Scratch Noise 「孤島に住むもの1」


 木々が生い茂った森の中でさえも、ここフォール大陸の南側はとても暑い。しかし、湿気が少ない為べたつく暑さはない。だが、森の中を歩く二十歳前後の女は、表情を歪め舌打ちをした。まるでどこからか異空間から迷ってきたように、白いワンピースで森の中を歩く姿は、少々滑稽である。草に擦れてしまったスカートは、汚れておりそれが苛立ちを募らせるのか、何やらブツブツと言っているようだ。

「ったく、どうなってんだこの暑さ」

 彼女の顔立ちと真っ白な肌の色からすると、リシエス大陸の生まれだろうか。そうだとすると、きっとこの暑さは彼女にとって尋常ではないだろう。なんせ、リシエスとフォールの気候は対極なのだから、疲労もきっと相当なものだ。
 白い額に張り付いた湖のような水の髪をかき上げ汗を拭うと、今度は一つため息をつき、側にある木に寄りかかり空を見上げた。
 汚れてしまった服は、もう気にすることない。裾が汚れようが、背が汚れようが、もうどうでも良さそうだ。木漏れ日を浴びながらボーっとしていると、何かに気づき目を細める。その次の瞬間に、綺麗な顔は崩れ一気に般若のような顔になる。地を歩き汚れる自分と対照的に、大空を爽快に飛び回る鳥。それを忌まわしげに見つめているのだろうか。

「あれは、アヴィオンの…… くそったれ! 遅いわっ」

 飛び回っていた鳥は、どうやら知っている者の鳥のようだ。しかし、そんな事よりも、彼女の言葉遣いが先程から気にかかる。一見した感じでは清楚な雰囲気がある女だが、どうも言葉遣いが悪い。見た目とのギャップがありすぎる。
 彼女は、空から降下してきた鳥を睨みながら、それを腕に止まらせることなく、荒々しく胴体を掴むと力一杯締め付けた。胴体が不自然に歪むと同時に鳥はグエッと一言苦しそうに鳴く。

「おい、遅いじゃねぇか! どれだけの大変だったか解ってんのか」
「悪い。急いだんだが…… 」
「…… っ、『だが』なんだよ! それで終わりか? あぁ?」

 鳥から人の言葉が発せられたことに驚く様子はない。きっと、相手のエレメンタルの力で、遠隔操作でもしているのだろう。術者には、苦しみなどなにも伝わらないが、あまりにもイライラしている女は、さらに鳥に力を加える。これでは鳥がかわいそうだ。しかし、いくら待ってもその返事は返ってくることがなかった。

「無言かよっ『だが、』の続きは何なんだよ。きちんと最後まで話せ! イライラするっ暑い」
「暑いのは関係あるのか」
「そこは返すのかよっ! あーもう、お前と話してると余計イライラする」

 青筋を立てながら怒鳴り散らす女だが、鳥を通して向こう側にいるアヴィオンと呼ばれた男は全く焦っている様子はない。どうやらこの二人も対極の性格らしい。

「結界は」
「あぁ、それなら自力で見つけたよ。お前が遅かったからな。この気候の中、何の手がかりもなく自力で見つけた。お前が遅すぎるから」

 まるで嫌味のように何度も同じ言葉を繰り返す女。まぁ、実際の所嫌味以外の何でもないのだろう

「大変だったな」
「…… この野郎」

 嫌味な言葉も男には伝わってないらしく、女は頬を引きつらせながら森に響き渡るほどの声で怒鳴った。一斉に鳥たちが飛び立ち、アヴィオンからの通信もそれで途絶えた。





 サントルの中心を流れる河。その流れはとても緩やかなものであり、しかも底が見えるほどきれいなものだ。そんな河が見渡せる橋の上にアヴェルス達は留まっていた。ここからでもよく見えるアオルトを背にしながら、カプリスはデファンドルを手に何やらウロウロと歩き回り、アヴェルスはシルフに貰った小さな袋を眺め、そして仲間に加わったスィームは、買って貰ったばかりの洋服がとても気に入っているのか鼻歌を歌いながら、そのふわふわのスカートを持ち上げたり上機嫌だ。そんなスィームをアヴェルスは見つめると、興味なさそうな顔をする。

「そんなに嬉しいか?」
「うん、一回こういうの着てみたかったの」
「へぇ」

 旅をする。といっても、そんなに過酷なものではないが、普通に考えれば動きやすい服装が一番だ。服が欲しいと言ったスィームに、好きなものを選べばいいと言ったものの、まさかこんな服だとは思わなかった。スィームは、どこぞのお嬢様のような、フリルがたくさんついた洋服を選んだのだ。ただのスカートではない。フリルでふわふわのスカートというのを強調したい。
 アオルトでの生活は、決して貧しいものではなかった。しかし、個々の好きなものを買ってもらえることはなく、服も上にいたものからのお下がりばかりだ。そして、なんといっても地味。スィームは色が綺麗で可愛らしい服を着たのは、今日が初めてだという。

「ま、そんなに気に入ってるならいいけど」
「うん。ありがと。ね、ね、アタシお嬢様みたいでしょ?」

 上機嫌のスィームは、先程からウロウロと歩き回るカプリスに話しかけた。すると、少し面倒そうに彼女を見る。
 
「…… ハイハイ。お嬢様みたいね。みたいだからニセモノだけど」

 いつものことだが、棘のある言葉にスィームの頬もふくらんだ。その頬を見ながら、ニヤリと口角をあげる。カプリスは、人をからかうことが大好きなのだと幼いスィームでも理解できだろう。そのままそっぽを向くと、アヴェルスに構って貰おうと彼の方に向き直った。

