■1972年■ |
僕は家の中では恐怖の大王(親父)と鬼軍曹(兄)に支配、服従させられている奴隷のような身分だったが、同時に学校の中ではそのウサを晴らすかの如く、いつも暴れまくっていた。 だからクラスでは僕に逆らう者がいない程の支配者でもあった。 マカロニウエスタンやヤクザ映画が大好きで、血や火を見てゾクゾクする子供で、頭の中は勉強やスポーツが出来る事よりも、誰にも支配されない”強い漢”になりたい願望でいっぱいだった。 もし、音楽をやっていなかったら?・・・それは考えるのも恐ろしいので、やめておこう。 そんな僕が初めて好きになった楽器がトランペットだ。 当時、TVドラマ”俺は男だ!”(森田健作主演)で志垣太郎が演じる不良高校生が、砂浜にジープを止めて海に向かってトランペットを吹くシーンがあり、何ともニヒルで”カッコいい!!”と思ってしまったのだ。 それから”太陽に吠えろ”のジーパン刑事(松田優作)のテーマや”あしたのジョー”の力石とおるの登場テーマなんかもシビレたな。 今考えると”巨人の星””タイガーマスク””あしたのジョー”(梶原一騎原作のスポ根)などを筆頭に、僕の小学生時代のTVアニメソングはマイナー調の暗いやつばかりだったが、もしかしたら僕の家庭内での境遇と、物語との相乗効果で、あの暗いメロディーとトランペットの音色が実際以上にグッと心に響いたのかもしれない。 僕は感動するとすぐに鳥肌が立つ体質だが、子供の頃はまだそれが”感動”だとは理解出来なかった。 思春期に自慰行為にふけるのと同じような感じで、若干の後ろめたさを感じながら曲中の”鳥肌が立つ部分”だけを繰り返し何回も、一人でこっそりレコードを聴いていた記憶がある。 まあそんなわけで学校の鼓笛隊に入り、トランペットを吹いていたのだが、ある日 突然兄に”強制的”にギターを始めさせられる事になる。 兄は、天地真理(当時NO.1アイドルでTVドラマ”時間ですよ!!”の中のエンディングで屋根の上で白いフォークギターを弾いていた)の影響で白いフォークギターを弾き始めたが、初心者だったので、既にバンドをやっている高校の友達には相手にしてもらえなかった。 そこで、弟の僕を仕込んで一緒にバンドをやろうとしたのだ。 まず最初に、フォークギターの弾き語りから教え込まされた。 岡林信康、吉田拓郎、六文銭、赤い風船、はしだのりひこ、など定番の日本のフォークソングからビートルズ、サイモン&ガーファンクルを中心とする洋楽、天地真理をはじめとする歌謡曲、いわゆる当時の平凡、明星付録の歌本に載っているような曲はほとんどやらされた。 兄の弾ける曲はもとより、兄が練習中の曲も一緒に練習して、おまけに歌も覚えなければならなかった。 いつもボロクソに怒鳴られ、”もうやりたくない”と口答えするとボコボコに殴られた。 ”明日までに弾けるようにしとかんかいっ!!”と命令されたが、白いフォークギターは兄が弾き飽きるまでは貸してもらえない。 しょーがないから、要らなくなった親父のギター(何故か家にはクラシックギターが2本も転がっていた)を弾いてみるが、小学5年生の手じゃコードなんてまともに押さえられない。 ある日、僕が学校から帰ってきて、兄のいない間にギターを弾いておこうと兄の部屋へ行くと、白いギターのネックがヒビ割れていた。 兄は割れた理由を語らなかったが、すぐに新しいギターを買って来て、僕に壊れた白いギターを譲ってくれた。 マイギターは手に入ったが、ひび割れたネックじゃ弦高が高すぎて押さえても音にならない。 そこで僕は弦を1音半緩め、3フレットにカポタストをはめて弾くことを思いついた。 そうすることで弦高も下がり、ローポジションも近くなって弾きやすくなるというまさに一石二鳥のグッドアイデアだった。(今考えても感心する) テンションがベロンベロンなので、フォークギターらしい張りのある音は出なかったが、そんなことより弾きやすさ重視だった。(その後、更にエスカレートしてエレキの弦を張るようになる) それから1年ほど経って、僕がちょっとマシにギターが弾けるようになって来ると、兄が色んな所から色んな機材を集め出した。 気が付くと、いつの間にか家にはトーマスのエレキギター(日本一安い二光通販)、フォークギター×2本、ドラムセット(質流れ品)、2弦ベース(1,4弦が無かった)、アンプ(親父の真空管ラジオを改造)などバンドをやるために必要な機材は、最悪ながら揃っていた。 |