日本一周第1回「いい日旅立ち」 

7日目「函館の女〜青森県・北海道〜」
 

2006年7月2日(日)

 
 


〈青森〉

 
 


 昨晩はいささか飲みすぎた。宿に帰るなり、まだ7時台だというのに寝てしまった。

 そのおかげで、今朝は早くにすっきり目が覚めた。なにげなくテレビをつけるとサッカー・ワールドカップのブラジルーフランス戦を放送していた。優勝候補筆頭のブラジルが0ー1で敗れるという波乱。昨晩酔っ払って早く寝たおかげで、こんな貴重な瞬間を見ることが出来たわけだ。

 青森に来るのは、大学1年生の時以来2度目。大学のサークルに青森出身の仲間がいて、夏休みにみんなで彼女の家に遊びに行った。ねぶた祭りにも参加。思う存分はねて来た。その時には恐山も訪ねている。だから、今回は別のところを訪ねよう。
 当初、僕は青森にある「キリストの墓」を訪ねようと計画していた。ところが、それは新郷村というところにある。青森から八戸に出て、そこからバスで40分。さらにタクシーで30分というから、ずいぶんと遠くではないか。今回はこの後、北海道に行く予定でもあったため、あまり青森でゆっくりするわけにもいかない。 残念だがまたの機会にしよう。
     

 
 


青森駅 →(バス)→ 三内丸山遺跡
 

 
 
◆三内丸山遺跡
HP
 
   


三内丸山遺跡入り口
 

 
      
 そこで、縄文時代の遺跡である三内丸山遺跡を観に行くことにした。三内丸山遺跡なら青森駅からバスで30分ほど。午前中だけで充分観に行くことができる。 
  
 
 



三内丸山遺跡
 

 
   
 三内丸山遺跡は、広大な敷地の中に、数々の遺跡が再現されている。 
       
 
 


大型掘立柱建物
 

 
     
 三内丸山遺跡のシンボルと言えば、歴史の教科書にも載っている巨大な櫓、「大型掘立柱建物」である。
 復元されたものは、約15メートルの巨大な建物だが、いったいなんのために作られたのか未だにわかっていない。物見櫓だとか、灯台だとか、あるいは宗教的施設と、専門家のあいだでの意見がわかれているそうだ。
     
    
 
 



竪穴式住居
 

 
     
 その他にも、竪穴式住居や、高床式倉庫など、大小様々な建物が復元されていて、中にも入ることができる。そうして、縄文人の生活の息吹を感じることができる。
  
 
 



高床式倉庫
 

 
      
  それにしても、縄文時代の文化水準の高さは、想像していた以上である。漠然としたイメージでは、縄文人は石やりを持って動物を追いかけているというものだったが、とてもそんなものではない。すでに文明を持っていたと言えるのではないか。
 僕は一時期超古代史にはまっていたことがあった。超古代史とは、今の人類以前に高度に発達した文明が存在していたという、一種のオカルトなのだが、ここにいると、それも嘘ではなかったような気がしてくる。「東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」という本によると、かつて東北には大和朝廷とは別の王朝が存在したという。もっともこの本、明らかに現代に入ってから書かれた偽書なのだが、ここにいるとそんな嘘も本当に思えてくる。「東日流外三郡誌」を書いたのは、発見者の和田喜八郎(1927〜99)だと言われているが、和田もこの地でその思いにかられたのだろうか?
                      
 
 


 

 
 
 三内丸山遺跡は5500年前から4000年前まで、1500年も栄えたという。それにしても不思議なのは、この時代にここまで発展した文明が東北の地にあったにも関わらず、なぜその後衰えてしまったのだろう?
  
