Type-98 katana of Japanese empire

Type-98 katana of Japanese empire
九十八式大日本帝国陸軍々刀

 大日本帝国軍の下士官及び将校が携帯していた軍刀で、皇紀2598年に制式化された事から「九十八式軍刀」と呼ばれる。
 軍の制式装備ではあるのだが、旧日本軍は軍刀を支給していなかったので各人が自腹で購入したり家に代々伝わる刀を軍刀化し(刀身だけそのままに、外装を軍刀のそれに付け替える。このような刀を軍刀拵えと呼ぶ)戦地へと持ちこんだ。
 多くの軍刀は持ち主と運命を共にし、二度と故郷に帰る事はなかったのだが、中には戦後、遺族に返還された軍刀も存在する。
 ここではそんな軍刀にまつわる話を紹介するとしよう。

 1942年のソロモン諸島。太平洋戦争の岐路となる「ソロモンの戦い」が始まり、日米双方は多大な戦死者を出していた。特にガタルカナル島を舞台に繰り広げられた激戦では日本軍兵士21000名が死亡するなど、地獄の様相を呈していたという。

 1942年11月、島に米軍が建設した「ヘンダーソン飛行場」を奪取すべく、日本軍は第38歩兵師団を島に上陸させた。しかし圧倒的な物量を誇る米軍の前にはまったくの無力であり、同師団は補給の道を閉ざされ、弾も食料も無いまま米軍に追われながらジャングルの中を迷走する羽目となった。
 毎日数十人が飢えと病気で死んでいく中、歩兵小隊(所属不明)の小隊付士官「佐藤進作中尉」は決断を迫られていた。部隊は孤立、物資は底を尽き、隊員は歩く事すらままならない。「飢えで死ぬか米軍に殺されるか」という極限下であった。旧軍は兵士に「捕虜になる事なかれ。生き恥を晒さず、潔く死になさい」と教育を徹底していたから、降伏という道は無い。「ここで自害して果てよう」部下達は佐藤に進言した。しかし佐藤は「俺は米軍に降伏しようと思う。故郷から遠く離れた地で死ぬのは御免だ。虜囚の辱めを受けても生きるべきだ」と彼等を説得。死に瀕した隊を連れて、米軍に降伏する道を選んだ。
 当時の陸軍では降伏は裏切りと同等の、最も許し難い罪であるとされていた。であるから、降伏の道を選んだ佐藤は裏切り者である。しかし佐藤は「部下が生き残るためならどんな罵りも受けよう」と、皆の命のためにあえて裏切り者になる事を選択したのだった。

 佐藤の隊は降伏の後、米軍の後方陣地へ移送され、衛生大隊の大隊長「ジェイムス・F・フォーレイ少佐 James F Foley」が彼等を監督する事となった。
 ジェイムスは日本兵に充分な食事を与え、彼等の身の安全を保証した。戦争条約を守り、捕虜だからといって不当に差別するような事は決してせず、同じ人間として平等に振る舞ったのだ。日本兵は米軍の寛大さに驚くと共に、自分達が如何に日本政府のプロパガンダに踊らされていたのかを知る事となった。
 二年半に及ぶ収容所での生活では日本兵と米兵の間に友情が芽生えたともいう。ともあれ佐藤の隊はジャングルの中で死ぬことなく、遂に運命の日を迎える事となった。


 1945年8月14日。日本はポツダム宣言を受諾し、無条件降伏した。翌15日には天皇の玉音放送が流され、遂に第二次世界大戦が終結したのだった。
 そして半年後、佐藤と捕虜147名は日本へと送還される事となった。「まさか本当に生きて国に帰れるとは」佐藤は信じられない気持ちでその日の朝を迎えたという。
 揚陸艇が出港する直前、見送りに来ていたジェイムスを見つけた佐藤は、何か御礼をしなければならないと思った。しかし自分が持っている唯一の物は、将校ということで護身用に持たされていた軍刀ただ一振りだけであった。
 佐藤は悩んだ。先祖代々続くこの刀をここで失ってしまっていいのかと。このまま日本へ持って帰る事も出来るではないか。だが、誰のおかげで今まで生きてこられたのか?軍刀を持つのに値する人間は誰なのか?
 ……佐藤は揚陸艇から飛び降り、ジェイムスに軍刀を渡した。戸惑うジェイムスに敬礼を送ると、揚陸艇に乗り込んでソロモン諸島を後にしたのだった。


