仙台市 |
晩翠草堂 |
所在地:仙台市青葉区大町1−2−2(JR仙台駅地歩15分) |
開館:9:00〜17:00(月曜日閉館) |
晩翠草堂
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青葉城から再び仙台駅に向かって青葉通りを歩いていると、「晩翠通り」にぶつかる。この晩翠通りには、仙台が生んだ代表的詩人・土井晩翠(1871〜1952)が晩年に住んだ家が残っている。それが「晩翠草堂」。
晩翠の名字は正しくは「つちい」である。しかし、1932(昭和7)年に「どい」に改めている。おそらくあまりに間違えられることが多かったからだろう。
1899(明治32)年に発表した第一詩集「天地有情」が出世作となった。その後、旧制二高(現・東北大学)の教授を務めるかたわら詩や英文学の翻訳を発表。とくに滝廉太郎(1879〜1903)が作曲した「荒城の月」の作詞家として知られている。「荒城の月」の舞台のモデルとなった青葉城(仙台城)内に碑と銅像が建っている。
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晩翠の寝室
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1945(昭和20)年7月の仙台大空襲で晩翠は屋敷と三万冊の蔵書を焼かれてしまう。その晩翠を慰めようと、教え子や市民が1949(昭和24)年に建てた家が、この「晩翠草堂」である。妻に先立たれた晩翠は、80歳で亡くなるまで、この家に独り暮らしていた。
「晩翠草堂」は、晩翠生前の姿そのままに、身の回りの品などが展示されている。こじんまりとしているが、落ち着いたたたずまいの屋敷である。
草堂の庭にあるヒイラギモクセイの木は、空襲で焼かれても蘇ったそうである。
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晩翠草堂の庭
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また、草堂の表通りに面して立っている碑は「天地有情」の碑。言うまでもなく、晩翠が世に認められるきっかけとなった第一詩集の題名である。
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天地有情の碑
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晩翠草堂を出ると、空は夕暮れであった。
明日は「椿多摩杯争奪かるた大会(仙台大会)」に出場する予定である。明日の試合に備えて、仙台名物・牛タンを食べることにした。
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仙台名物・牛タン
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(2006年5月27日) |