大阪市
道頓堀
所在地:大阪市中央区道頓堀(地下鉄なんば駅他)
HP:http://www.dotonbori.net/



相生橋より道頓堀を望む
  


 2003年に阪神タイガースが18年ぶりにセ・リーグを制覇した際に、道頓堀に飛び込む人たちの映像がテレビのニュースに映し出された。1985年の前回優勝の際もやっぱりそんな乱痴気騒ぎが繰り広げられていたっけ。
 1985年の優勝の際には、ケンタッキー・フライド・チキン道頓堀店のカーネルサンダースが道頓堀に投げ込まれ、その呪いによって18年間、阪神は優勝できなかったと言う都市伝説があったりする
(注:ケンタッキー・フライド・チキン道頓堀店は現在は閉店)
 
 道頓堀とは大阪市を流れる木津川と東横堀川を結ぶ全長2.5キロの運河のことで、その付近の町名にもなっている。ここには飲食店街が集中し、日本有数の歓楽街である。数多い大阪のシンボルの一つであり、ここに来ずして大阪に来たとは言えない。
 



戎橋より見たグリコの看板
現在は飛び込み防止のための柵が取り付けられている。
 


 2006年3月29日甲子園球場における選抜大会での母校応援のために僕は大阪にやってきた。ホテルを日本橋(にっぽんばし)のビジネスホテルに取り、甲子園に通うかたわら道頓堀をしばしば訪れた。
 
 巨大な看板が乱立(写真下)する道頓堀通はまさに大阪! といった感じがする。
 


かに道楽(本店)
  

くいだおれ


金龍ラーメン


づぼらや
  

 今回の滞在中は、甲子園で再会した同級生などと、梅田あたりで食事をすることが多かったので、残念ながら道頓堀のこういった類の店にお世話になることはなかったが、以前訪れた際に「くいだおれ」に行ったり、屋台のたこ焼きを食べたりしたことがある。
 



法善寺横丁入り口
 


 道頓堀通を歩いていると、頭の中を「大阪ラプソディ」が流れてきた。海原千里(現・上沼恵美子/1955〜)・万里が1976年に歌って大ヒットした曲だが、この付近でデートする男女を歌った曲だが、その中に「♪戎橋 法善寺 どこも好きよ二人なら〜」なんて歌詞がある。
 そんなわけで、次は法善寺に行かなくてはならない。

 「くいだおれ」と「づぼらや」が並んだ辺りの小路を南に入ると、法善寺横丁がある。道頓堀通の雑踏とはまったく打って変わった石畳の落ち着いた狭い小路は、一瞬別世界に紛れ込んだかのような趣き。大阪なのだけれど、どこか京都を思わせる。
  



法善寺横町
 


 さらにその奥に法善寺がひっそりと建っている。
 法善寺に隣接するのが甘味処「夫婦善哉」。織田作之助(1913〜46)が1940(昭和15)年に発表した同名小説で有名になった場所。ここで善哉を注文すると、小さなお椀2杯に盛られて出てくるそうである。残念ながら10時の開店前だったため、食べ られなかった。

 小説「夫婦善哉」のラストで、主人公蝶子に向かって夫の柳吉が、夫婦善哉のいわれを語っている。
 

 (略)ぜんざいを註文すると、女夫(めおと)の意味で一人に二杯ずつ持ってきた。碁盤の目の敷畳に腰をかけ、スウスウと高い音を立てて啜りながら柳吉は言った。「こ、こ、ここの善哉はなんで、二、二、二杯ずつ持って来よるか知ってるか、知らんやろ。こら昔何とか太夫ちゅう浄瑠璃のお師匠はんがひらいた店でな、一杯山盛にするより、ちょっとずつ二杯にする方が沢山(ぎょうさん)はいってるように見えるやろ、そこをうまいこと考えよったのや」蝶子は「一人より夫婦の方が良えいうことでっしゃろ」(略)

*織田作之助「夫婦善哉」(「織田作之助全集1」1970年2月 講談社所収)
 

 



 左が本堂 中央が水掛不動 右が夫婦善哉
 


 法善寺にある不動明王は、水をかけて祈願すると願いがかなうということから水掛不動と呼ばれている。お参りの人に水をかけられ、すっかり苔むして緑になってしまっている。
 手塚治虫(1928〜89)の漫画「どろろ」に苔に妖気が宿って不動明王の形になった妖怪が出てきたのを思い出したが、ひょっとしたら手塚はこの水掛不動からヒントを得たのかもしれない。
  



水掛不動
 


 道頓堀を後に、御堂筋を心斎橋方面へ向かう。途中、周防町筋、通称ヨーロッパ通りを左にそれて西へ進むと小さな三角公園があるが、いきなり巨大なピエロの頭の看板に面食らわされる。
 



アメリカ村
 


 この辺り一帯がいわゆるアメリカ村。個性的な雑貨や衣料の店が立ち並び、大阪の若者のファッションの発信地となっているそうである。大阪の原宿か? 小雨気味の平日の午前中ということで、思ったよりも若者の姿は少なかった。

 ここを冷やかしながら歩いていると、友人からのメール。甲子園での野球の試合のために浜松から出てきた友人が大阪に到着したらしい。足早に切り上げて、梅田へと向かった。
  

(2006年3月30日)


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