 時は流れ、第二次大戦が遠い過去の物語となった1990年代。ジェイムスは家族に囲まれて静かな余生を送っていた。そんなある日、彼の息子のポールが屋根裏から一振りの古びた刀を発見した。仕事で何度か日本に足を運び、日本文化に魅せられていたポールは、その刀が素晴らしい業物である事を父に告げた。
 「ヘイ、ダディ。こんな凄い物、どうやって手に入れたんだい?」「ああ、懐かしいなあ。昔、日本兵が儂にくれたんだよ」ジェイムスはポールに戦争中の出来事を語った。ガダルカナルで降伏した日本兵が送還される直前にジェイムスに渡したのだという。「彼はきっと、お土産としてくれたんだよ」ジェイムスは笑いながら軍刀に積もった埃を拭き取った。
 「……なんて事を!ダディ、あなたは自分がどれだけ凄い物を貰ったのか分からないのか!?」ポールは顔色を一変させて軍刀を奪い取った。訳が分からないというジェイムスに向かってポールは言う。「日本兵にとっての刀は魂と同義語なんだよ!その日本兵はダディを信頼して、自分の分身である刀をくれたんだ。これは最高に名誉な事だよ」でも、とポールは言葉を濁して続けた。「彼にとっては身を引き裂かれるように辛い事だっただろう。ダディはそれを知らず、50年もの間、この刀を屋根裏に放置していたんだ」
 ジェイムスは、あっと声を上げて古びた軍刀を凝視した。50年前のあの日、自分に軍刀を渡した日本兵の姿が目に浮かぶ。着の身着で、何も持っていなかった彼は軍刀を渡すしかなかったのだろう。「私には他に何もありませんから」そう言って軍刀を渡した彼の心中は如何なるものだったのだろうか。
 一人の男の信頼を踏みにじっていた事を知り、ジェイムスは泣いた。そして何としてもこの軍刀を持ち主に返したいと思った。
 ジェイムスはポールを通じて日本の戦史家や学者に連絡を取り、あの日あの時の日本兵を捜し続けた。

 中国地方に住む佐藤進作の元に、アメリカから荷物が届いた。アメリカに知り合いなど居ない佐藤は訝しみながらも荷物を開封し、驚きの声を上げた。そこには彼が太平洋戦争の最後の最後で失った、あの軍刀が入っていたのだ!また、軍刀と共に一通の英語の手紙が同封されていた。息子に翻訳してもらった手紙の内容はこのようなものだった。
 過去に佐藤から軍刀を貰い受けたこと。それを今まで忘れ、数十年間放置していたこと。それを大変申し訳なく思い、本来の持ち主である佐藤に返還したいと思い軍刀を送ったこと。
 佐藤は感銘を受けると共に、今まで失っていた半身が戻ってきたかのような、深い充実感を覚えた。これでようやく、あの忌まわしい戦争が終わったと心の底から思えたのだ。

 この後、アメリカで再会した佐藤とジェイムスは、まるで数十年間つき合っていた友人のような深い友情で結ばれたという。やがて二人が世を去ると、佐藤とジェイムスの子供達が二人の意志を継ぎ、両家は交友を持つようになった。
 遙か海を越えて日本とアメリカを繋いだ軍刀は、今でも佐藤家の居間に飾られている。




 ……ええ話やな。この話って有名だから知ってる人も多いと思いますが(ところで、名前合ってるよね?なんか人を取り違えてる気がする)もちろん実在の話です。
 こうした軍刀の返還って戦後は割と多くあったようです。最近ではさすがに無いみたいですが。戦争関係の本には似たような話が幾つも出てきますので、興味がある方は調べてみるのも一興ですかな。