福井市
柴田神社(北ノ庄城址)
所在地:福井市中央1(JR線仙台駅徒歩30分)



柴田神社(北ノ庄城址)
 


 ヨーロッパ軒のソースカツ丼を食べ、羽二重餅を買って、それでも帰りの電車まで少々時間があったので、もう一箇所観光をすることにした。
 福井駅の南側にある柴田神社へ行ってみた。ここは、福井城の前身ともいうべき北ノ庄城の本丸があった場所といわれ 、1996(平成8)〜2004(平成16)年の発掘によってその石垣の一部が発見された。現在は柴田公園として整備されている。
  



九十九橋
 


 その柴田神社の近くに「九十九橋(つくもばし)」が再現されている。 現在川は無いが、かつて足羽川と北陸街道の交わるこの地に架けられた。南半分が笏谷石、北半分が木という半石半木の橋として、北ノ庄城を築いた柴田勝家 (1522〜83)によって作られたという。
 1874(明治7)年にいたるまで何度となく架け替え工事が行われたが、1909(明治42)年には木造トラスの橋となった。現在の九十九橋は、 柴田公園が整備されるにあたって、半石半木の橋をイメージして再現されたものとのことである。
  



北ノ庄城址の碑
 


 この柴田神社は、北ノ庄城の天守閣があった場所だそうである。現在の福井城は、この北ノ庄を改築したもだと言われているが、一説には場所だけ同じでつながりはまったくないとも言う。確かに、現在の福井城からここまで歩くと20分近くかかる。そんなに離れた場所に天守閣があったというのもおかしな話であるし、違う城だったのかな、とも思えてくる。もっとも、勝家の北ノ庄城については詳しいことがわかっていないため、それ以上のことは何も言えない。
  



柴田勝家像
 



お市の方像
 


 その勝家公もこの地に立っていらっしゃる。槍を構えた合戦時のものであろう。
 その妻で絶世の美女と言われたのがお市の方(1547?〜83)。そのお市の方の像もある。お市の方は織田信長(1534〜82)の妹で、まさ に波乱万丈な生涯を送った。最初、政略結婚で浅井長政(1545〜73)に嫁ぎ、3人の娘を 設ける(他にも二人の男児もいたという説がある)。しかし、兄・信長と、浅井氏が対立。1573年の姉川の合戦で、長政は自殺。お市は3人の娘と共に織田家に引き取られる。
 信長の死後、1582年、お市は柴田勝家と再婚し、北ノ庄城に入る。だが、今度は勝家が羽柴秀吉(豊臣秀吉/1537〜98)と対立。翌1583年の賤ヶ岳の戦いで敗れ、4月24日勝家とお市の方は北ノ庄城で自害して果てた。
  


柴田神社鳥居
 

 そんなわけで、勝家とお市の方の魂を鎮めるためにここに 石祠が建てられたそうである。1890(明治23)年、旧福井藩主松平春嶽(1828〜90)らによって柴田神社が創建された。なお、現在の本殿は2002(平成14)年に再建されたものである。
   



柴田神社本殿
 


 お市の方と浅井長政の間の3人の娘はいずれも美女として知られ、yやはり数奇な運命をたどった。長女・茶々(淀殿・淀君/1569〜1615)は豊臣秀吉の側室となり、秀頼(1593〜1615) を生む。次女・お初(常高院/1570〜1633) は京極高次(1563〜1609)の正室。3女・お江与(崇源院/1573〜1626)は2代将軍・徳川秀忠(1579〜1632)の正室で3代将軍・家光(1604〜51)の母。そういえばNHK大河ドラマ「春日局」(1989年)で、この3人の少女時代を当時人気アイドルだった喜多嶋舞(1972〜)、宮沢りえ(1973〜)、坂上香織(1974〜)の3人がそれぞれ演じていたのを思い出す。
 神社内に再現されている井戸は、「お市の水」と名づけられ、幸福な三姉妹にちなんで、訪れる人が美しく幸福になるように願っているとのこと。神社内には その3姉妹を祀った三姉妹神社もある。
   



お市の水
 

三姉妹神社

 観光を終え、柴田神社から福井駅へ向かう細い路地で「お市の泉」というモニュメントを発見した。 お市の方の愛用した手鏡をモチーフとしたものだそうである。
 こうして、2日間の福井滞在を終え、僕は帰路に着いた。
   



お市の泉
 

(2006年6月11日)

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