永平寺町
永平寺
所在地: 福井県吉田郡永平寺町志比5−15(えちぜん鉄道勝山永平寺線永平寺口駅より京福バス永平寺行15分終点下車 徒歩5分)
HP:http://www.mitene.or.jp/~katumin/index.html
入場料:一般・高校生500円 小・中学生200円
開館:4:00〜17:00



曹洞宗大本山 永平寺
   

  
 競技かるたの大会に出場するため2006(平成18)年5月に京都と仙台へ出かけたが、6月になってから今度は福井に遠征することにした。しばらく大会も無いようなので、これが当分の間最後の大会出場になると思われる。
 
 福井まで来たついでに、曹洞宗の大本山・永平寺を訪ねることにした。
   



えちぜん鉄道永平寺口駅
 


 福井駅からローカル線のえちぜん鉄道に乗り換えて約25分、「永平寺口駅」に着く。永平寺に行くにはここから京福バスに乗って、約20分山道を登る。終点の「永平寺駅」で下車すると永平寺はすぐそこである。バスの停留所なのに「永平寺駅」というのはなぜだろうかと思って、あとで土産物店の人に聞いてみたところ、かつてはえちぜん鉄道永平寺線がここまで通っていたのだとか。利用者が少ないため2002 (平成14)年10月いっぱいで廃止されている。
  



永平寺通用門
 


 永平寺につくと、まずは通用門から入ることになる。そこの突き当たりにある近代的な建物が吉祥閣(きちじょうがく)。1971(昭和46)年に数十億もの巨費を投じて建設されたとのこと。伝道部の勧化(かんき)室という広間に通され、若い僧侶から、参拝中の注意や心得をレクチャーされた。例えば、「左側通行を心がける」とか「カメラを修行僧に向けない」など。ここ永平寺は、現在も200名以上の禅僧が修行する場であるのだ。参拝客へこうした説明をすることも、立派な修行の一つなのだそうである。
  



吉祥閣
 


 さて、永平寺のあらましも簡単にみておきたい。永平寺は曹洞宗の宗祖・道元(1200〜53)によって開山されている。最初比叡山延暦寺で出家した道元は、その教えに疑問を持ち、その後中国・明に渡る。帰国後京で布教を始めるも、比叡山の迫害に合い、1243(寛元元)年、波多野義重を頼って越前国(現在の福井県)に下向する。翌1244(寛元2)年、傘松峰大仏寺(さんしょうほうだいぶつじ)を建立。1246(寛元4)年に吉祥山永平寺と改めている。
 以来、曹洞宗の大本山として、現在にまで至るわけである。現在、曹洞宗はここ永平寺と、横浜の総持寺の2寺が大本山となっている。総持寺は曹洞宗の4世太祖瑩山によって1321(元亨元)年によって開山され、1615(元和元)年江戸幕府によって永平寺と共に曹洞宗の大本山に認定された。
 本山が二つあるというのも珍しいかと思うが、実際かつては永平寺と総持寺の間で本家争いがあったとのことである。
   


傘松閣の絵天井
 

 さて、吉祥閣でレクチャーを受けた後、いよいよ永平寺境内の見学となる。順路に従ってまず最初は、傘松閣(しょうさんかく)に進む。ここの見所は、2階大広間の絵天井。156畳敷きの広間の天井に、 川合玉堂、伊東深水など144名の画家によって描かれた、花鳥彩色画230枚が並んでいる。
   



 


 永平寺境内には七堂伽藍を中心に全部で70の殿堂楼閣があるが、それらは廻廊によって結ばれている。急斜面に建てられているので、廻廊は階段となる。そして、それらの廻廊のすべてが綺麗に掃除されている。掃除も僧侶たちの修行の一つなのだ。

 殿堂楼閣の中でも重要な7つの堂宇は「七堂伽藍」と称され、日常の修行に欠かすことのできない重要な建物となっている。それは山門、仏殿、法堂(ほっとう)、僧堂、庫院(くいん)、浴室、東司(とうす)の7つである。

   



山門
 

   
 七堂伽藍のうち最も古い建物は、1749(寛永2)年再建の山門である。山門は修行僧が正式に入門する際の玄関にあたる建物で、四天王像が祭られている。
  



仏殿
 

 
 1902(明治35)年に道元の650回忌を記念して建築された仏殿は、七堂伽藍の中心である。本尊として釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)、弥勒仏(みろくぶつ)、阿弥陀仏(あみだぶつ)の三世如来を祀っている。それぞれ、現世、未来、過去を現しているそうだ。といっても僕にはピンと来ない。こういう場所に来るたびに、自分に仏教の素養がないことが悔やまれる。
   
 



法堂
 


 永平寺の最も奥、すなわち一番高いところにある建物が、法堂(ほっとう)で、1843(天保14)年の再建。420畳敷で、七堂伽藍最大の規模を誇り、毎朝の勤経や各種法要が行われる。
 
 七堂伽藍の残り4つは座禅・惰眠・食事の場である僧院など、僧侶の修行の日常の場であって、立ち入りはできないようだ。

 七堂伽藍以外の建物も、もちろん重要なものが多くある。
    



承陽殿
 


 その一つが承陽殿(じょうようでん)。1881(明治14)年に再建された建物で、本殿である御真廟には、開祖・道元および2代目・孤雲懐奘(こうんえじょう/1198〜1280)の御霊骨が奉祀されている。
    



 


 それにしても、永平寺の境内を歩いていると、修行僧と普通にすれ違い、修行の様子を伺い知ることができる。最初に「カメラを修行僧に向けない」と注意されたのだが、実際には背景として何枚も映りこんでしまっていた。これはどうしようもない。しかし、こうしたことは、観光地化してしまっている京都の寺ではあり得ないことである。それだけここは貴重な場所だと言えるのではないか。僕のような不信心者でも、一瞬修行をしているかに錯覚してしまったぐらいだ。
 実際のところ、一般人でもここで修行をすることは可能で、修学旅行の体験修行にも組み込まれることもあるとのこと。僕の友人にも過去にここに来た経験を持つ人がいる。
   

 

寂光苑
 

 
 永平寺の境内は約10万坪(33万u)。周りを取り囲む杉の老木は樹齢約700年といわれ、まさしく霊域という趣がある。
 境内にある寂光苑(じゃっこうえん)に足を運んでみた。1930(昭和5)年に2代・孤雲懐奘の650回忌を記念して現在の地に整備された庭園である。苑内にある「稚髪御像」は道元が出家を決意された少年期の姿をしているとのこと。
  



寂光苑の稚髪御像
 


 永平寺といえば「永平寺そば」が名物。時間もちょうどお昼時だったので、永平寺そばを食べてみることにした。 もう一つの永平寺名物である「ごま豆腐」もついてきた。
  



永平寺そば
 


 昼食を食べ終わってバス停に向かうと、あいにくバスは行ってしまった後だった。次のバスまで約1時間ある。ひょっとしたら永平寺口駅まで歩けないものかと、近くの土産物店で尋ねてみると、「30分もあれば…」とのことだった 。一本道で迷うこともないだろうと思い、散歩がてら歩いて下山することにした。
  



帰り道の途中にあった道元禅師御歌碑
 


 ところが、いつまで経っても駅にたどり着かない。ついには、後からやって来たバスにまで追い抜かれ、結局駅についたのは1時間半近く経った後だった。どうも、土産物店の店員は普段歩かないので、時間のことを知らなかったようなのだ。後で調べてみたら永平寺口駅から永平寺までは7キロ以上ある。
 おかげで、ぐったりと疲れてしまった…。
  

(2006年6月10日)

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