カトマンズ
ハヌマーン・ドカ
  Hanuman Dhoka



ハヌマーン・ドカ
  


 ダルバール広場の東側にある建物はハヌマーン・ドカと呼ばれている。ここはかつてネパール国王が住んでいた宮廷のあった場所である。1886年に国王は現在の王宮のあるダルバール・マルグに移ってしまったため、今では王様は住んでおらず、博物館になっている。
  



ハヌマーン門
 


 ハヌマーン・ドカの「ドカ」とは、「門」の意味である。だから正確に言うと、この建物に入る門を「ハヌマーン・ドカ」と言うのだが、現在では建物のほうも同じ名前で呼ばれている。
  



ハヌマーン像
 


 ハヌマーンとは叙事詩「ラーマヤーナ」でも活躍する、猿の神様の名前である。門のすぐ左脇にハヌマーン像が建っている。このハヌマーン像、ティカ(塗料)で真っ赤に塗られている。
   



ハヌマーン門の彫刻
 


 ハヌマーン門は様々な彫刻が凝らされているが、中でも門の上の彫刻は見ごたえがある。真ん中にいるのがクリシュナ神である。
 門の両脇は獅子が守っている。獅子の背中に乗るのはシヴァ神とその妻パルバティとのことである。
  



ハヌマーン門を守る獅子
 


 ハヌマーン門をくぐって中に入るには博物館のチケットが必要である。
 博物館の入場料は、外国人料金で250ルピー(約500円)と高額。ところが、僕の場合は、ネパールに住んで仕事をしているので、職場のIDカードを見せたところ、ネパール人料金の10ルピー(約20円)で済んでしまった。25 も違うとは、何てぼったくりなんだ。
  



ナラシンハ像
 


 ハヌマーン門をくぐると、そこには恐ろしい顔の神様の像がある。ナラシンハ像。ナラシンハはビシュヌ神の化身の一つで、悪魔を倒そうとしている姿らしい。1673年にプラタップ・マッラ王 (在位1641〜74)によって建てられた。
    
◆ナサル・チョーク(Nasal Chowk)



ナサル・チョーク
 


 ハヌマーン門の先にある中庭はナサル・チョーク。マッラ王朝の時代に造られたものだ。もっとも、周りの建物の大部分は18世紀後半のラナ家専制時代に建てられている。
     



戴冠台
  


 広場の中央にある石の台は、戴冠台。ラナ時代以降、ネパール国王の戴冠式が執り行われた場所である。2008年の王制廃止によって、この戴冠台が本来の目的で使われることは当分の間なくなった…。
  



踊るシヴァ像
 


 広場の東側に、白い祠があるが、これは踊るシヴァ像と呼ばれている。ナサル・チョークの“ナサル”とはそもそも、“踊る人”という意味で、このシヴァ像に由来しているとか…。
 もちろんなかも覗いて見たのだが、ティカやらお札が貼られていて、シヴァ像はよくわからなかった。 
  



謁見室
 


 広場の北にはマッラ王の謁見室がある。ここには現在、シャハ王朝の歴代国王の肖像画・写真が飾られている。
  



謁見室の中
 


 初代プリトゥビ・ナラヤン王(1723〜75/在位1742〜75)から、先日退位したギャネンドラ王(1947〜/在位2001〜08)まで、12代の王の顔が並んでいる。
   

◆パンチャ・ムクヒ・ハヌマーン寺院(Pancha Mukhi HanumanTemple)



パンチャ・ムクヒ・ハヌマーン寺院
 


 謁見室のすぐ隣に5重の丸い屋根の建物があるが、これはパンチャ・ムクヒ・ハヌマーン寺院。ハヌマーン神が祀られているそうだが、中に入れるのは寺の僧侶だけだそうだ。
 
 
◆バサンタプール・タワー(Basantapur Tower)



バサンタプール・タワー(右)とキルティプール・タワー
 


 広場の突き当たりにひときわ高い9階建ての建物があるが、これがバサンタプール・タワー(カトマンズ・タワー)である。シャハ王朝初代のプリ トゥビ・ナラヤン王が、征服した4つのネワール人の都市にちなんで建てたもので、他にもキルティプール・タワー、バクタプール・タワー(ラクシュミ・ビラース)、パタン・タワー(ラリトプール・タワー)がある。
 中でも最大のバサンタプール・タワーは、博物館の中から入ることができ、最上階からはダルバール広場やカトマンズの町が一望できる。晴れた日にはヒマラヤも見えるそうだが、今日はあいにくの空模様で見えなかった。
  

