仙台市 |
仙台市博物館 |
所在地:仙台市青葉区川内26(JR線仙台駅徒歩30分) |
HP:http://www.city.sendai.jp/kyouiku/museum/ |
入場料:(常設展)大人400円 高校生200円 小・中学生100円 |
開館:9:00〜16:45(月曜日閉館) |
仙台市博物館
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現在、仙台市博物館があるのは、かつての青葉城(仙台城)の三の丸である。
伊達氏を始めとして宮城県・仙台市に関わる歴史・文化的資料を数多く展示している。旧石器時代から現在に至る様々な資料があるが、その中でもやはり伊達政宗に始まる歴代仙台藩主に関する資料が充実している。
幼くしてかかった疱瘡(天然痘)の後遺症で右目を失明、「独眼竜」と称された政宗であるが、彼の肖像画には右目が入っている。「親よりもらった片目を失ったのは不孝である」という政宗の考えに基づいており、彼の肖像画や像はきちんと右目を入れることになっている。青葉城の政宗像も、やはり右目がある。
伊達氏と並ぶ展示のもう一つの目玉が、支倉常長(1571〜1622)と慶長
遣欧使節関連の資料。支倉常長やローマ法王パウルス5世(1552〜1621)の肖像画、聖具や服飾などが国宝に指定されている。
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「逓―昨日・今日・明日」
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仙台市博物館の外にもいろいろな展示物がある。正面入り口のすぐ前にある彫刻は「逓(てい)―昨日・今日・明日」(藤原吉志子作/1995年)。よく見ると郵便配達員の姿が刻まれている。
入り口のすぐ左側には茶室「残月亭」が再現されている。これは、明治中期に、初代仙台区長・松倉恂によって建てられたもの。4畳半に、水屋、台所、縁がついた寄棟造りの書院風茶室で、かつて仙台城にあった「残月亭」の名を受け継いでいる。1994年に仙台市に寄付され、ここに移された。現在では、仙台市の有形文化財に指定されている。
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残月亭
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中国の文豪・魯迅(1881〜1936)は、1904年秋から1906年春まで仙台医学専門学校(東北大学医学部の前身)に留学していた。仙台滞在中に、文学を志すことを決意している。つまり、仙台は彼にとって転機をもたらした地であるということになる。顕彰碑は1964年に建設され
た。一方の胸像は、2001年に生誕120周年を記念して、魯迅の故郷である中国紹興市から送られたもの。日本と中国の架け橋となった人物らしく、今でも国からも多くの人が訪れるそうだ。そういや、僕も中国旅行の際には魯迅記念館に行ったので、同じようなものだろう。
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魯迅像
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魯迅顕彰碑
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そのそばにあるのが林子平(1738〜93)のレリーフ。彼は仙台藩士で、江戸時代後期の経済学者。高山彦九郎(1747〜93)、蒲生君平(1768〜1813)と共に、「寛政の三奇人」と言われた。
「海国兵談」や「三国通覧図説」などの著作で、国防の必要性などを説くが進言されず、危険人物として禁固刑に処されてしまう。その、思想が歴史を先取りしていたことは、その後の開国の流れを見れば明らかである。
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林子平レリーフ
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哲学者・阿部次郎(1883〜1959)は、東北帝国大学教授として1923(大正12)年に仙台に移り住み、この地で没している。1983年に生誕百周年を記念して建てられた。「白雲の行方を問はむ秋の風」という句が刻まれているが、その著書「三太郎の日記」(1914年)の一節である。近くの東北大学キャンパス内には、やはり彼の生誕百周年を記念して整備された「三太郎の小径(こみち)」という道があるらしい。
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阿部次郎句碑
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伊達政宗公の胸像がここにもあった。この胸像はかつて青葉城にあったもの。現在青葉城にある像と同じ鋳型が用いられているそうなので、あの政宗公と同じ顔をしているということになる。
戦争中金属供出に出され、現存しないはずであったが、戦後胸から上の部分だけが溶かされず残っているのが発見され、ここに展示されるようになった。
まさに奇跡的なこと。仙台の町を歩いていると、政宗公は神様かのような印象を受けるが、こんな奇跡が起きたことを考えると、本当に神様なのかもしれない…。
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初代伊達政宗公像
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(2006年5月27日) |