信濃大門箚記

10章原始仏教考


一夜賢者の偈

 「いま、この瞬間」の重要性については、エックハルト・トール著「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる(徳間書店飯田史彦監修 あさりみちこ訳)」を読むとかなり理解しやすいが、「いま、この瞬間」を再考すると気づきの原点の教えは、一夜賢者の偈であると改めてブッダの偉大さを感ずる。

「今今と今と言う間に今はなく、今と言う間に今は過ぎ行く」

という道歌がある。正受禅師の

 「一大事とは今日只今のことなり」

も思考の根底にあるものは同じである。一日、その瞬間、今というその瞬間の大切さは、人の意識が時間とともに流れ行き、留まらないものであるかを考えさせられる。

 仏教では、留まらない意識だからこそ自我というものは固定されず。個の存在は生来無自我であると説く。

 自我の無いところに、言葉を変えれば、固定された個が無いところに魂の存在はなく、輪廻転生はありえないのである。

 しかし、仏法も方便で「悪いことをすれば地獄、善を積めば天国、畜生的な人生を過ごせば動物に生まれ変わる。」などと教化してきた。

  これらの教化は、流れ行く現代に至って、SF的な現象は全て、今という瞬間においては現実ではないのに、可能性を秘めた現実と錯覚させ、人類に今という現実、瞬間のもつ重要性を見失わせてしまった。

 留まりの無い意識の中での個の正義の判断は、同じく留まりの無い意識の中での不正義という相依する概念の認識があって成立しているのであって、真理では無い。  「人を殺しては成らない。」というのは、瞬間の真理であり「神の名においての殺人行為、聖戦による殺戮行為」は流動的な思考がもたらす産物であることが解る。

 「過ぎ去れることを追うことなかれ。いまだ来たらざるを念(おも)うことなかれ。過去、そはすでに捨てられたり。未来、そはいまだ到らざるなり。さればただ現在するところのものを、そのところにおいてよく観察すべし。揺らぐことなく、動ずることなく、そを見きわめ、そを実践すべし。ただ今日まさに作すべきことを熱心になせ。たれか明日死のあることを知らんや。」南伝中部経典一夜賢者偈より

原始仏教典の中でも大好きな偈です。

仏陀


11章 安曇野の山々考

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