Russian Red Army - PPSh 41
ロシア赤軍 PPSh 41 バラライカ サブマシンガン (初期ドラムマガジンモデル)

 PPSh41は第二次大戦時の独ソ戦でロシア赤軍が使用した短機関銃である。ドイツ軍のMP40サブマシンガンに対抗すべく開発された銃で、第二次大戦の中期〜後期にかけてロシア赤軍にて大量に運用された。上図はその初期型のもので、71連発のドラムマガジンを装着している。その特徴的な姿から「バラライカ」「マンダリン」などと同じ形の楽器の名前で呼ばれた。ロシア語読みでは「ペーペーシャ」だが前述のニックネームの方が一般的である。

 《バルバロッサ作戦》
 1941年夏。英国攻撃に頓挫したナチスドイツとヒトラーは東へと攻撃の方向を転換。アメリカに次ぐ大国であるロシアに対して戦いを挑んだ。
 大国ロシアを率いるのはヨセフ・スターリン。共産主義拡大と自身の保身の為に、虐殺と民族浄化を繰り返す「赤い悪魔」である。ナチスドイツが掲げるファシズムとスターリン政権下のコミュニズムがいずれ激突する事になるのは誰の目にも明らかだったが、最初の一撃を加えたのはナチスドイツ側だった。
 ヒトラー曰く「スターリンほど信用できない人間は居ない。やられる前にやれ」との事だが、この戦いがドイツ側が不利である事は明白だった。如何せん国力が違いすぎるのだ。そこでドイツは戦力を一極集中し、ロシアの首都であるモスクワただ一点を攻略する事に腐心した。前述のとおりロシア政権は共産主義であり、その舵取りはスターリンの独裁によって行われている。であるからトップであるスターリンと政治機能が集中しているモスクワが消滅すれば、ロシアは自然崩壊の道を辿る。これがバルバロッサ作戦ことロシア侵攻作戦の目的だった。
 ロシア首都モスクワを目指し、楔の如く一極集中で進行を開始したドイツ軍。ここに死者2000万人とも3000万人とも言われる独ソ戦が開始されたのだった。

 《地獄への道》
 補給を省みずひたすらに敵地深くへ侵攻する電撃作戦が功を奏し、会戦当初、ドイツ軍は破竹の勢いでロシア赤軍を打ち破った。
 圧倒的国力を誇るロシアだったが、その利を活かすことが出来なかった。なぜなら軍部を信用していないスターリンは開戦前に数十万人の赤軍幹部を処刑し、軍の弱体化を行っていたのだ。有能な将校は処刑済みであり、貧弱な装備しか持たない新兵同然のロシア赤軍では、とてもドイツ軍に敵わなかった。
 モスクワを目指し突き進むドイツ軍。だがスターリンは動じない。彼は自軍不利と見るや、すかさずある命令を全軍に対して発令した。「焦土作戦」の開始である。これはドイツ軍の進行先にある全ての街や村、街道を予め破壊し尽くし、ドイツ軍に物資の現地調達をさせず、冬まで粘るという作戦であった。
 そう、冬が来ればロシアが勝つのだ。零下数十度という極寒の中では戦車も航空機も歩兵も動けない。加えて寒さに不慣れなドイツ軍とは違い、ロシア軍には地の利がある。ドイツ軍の進撃さえ止まれば、物量で勝るロシア側が有利なのだ。
 「冬までにモスクワを攻略するか」「冬までモスクワを守りきるか」戦略は単純だった。ドイツ側は補給も負傷者の後送も無視してひたすらに進み、ロシア側は目に付くもの全てを破壊して後退し続けた。
 焦土作戦は双方に凄まじい精神的・物質的な負担をかけた。ロシア側兵士は同胞であるロシア人の街を焼き、市民を殺し、尚且つ仲間さえも犠牲にした。現地で徴収した市民を民兵として編成し、武器も持たせずドイツ軍に突っ込ませる。機銃弾の前にバタバタと倒れる民兵達。無論、退却は許可されない。一歩でも退けば政治委員から弾を撃ちまれる。「偉大なる同志スターリンと母なる大地のために死ぬのだ」進むも退くも死しかないのだ。ドイツ側は延々と続く瓦礫と死体の山をかき分けて進まねばなら無い上、毎日毎日、武器も持たない民兵を殺し続けなければならなかった。冷酷さで知られる武装親衛隊をもって「これは戦争ではなく虐殺だ」と言わしめたほどである。
 開戦から僅か3ヶ月後の9月、死者の数は200万人に達する。大部分は焦土作戦の犠牲になった無辜の市民と、使い捨てにされたロシア赤軍の兵達である。
 「いかなる犠牲を払おうともモスクワを死守せよ」スターリンにとっては犠牲者の数などただの数字でしかなかった。

 《転換点》
 1941年12月末日。ドイツ軍は日々激化するロシア軍の反撃を打ち砕き、ついに首都モスクワに突入。クレムリンの尖塔をその目に焼き付けるも、冬将軍が到来してしまう。吹雪の中で全く動けなくなったドイツ軍はロシア軍の決死の防衛の前に敗れ去り、バルバロッサ作戦は失敗に終わった。
 ドイツ軍が背後を見渡してみれば、そこには長く伸びきった補給線があるだけだった。各部隊は雪に閉じ込められて全く動けず、貧弱な兵站線からは全く補給が来ない。目の前のロシア赤軍は日に日に兵力を増しつつあり、このままでは突出した部隊が包囲される危険性があった。その為、ヒトラーはモスクワ前面からの撤退を指示。雪が解ける春までモスクワ攻略を延期せざるを得なかった。
 だが現地に居たドイツ軍は撤退すら出来ない状況に陥っていた。とにかく雪で動けない。車両を動かす燃料が無い。食料も無ければ弾もない。この為、ロシア側の包囲網が完成し、モスクワ攻略部隊は多大な犠牲を払う事になった。
 今や反撃の陣営を整えつつあるロシア軍と、敵地深くに入り込み雪で動けなくなったドイツ軍。東部戦線は攻守が入れ替わる事となり、転換点を迎える事となった。そして両軍は「近代戦において最悪の戦場」と呼ばれるスターリングラードへと突き進む事になる。

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