Type-03 katana of Japanese army

Type-03 katana of Japanese army
三式陸軍々刀

 三式陸軍々刀は大日本帝国軍(陸軍)が使用した、後期生産型の制式軍刀である。皇紀2603年に制式化された為、三式軍刀の名を与えられた。
 三式軍刀は大東亜戦争の中〜後期……日本軍が次々と国防圏を後退させていった時期に戦線に投入された軍刀だ。それまで用いられていた「九十八式軍刀」は柄糸や目抜き釘等の部品の腐食が激しく、耐久性に疑問が持たれていた。そこで三式軍刀では柄糸を廃止し、防腐処理を施した革張りの柄巻きを採用。また目抜き釘を金属化すると共に数を2個に増やすなど、各所のマイナーチェンジが行われた。
 しかし大戦の後半、特に局地防衛戦ともなると、圧倒的な兵力を持つ米軍を相手に白兵戦など行えるはずもなく、三式軍刀はそのほとんどが持ち主と共に戦場の露と消えたのだった……。

●なぜ日本軍は軍刀を制式装備化していたのか?
 剣が銃にかなわないのはこれまでにも繰り返し述べた。ではなぜ、日本軍は刀などを後生大事に兵隊に持たせていたのだろうか?
 最も大きな理由は士気向上のためである。軍刀は帝国軍の制式装備として、士官、下士官は所持を義務付けられていた。そして、一度戦場に出ると、あちこちに軍刀を持った兵隊が居る。つまり「見ろ!至る所に皇軍の兵士がいるだろう!我が皇軍はあまねくアジアの地に展開しているのだ!軍刀こそ大和民族の象徴なのである」と言う風に同朋意識をかき立てる為の道具として利用されていたのだ。

●実際、軍刀は戦闘の役に立ったのか?
 大東亜戦争が勃発する1941年暮れまで、日本軍は満州の地で中国軍と戦っていた。この中国軍、ハッキリ言って弱かった。(強制的に召集された農民が訓練も無しに戦場に投入されるのだから当たり前なのだが) 近代装備を持っていない上に錬度の低い民兵など、血反吐を吐くまでシゴかれている日本兵にとっては敵ではなかった。日本兵は「白兵戦こそ皇軍の真骨頂」として柔術、剣術を中心に鍛え上げられていた。であるから、軍刀を用いた白兵戦は「日本軍の必殺技」として散々に中国軍を痛めつけたのである。
 ところが米軍が相手になると話は変わってくる。米軍、特に南方戦線で日本軍と戦った海兵隊は、米軍の中でも屈指の実力を持つ精鋭部隊だった。その精鋭部隊が圧倒的な支援砲撃を伴ってやって来るのだ。白兵戦を挑むどころではない。戦場の状況は米軍主導のものとなり、日本軍は逃げ回る事しか出来なかった。……無論、こんな状況では軍刀など何の価値も無い。機関銃の弾幕の前では、刀は役に立たないのだ……がしかし!一部の日本兵はゲリラと化し、果敢に米兵に戦いを挑んだ。彼等の戦法は、闇夜に紛れて敵陣に忍び込む「斬り込み」である。音も無く米軍陣地に忍び込み、軍刀の一撃で首を切り落とす日本兵ゲリラは米軍にとって恐怖の存在だった。この事件のせいで軍刀は米兵の間で「Japanese deadly sword……恐怖の剣」として一躍有名になり、太平洋戦線のおみやげナンバー1となる……。

●戦後の軍刀
 米軍の日本統治が始まると、旧帝国軍の装備のほとんどは米軍の手に委ねられた。小銃や大砲、はては戦艦までおみやげとして故国に持って帰った米軍だが、その中でも軍刀は特に人気があった。
 前述の伝説?のせいもあるが、最大の理由は軍刀のパーツには金や銀などの貴金属が多分に使用されているためだ。要するに普通に貴金属として売りさばけたので、誰もが欲しがった。鍔や柄尻などの金属製のパーツを取り外して溶かし、金を抽出して売り払うのである。そして、かさばる刀身は鉄クズとして、海に投げ捨てられた。
 ……実は最も高価なのは刀身であったりする。国宝級の刀身がゴミとして海に捨てられていたが、米兵は日本刀の価値など分からなかったので、最も高価な刀身を捨てていたと言う訳だ。現在の時価で億単位の名刀が海に投げ込まれていたというのだから、何とも皮肉な話だろう。
 その他、日本国内に残った軍刀は、持ち主に返還されるか、所有者不明として安く刀剣屋や古美術屋に卸され、現在に至る事となる。



……左図はShadeで作った最後の作品。今見ると、クオリティ低い。