Khukuri Knife


Khukuri Knife - グルカ族・ククリナイフ
 グルカ・ククリナイフは現ネパール王国の最大民族であるグルカ族の間に伝わる刀剣である。
 グルカ族は18世紀にインドにて勃興した民族で、他民族を征服してネパールに王国を建立した。その後、周囲の少数民族を武力で制圧。当時、インド北部にて巨大な権力を誇っていたとされる。1816年にイギリスの保護国となり、イギリスの尖兵としてインド植民地化に貢献。その戦闘能力の高さが大いに評価され、中央アジア最強の戦闘部族として欧州に知れ渡ることになる。
 ククリナイフはそのグルカ族の間に代々伝わる伝統的な刀剣である。社会的地位を示すシンボルとしての価値を持つ他、祭事や行事などでも幅広く扱われた。又、ナタのように大きく頑丈な刃を持つので、山刀として用いるのにも適している。特に戦闘用に特化したククリナイフは代々部族の男達の間に伝わってきた由緒あるものだ。一人前の戦士として認められた男は上官や部族長から戦士の証としてククリナイフを授けられるのである。
 ククリナイフの名前は現在、刃物の愛好家やゲーム等で盛んに取り上げられている。本来ならアジアの一地方に伝わる民芸品でしかないナイフが何故、有名になったのか。その理由は1944年にまでさかのぼる。

 1944年3月。第二次世界大戦当時のインドはイギリスの植民地だった。そのインド開放を名目に大日本帝国陸軍はインドへと侵攻。後に「無理、無茶、無謀」の代名詞となる史上最悪の作戦、インパール作戦が開始された。元より勝算ゼロ、制空権も制海権も無く補給線も確保できない作戦の為に日本軍10万とインド国民軍4万5千が投入された。要は計画性皆無の物量作戦である。それでも帝国軍と国民軍は果て無きジャングルを切り開き、山を越え川を渡りインパールへと肉薄した。
 この戦況を打開すべく、イギリス軍は虎の子の精鋭部隊であるグルカ兵を投入。グルカ兵はイギリス軍隷下の特殊作戦部隊としてゲリラ作戦を展開して、主力であるイギリス軍及びインド軍をサポートする役目を担った。最前線のジャングルに展開したグルカ兵は破壊工作を実行。奇襲や陽動を繰り返し、確実に日本軍を追い詰めていった。主力であるイギリス軍が苦戦する中、唯一戦果を挙げ続けるグルカ兵の名前は日本軍に恐れられた。実際、グルカ兵の担当区であったビルマ西部における日本軍の戦死者の大部分は、グルカ兵と戦って戦死したものである。当地には後のイギリス特殊部隊SASの前身となるコマンド部隊なども展開しており、グルカ兵はSAS等の特殊部隊設立に大きな影響を与えたと言われている。
 とはいえ、さしものグルカ兵もジャングルの悪条件には舌を巻いた。部隊にはマラリアや熱病、赤痢が蔓延し、補給は困難を極めた。日本軍は頑強な抵抗を繰り返し、最強を自称するグルカ兵が追い詰められる場面が何度もあった。戦闘や病気で次々と兵士達は死亡。無論、援軍も無く負傷者の後送も出来ない。薄暗いジャングルの中で、明日生き延びられるか分からないという極限の戦場をグルカ兵は4ヶ月間戦い続けた。
 1944年7月。日本軍はインパール作戦を断念。インドから撤退し、グルカ兵の戦争は終わった。後、日本軍の陣地に足を踏み入れたグルカ兵達は絶句した。そこには自分達の状況を遥かに凌駕する、本物の地獄が広がっていたのだ。日本軍には食料も医薬品も武器も弾薬も無く、陣地にはうず高く詰まれた白骨だけが残っていた。味方の死体を食って命を繋ぎ、竹やりで武装し、撤退する味方の盾になるべく言葉通り最後の一兵まで戦って全滅した。日本兵3万人が玉砕した墓場、この余りに凄惨な光景にグルカ兵達は言葉を失った。同じアジア人でありながら殺し合い、ただの一人も残す事無く日本兵全員を死に追いやってしまったという後悔が残った。敵であるはずの日本兵の為にグルカ兵達は泣いた。グルカ兵の中で、最強という言葉の定義が書き変わった瞬間だった。
 1959年。日本政府の遺骨収集団がビルマへと渡った。その時、遺骨収集を買って出たのがかつて日本兵と戦った元グルカ兵達である。彼等は日本兵を最強の敵、そして友と認め、彼等が安らかに祖国で眠れるようにと遺骨の収集に名乗り出たのである。そして戦死した日本兵とグルカ兵を弔うべく、かつての戦場にはビルマ戦没者慰霊碑が建てられたのだった。
 その後、グルカ兵はイギリス特殊部隊SASの中央アジア部隊として編成される事になる。SASグルカ兵は本家SASと共に、世界最強として認知されている。そして現在、SASグルカ部隊の隊員となった兵士には任官の際、一振りの短剣が与えられる。それがこのククリナイフである。
 「お前達の祖先はこのナイフを手に世界一過酷な戦場で戦った。このナイフを手にする以上、祖先の名誉、そして敵の名誉を汚す事無く、誇りあるグルカ兵として戦いなさい」

 男達の手に握られたナイフには、実に重い歴史と価値があるのだ。それ故に、ククリナイフは日本刀等と同じように道具の領域を超え、広く名が知れ渡っているのである。今日ではナイフ界にはククリナイフを専門に製造する刀匠も存在する。それはひとえにククリナイフという物が持つ魅力に取り付かれたからに他ならない。