Kikuichimonji Norimune
菊一文字則宗・白鞘刀

 菊一文字則宗は鎌倉時代の刀匠・則宗の手によって作られた太刀である。
 通常、刀匠が刀身に銘を刻む際は自らの名前を彫るのがほどんどであるが、則宗は「一」とだけ銘を入れていたという。時の天皇であった後鳥羽天皇が則宗の刀をお召しになった際、刻まれた「一」の一文字の横に「菊」の紋章を御自ら彫られたという伝説がある。それ以降、則宗の刀は「菊・一文字 きくいちもんじ」の名で呼ばれるようになったという。
 則宗については不明な点が多く、彼が何本の刀を打ったのか、誰の元で作刀しどんな技術を後世に残したのか、ほとんど分かっていない。また彼の銘は極めて簡単に真似る事が出来る為、大量の贋作(しかも本家を凌ぐ程、高品質な偽物)が世に出回っている。また鎌倉時代には打刀は存在していない為、菊一文字の銘が入った打刀は彼の弟子が作った物か、もしくは贋作である。(新撰組の沖田総司が所持していたとの話もあるが、あれは司馬遼太郎氏の著「燃えよ剣」を境に広まった逸話のようだ)
 菊一文字作とされる刀が国宝として国内に数点存在する。だが日刀保と文科省の鑑定の結果では「ほぼ間違いなく則宗の作ではあるが100%の確証は無い」と真偽はあいまいである。余談だが、民間で流通している菊一文字の刀は99.99%贋作であり、バブル期には一振り数千万円で取引されていた刀が実はただのナマクラだったという話はゴロゴロしている。少なくとも一般人が入手できる物ではない伝説上の刀なので当然なのだが……。