものすごい行列が出来ていた。やはり、最後となるとみんな見に行きたくなるものなのだろう。
 この日は平日だったのでそこまで混んではいないとは思うが、念には念を入れて開館30分前の9時に着くように家を出た。ところが、地下鉄が人身事故で止まってしまい、結局着いたのは開館10分前。すでに開場した後であった。幸いすぐにそのまま中に入ることができたが、予想通り、場内はものすごい混雑ぶり。
 



D51型蒸気機関車(左)とO系新幹線
  


 交通博物館の玄関には、D51型蒸気機関車とO系新幹線の先頭部分が飾られている。それを横目に、券売機でチケットを購入し、入場する。
 入り口ではチケットと引き換えに切符を渡してくれた。「交通博物館さよなら記念」とあり、万世橋駅が閉鎖された1943(昭和18)年当時の切符を参考に作成されたとある。万世橋駅は、1912(明治45)年から1943 (昭和18)年まで約30年間この交通博物館の地にあった中央線の駅である。現在の交通博物館横の線路の赤レンガに当時の名残りを留めている。交通博物館の前身「鉄道博物館」ができたのは1936(昭和11)年。当初は万世橋駅に併設していた。
 その博物館も今年で70年目。老朽化によって閉鎖されることになったのである。
  



「交通博物館さよなら記念」切符
 


 万世橋当時の遺構は博物館内の随所に見られる。中2階に休憩コーナーがあるが、そこにあがる階段は万世橋駅当事のもの。また、コーナーの窓から外を見ると、当時のまま保存された階段が見られる(写真下)。
 今回、交通博物館が閉館するということで、普段は入れない他の遺構にも事前予約すれば入れたそうなのだが、すでに閉館までの定員がいっぱいで受付終了しているとのこと。もっと前に知っていればよかったと後悔。
  



万世橋の階段
  


 それにしても、交通博物館に入ってびっくりしたのは、コアなファンのあまりの多さ…。ほとんどの客(そこには僕も含まれる)がカメラを構え、あちらこちらを撮影している。写真撮影可の博物館は別に珍しくもないのだが、こんなにみんなが揃ってというのは初めて見た。
 みんな、この博物館の姿を残しておきたいのだろう。
  



C57系蒸気機関車
 


 博物館の中央には2台の蒸気機関車が所せましと並んでいる。さらに、鉄道の模型や、様々な備品が飾られている。そうした資料だけでも相当にボリュームがある。
 


 
 


機械連動機
 
 
 また、パノラマ模型運転場は、80分の1の精巧な鉄道模型セットで、その中を電車の模型が行き交う。
 



パノラマ模型運転場
 


 さらに、一番人気は、運転体験ができるシミュレータで、どこも長蛇の列であった。
 すでにいい歳したおじさんなどが、夢中になっているのが微笑ましい。
 



運転体験シミュレータ
 


 交通博物館が展示しているのは鉄道関係資料だけではない。
 2階は船と自動車、3階は航空機と未来の交通である。
 



手前がアンリ・ファルマン機
奥はベル47 D−1型ヘリコプター
  


 1階から3階までは吹き抜けになっているが、その天井には飛行機とヘリコプターが吊り下げられている。日本で最初に飛んだアンリ・フォルマン機と、わが国初期のヘリコプター「ベル47 D−1型」とのことである。

 3階の展示で興味深かったのは、「あすの交通」ということで、リニアモーターカーの模型の展示。実際に動かすこともできる。走行中を撮影しようとしたが、あまりの早さにファインダーを通りすぎてしまった(笑)
  



リニアモーターカー模型
 


 こんな感じで最初で最後の交通博物館。たっぷり楽しむことができただけに、閉館となるというのは何とも残念である。

 だが安心していい。2007年10月14日(鉄道の日)には、交通博物館の収蔵品を引き継いだ「鉄道博物館」がさいたま市にオープンする。だから、その日を楽しみに待つことにしよう。
  



昌平橋仮駅の跡地
 


 鉄道博物館を出てから、昌平橋のほうへ歩いてみた。
 
 かつてはこの昌平橋の辺りにも中央線の駅があった。御茶ノ水から万世橋まで中央線を延長するに当たり、1908(明治41)年4月19日昌平橋仮駅が開設され、御茶ノ水間の路線を仮開業している。1912年に万世橋駅が開設するまでのわずか4年間の生命であった。4年の歳月をかけて建設された万世橋駅は、中央線のターミナル(終着駅)にふさわしい堂々とした駅舎であったことが、残された往時の写真からも想像できる。だが、1919(大正8)年に中央線の万世橋〜東京間が開業したことで、万世橋駅はターミナルとしての使命を終え、第二次大戦中の1943年には駅そのものも廃止となってしまう。
 昌平橋駅もレンガが往時の面影をわずかに残すのみ。まさに、「つわものどもが夢の跡…」である。
   

(2006年5月10日)

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