名古屋
豊国神社
所在地:愛知県名古屋市中村区中村町木下屋敷無番地 ( 地下鉄東山線中村公園駅徒歩10分)
HP:http://toyokunijinjya.main.jp/



豊国神社大鳥居
   

 
 名古屋は日本の歴史において多くの天下人を生んだ町である。源頼朝(1147〜99)、織田信長(1534〜87)、豊臣秀吉(1537〜98)の3人 がそれにあたる。ちなみに徳川家康(1543〜1616)は同じ愛知県でも三河の出身。足利尊氏(1305〜58)も三河に拠点を持ち、一説には三河出身だとされる。つまり日本を支配人はすべて愛知県に関係しているということになる。
 中でも、農民の子から天下人への出世を遂げた豊臣秀吉ほどの英傑は歴史上いない。その豊臣秀吉の生まれた地を訪ねた。現在そこは豊国神社となっている。
    



豊国神社参道
 


 地下鉄の中村公園駅で下車する。
 駅を出ると朱塗りの24メートルの大鳥居がある。鳥居を潜って参道を北へ向かう。東京はすでに桜は散り始めていたが、名古屋はちょうど今が満開。歩くこと10分、中村公園にたどり着 いた。
  



中村公園入口
 


 秀吉が生まれたのは、尾張国愛知郡中村郷。その跡地が中村公園として現在整備されている。 
  





中村公園
 


  公園に入ってすぐ左手に複数の像が建っていた。「日吉丸となかまたち」とある。日吉丸は秀吉の幼名。中央に立つのが日吉丸だろうか? 秀吉は後に猿と呼ばれたが、それにしては精悍すぎる気もする…。
  



日吉丸となかまたち像


日吉丸?
 


 手水舎がある。よく見ると、金色の瓢箪が飾られている。水も瓢箪の蛇口から流れてくる。これはもちろん、秀吉の瓢箪の馬印にちなんでいる。
    



手水舎




瓢箪
 

  
  突き当りに豊国神社の本殿。
  



豊国神社本殿
 


  豊国神社の祭神はもちろん豊臣秀吉公。出世、開運、茶道、建設などにご利益があるといわれる。
 天下人秀吉を祀るにしては、少々地味すぎる気もするが、神社の創建は1885(明治18)年である。
  



本殿


拝殿


拝殿から本殿を臨む
 


  拝殿の右には豊臣秀吉公の肖像が飾られる。また、境内にある絵馬もまた瓢箪の形をしている。
     



祭神豊臣秀吉公肖像


瓢箪形の絵馬
 


  秀吉生誕の地は、神社の右手。「豊公誕生之地」碑が建つ。もっとも、秀吉が生まれたのはここではなく、もっと南の中中村であるという説もあるそうだ。
    



豊公誕生之地
 


 中村公園の中を散策してみよう。いろいろと見所があるようだ。
 豊公誕生之地のすぐ後ろには「大正天皇御手植之松」。大正天皇が皇太子だった1910(明治43)年に植えた松だという。 
 
 



右手に立つのが大正天皇御手植之松


 


 公園内には池もある。
 ひょうたんの形をした「ひょうたん池」。
 そして、関白池に太閤池。
   



ひょうたん池


手前が関白池、奥が太閤池
 

  
 池の近くには応神天皇を祀る八幡社がある。加藤清正(1562〜1611)が出陣に辺り武運長久を祈念したとされる。
 その後1610(慶長15)年に名古屋城の天守閣を築く際には、境内の楠を棟木に用いたとされる。
     



八幡社


境内の楠木
 


 公園の右手に隣接するのは太閤山常泉寺。
 1606(慶長11)年、加藤清正が、秀吉を祀るために創建した寺で、元は秀吉の継父・竹阿弥の屋敷があった。従って、ここが秀吉の生まれた地なのであろう。
    



常泉寺正門


常泉寺本堂
 


 境内には豊臣秀吉公像が建つ。
  



豊臣秀吉像
 


 また、秀吉産湯の井戸もある。
   



秀吉産湯の井戸
 


 境内の木は「御手植の柊」。1547(天文16)年、秀吉が11歳の時に植えた柊なのだそうだ。1590(天正18)年、小田原攻めの凱旋でこの地に立ち寄った秀吉は、柊が繁茂しているのを見て、「鬼神も恐れる吉祥の樹なり大切に致べし」として、自ら丈を立て添えたという。その後、幹が衰えても下枝が育ちを繰り返しながら現在まで育っているという。
    



御手植の柊
 


 常泉寺の西側の門を出ると、「木下長嘯子宅跡」とあった。木下長嘯子(木下勝俊/1569〜1649)は、秀吉の正室・北政所(1547〜1624)の兄・木下家定(1543〜1608)の子に当たる。秀吉に仕え、若狭小浜城主となるが、関ヶ原の戦いで失脚。その後は京都東山に隠棲し、歌人として名を残した。
     



木下長嘯子宅跡
 


 常泉寺の南には妙行寺。加藤清正が自分の生誕地に名古屋城築城の際の余材で再建したという。
 



妙行寺


本堂
 


 境内に建つ「清正公誕生之地」碑。つまり秀吉と清正はご近所さんなのである。
 碑の後ろに建つのは「清正旧里之碑」。秦鼎(1761〜1831)による撰文が刻まれている。
   



清正公誕生之地


清正旧里之碑
 


 現在は、寺院として整備されており、清正の屋敷をうかがわせるものは無い。ただ「清正公旧城石」が残るばかり。
    



清正公旧城石
 

 
 境内には加藤清正公の像も建つ。
   



加藤清正公像
 


 また、「あらい浄行菩薩」がある。説明書きによると、お釈迦さまの遣わした佛の中の一人で、水徳を備えた尊い仏様で、水子の供養などのご利益があるそうだ。
 





あらい浄行菩薩
 


 妙行寺から中村公園に戻りすぐのところに「小出秀政出生地」がある。
 小出秀政(1540〜1604)は豊臣秀吉の母・大政所(1513〜92)の妹の夫で、秀吉の叔父にあたる。もっとも、秀吉よりも3歳年下ではあるのだが。
 後に関ヶ原の合戦では西軍として戦うが、次男の秀家(1567〜1603)が東軍に属していたことから領地が安堵されたという。
    



小出秀政宅跡
 


 最後に、中村公園文化プラザにある「秀吉清正記念館」を訪ねた。 秀吉と清正という、この地が生んだ二人の英雄を中心に、戦国時代末期の豊臣氏滅亡までの歴史が展示されている。
    



中村公園文化プラザ


秀吉清正記念館入口
 


 豊国神社周辺は決して派手ではないが、いろいろと見所も多い場所である。
 英雄の若き日に思いを馳せるには最適の場所といえる。
    

(2013年4月4日)


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