◆トリブヴァン博物館(Tribhuvan Museum)



トリブヴァン博物館入り口
 


 旧王宮の中は博物館となっている。残念ながら入り口でカメラを預けてしまったので、写真は撮れなかったが、博物館の中から普段は入れない他のチョーク(中庭)が見れたり、 9階建てのバサンタプール・タワーの最上階にまであがることができる。
  



こちらは出口
 


 この博物館はトリブヴァン記念博物館となっていて、トリブヴァン・ビール・ビクラム・シャハ王(1906〜55/在位1911〜55)の業績を紹介している。トリブヴァン王はシャハ王朝8代目。ラナ家専制政治を終わらせ王政復古を実現し、ネパールの近代化に貢献した人物である。言ってみれば、ネパールの明治天皇といった感じだろうか。その名前は、トリブヴァン国際空港や、国立トリブヴァン大学に残っている。
 トリブヴァン王の生涯を主に洋服や絵・写真によって紹介している。寝室や書斎も再現されており、自転車やカメラ、バイオリンなど彼の多趣味ぶりがわかる。トリブヴァン王は1955年にスイスで客死するのだが、その際にネパールに運ばれた棺もまた安置されている。

 トリブヴァン博物館を見終えたら、次はバサンタプール・タワーへ。迷路のような細い階段を9階まで上る。
 
 このほか、9代マヘンドラ王(1920〜72/在位1955〜72)を記念したマヘンドラ記念博物館、10代ビレンドラ王(1945〜2001/在位1972〜2001)を記念したビレンドラ記念博物館も併設され、それぞれの生涯が紹介されている。
 マヘンドラ王に関してはハンターや音楽愛好家としてのコレクションが印象的であった。
 ビレンドラ王の展示は外国からの贈り物がメインで興味を引くものはほとんど無い。しかし、彼の場合は、なんといっても2001年6月1日に王宮内で起きた大虐殺事件が記憶に新しい。この事件では、王太子ディペンドラ(1971〜2001)が、王宮内で銃を乱射し、ビレンドラ王夫妻を始めとする王族10数人を殺害。自身も自殺を図る。意識不明の重態のままディペンドラが11代国王として即位するが、3日後の6月4日に死去。摂政となったビレンドラ王の弟ギャネンドラがその後を次いで12代国王となった。この事件の真相は未だに闇につつまれているが、ギャネンドラが当日不在だったこと 。その妻コマル妃(1951〜)や息子のパラス王子(1971〜)もなぜか無事だったことから、ギャネンドラが黒幕だったと相当の人が信じている。2008年5月に王制が廃止になった遠縁には、ギャネンドラ王の不人気が間違いなくあったと思うのだが、彼の不人気の原因の一つがこの事件への疑惑だったというのは間違いない。
         



不人気のギャネンドラ王のお札
 


 そういえば、僕が初めてカトマンズのダルバール広場を訪ねたのは、ネパールに来て1週間経ったばかりの2007年1月23日のことだった。この時、偶然ハヌマーン・ドカから出てくる国王一行を目撃した。
   



ギャネンドラ王を乗せた車(中央)
(2007年1月23日撮影)
 

 
 2008年5月28日の制憲議会で、ネパールの王制は560対4の圧倒的大差で王制の廃止を議決、ネパールは共和国となった。それを受けて6月11日にギャネンドラ前王はダルバール・マルグにある王宮を出て、カトマンズ北西のナガルジュナに去っていった。その様子を翌日の新聞は「国王市民となる」と報道していた。しかしながらギャネンドラ王改めギャネンドラ氏が、ネパール有数の実業家で資産家であることに変わりはなく、政党を作って議会への進出も噂されている。彼の動静が今後も注目されるところである。
 今現在も歴史の激動の真っ只中にいるネパール。だがハヌマーン・ドカはそうした社会の変革とは無関係にこれからもここに存在していくのであろう…。
          
  

(2008年7月5日)

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