「でも、この袋すごいよなぁ」

 アヴェルスは、ずっと手に持っていた小さな袋を持ち上げて感心したように言った。持ち上げられた袋は、ただの薄汚れた布。いいものが入っているようでもなく、大金が入っていそうな膨らみもない。見た目は、100モーラのコインがよく入って十数枚といったところだろう。

「シルフに貰ったんだよね? いくらでもお金が出てくるんでしょ? じゃぁ、大金持ちになっちゃうよ!」
「でも、出てくるのは100モーラだけなんだよな。さっきだって、その服買うのにいくつコイン出すんだよ。って店員思ってただろうな」
「お金は、お金なんだからいいじゃん」
「金持ちそうにも見えないんだからさ、なんでそんな事気にすんのかなぁ? 変な所で人目気にしたり、見栄っ張りだよね。昔から」

 スィームに続き、カプリスまでも話に参加し始め、さげすんだ目でアヴェルスを見つめる。

「昔からってなんだよ。一緒にいて、まだ1年も経ってないだろ」
「毎日一緒だと解るの」
「悪かったな」

 そう言いきれるほど、あからさまだっただろうか。アヴェルスは何も言わず、少し不機嫌そうにそっぽを向いた。実際には彼自身もそう思うところがあるために、ちゃんと反論できないかったのだろう。人によく思われたいのは誰でもそうだ。それが行きすぎだ行為でなければ良いのかもしれない。しかし、気にしすぎて誰にでも良い顔をするのは、結果的に悪い方へしか進まないのかもしれない。

「でっさぁ、これなんだけど」

 すぐに話題を変えようと、カプリスは手に持ったシルフのデファンドルをアヴェルスに見せた。突き出されたペンダント型のそれは、ゆらゆらと揺れている。

「ちびっ子には見えてると思うけど、光の差す方向が妙なんだよね」
「妙って?」

 ちびっ子と言われたスィームが、何やら言っているが、カプリスの耳には届いていないようでそのまま話し続ける。

「オレ達はあっちのスウトニール大陸から来た。来たとき光は二つとも北を指してた。けど今、補佐のデファンドルは、南を指してる。妙じゃない?」
「移動したって事か?」
「そんなすぐに真逆になるかなぁ」

 まるで答えを知っているかのような口調で、カプリスはそう言った。約一日ほどしか経っていないのに、自分たちを越えて南へ行ったというのだろうか? 

「街に着いたときはどっち指してた?」
「さぁ?」

 気にしていなかったアヴェルスにも非はあるが、所持していたカプリスが気にしていてくれないとどうしようもない。まぁ、今更言っても仕方のないことだ。それに、まだ探し始めたばかりで、こんな事が起こるとは思ってもいなかった。という事もあるだろう。

「じゃぁ、スウトニール大陸に行こうよ」
「また戻るの?」
「アタシ、スウトニール大陸行ったことないんだ」

 まるで旅行気分のスィームに、男二人はため息をついた。また来た道を戻るのかと思うと、少々しんどい。これからは、もっとよく考えて行動をしないといけないようだ。

「でも、シルフの補佐を次に見つけなくちゃいけないって事はないんだろ? じゃぁ、先にデファンドルを貰いに行かないか? どうせそれがなくちゃ始まらない」

 確かに、ここまで来てしまったのなら、また戻るのではなく一度全てのデファンドルを集めてしまった方が早いだろう。全部手にした状態で、人を探す方がきっと二度手間にならない。

「えぇ、スウトニール大陸行きたかったのになぁ」
「遊びじゃないの! 解ってる? ちびっ子」
「だからちびっ子って言わないでよっ」
「やめろよ、二人とも人が見てるだろ…… 」

 年齢差、身長差がある二人だが、こう見ると同じような感じに思える。人目を気にしながら、アヴェルスはやんわりと言葉を投げた。しかし、そんな事で止まるわけもない。バカにしたように見下ろすカプリスと、それを睨むスィーム。しかし、その表情を見ていると、ふいにスィームは首をかしげた。

「あれ? なんか変な感じ、前にもこんな事があったような」

 怒っていることも忘れ、何か不思議な感覚を思い出そうとする。スィームは、腕を組みさらに首を捻った。

「懐かしいっていうか、なんかもやもやする」
「恋?」
「それは絶対違う」

 カプリスのふざけた言葉に、間髪いれず答える。

「それは、遠い昔の記憶」

 急に聞こえた声に、三人はその方向を向いた。そこ立っていたのは、女性だった。年は、二十代前半ぐらいだろう。藍色の腰まである長い髪は、風にさらさらとなびいている。長身で、すらりと伸びた手足。パンツ姿にブーツという格好で、腰には銃をぶら下げていた。街のものとは思えない。旅人だろう。

「遠い記憶?」

 カツカツと歩く音がやけに耳に残る。彼女は、アヴェルスの前まで来ると、膝を折り頭を下げた。長い髪が地面につくのも気にせず深々と礼をする。

「知り合いなの?」
「知らないって。ちょっと、いきなり何ですか」

 無言でその姿を見つめるカプリスと、どうなっているのか解らないスィーム。そして頭を下げられている本人が一番解らないといった雰囲気だ。

「自分は、貴方様を補佐するもの。覚えていらっしゃらないのですか、マスター」

 彼女の左耳に光る鮮やかなピアスが、光を反射しながら揺れるのを、アヴェルスはただ黙って見つめていた。