 
 



発掘丼
 

 
         
 昼食には、遺跡内の食堂で「発掘丼」なるものを食べてみた。これは赤米の炊き込みご飯で、ムール貝やら栗といったものが入っている。いかにも、古代から食べられていたかのような雰囲気。
        
 
 



ソフト栗夢
 

 
 
 そして、デザートに「ソフト栗夢(クリーム)」という栗のソフトクリームを食べ、売店で電車の中で飲む用にと地ビール「縄文の癒ラガービール」を購入した。
   
 
 



地ビール「縄文の癒ラガービール」

 

 
 


三内丸山遺跡 →(バス)→ 青森駅
13:21 青森 →(スーパー白鳥)→ 函館 15:12
 

 
 
〈函館〉
 
 
 いよいよ、生まれて初めて北海道に入る。
 青森から特急スーパー白鳥で函館まで2時間弱。かつては船で4時間弱かかっていたわけだから、まさにあっという間。今回は先を急がないのんびり旅だから、 それみ味気ない感じもする。だが、世の中実に便利になったものだ。
 先ほど三内丸山遺跡で買った縄文の癒ラガービールを飲みながら、しばらくすると青函トンネルに入った。いつしか、ビールのほろ酔いもあってうとうとし始め…気づいたら電車はトンネルを抜け、北海道に上陸していた。

 電車を降りると、少し肌寒かった。なるほど、日本最北の地だけのことはある。ともかく、人生初の北海道。
 頭の中を「♪は〜るばる来たぜ、はーこだって…」。北島三郎(1936〜)の「函館の女」のメロディが流れてきた。
        
 
  ◆摩周丸  
 



青函連絡線摩周丸
 

 
 
 函館港には旧青函連絡船「摩周丸」が係留されていた。すでに、昨日青森で「八甲田丸」に乗ったばかりだったが、対岸でもう一つ別の青函連絡船に乗ると言うのも面白い。
   
 
 



摩周丸入り口
 

 
       
 摩周丸の中は、八甲田丸と同じく博物館になっていて、当時の青函連絡船を忍ぶ展示がある。

 だが、エンジンルームを見学できないのが、意外で、ちょっと残念だった。
   

 
 



摩周丸から函館山を望む
 

 
  ◆土方歳三終焉の地  
 



土方歳三終焉の地

右側に見えるのは一本木関門
  

 
 
 函館では函館ユースゲストハウスに泊まる予定だった。とりあえず荷物を預けてから、再び函館の町へ出た。
 その際に、土方歳三(1835〜69)終焉の地を訪ねてみた。新撰組副長・土方歳三は、局長の近藤勇(1834〜68)亡き後、新撰組を率いて各地を転戦。会津若松を経て、1868(明治元)年ここ函館(当時は箱館)の地までやってきた。

 1869(明治2)年、明治新政府軍の攻撃に、土方は出撃。そうして、この地で銃弾に倒れ、35歳の命を散らしたのである。
      

 
 



土方歳三最期の地碑
 

 
 
 土方は一本木関門から出撃しているが、現在碑のすぐ隣にその一本木関門も復元されている。

  

 
 



一本木関門
 

 
 
 夕食は北海道ということで、当然海の幸。
 いかソーメンに三平汁を注文。三平汁とは鮭のアラ汁。
  
 
 



三平汁(左)といかソーメン
 

 
 
 そして、締めはうに丼でした。
  
 
 



うに丼
 

 
 

 
函館駅前 →(市電)→ 宝来町
 

 
    
 食後は、函館山に夜景を…と考えていたのだが、あいにくの雨模様。とりあえずユースゲストハウスに戻ることにした。
 ユースホステルは水戸以来2回目。前回は一人切りの宿泊客だったが、今回はうれしいことに他にも宿泊客がいた。それも、なかなか癖のある方々が…。
 同じ部屋に泊まっていたおじいさんは、自転車で日本一周をしている最中とのことだった。すでに北海道を一周してきて、これから再び本州に入るのだそうだ。真っ黒に日に焼けて健康そのもの。話をしていたら面白くて、つい函館山の夜景を見損ねてしまった。後で聞いたところでは、雨上がりでとても夜景が綺麗だったとのこと。
 他にも、やはり日本一周旅行をしている16歳の作家志望の少女と出会った。新潟県から日本海側を北上してきて、北海道まで来てから太平洋側を南下するという。僕とは逆のコースを進んでいる。僕がこの歳になって決意した目標を、その若さで実現しようとしていることに、思わず嫉妬して、おおいに刺激を受けた。
 その他の宿泊客ともいろいろ話をしているうちに北海道の夜は更けていった…。

          

 
 

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