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 『ザ・リス』(誠文堂新光社)で愛らしい姿を見せてくれたタイワンリスの元太郎ちゃん。(P51下、P58右、P95)
本当に悲しいことですが、元太郎ちゃんは今年の6月、天国へと旅立ってしまいました。ママの清水玲子さんは元太郎ちゃんを全身全霊で愛していました、もちろん、今だって。何回かの清水さんとのメールのやりとりを通じてそれは私にも伝わり、それだけに元太郎ちゃんの訃報は私にとっても大きな衝撃でした。それと同時に、元太郎ちゃんの死と向き合おうとする清水さんの強い心(それは元太郎ちゃんへの深い想いと通じます)にも、胸を打たれたのです。

 大切な子の死と向き合うことは、とてもとても辛いことです。でも、たぶん、向き合わないと次の場所には行けないんです。清水さんは、元太郎ちゃんの生と死と、すべてに向き合い、文章を綴ってくださいました。いろいろなことを私たちに教えてくれると思います。

 どうぞ、お読みください。清水さん、元太郎ちゃん、どうもありがとう。(2005年8月15日)

 タイワンリスの元太郎
文:清水玲子

 2005年6月14日に天に召された元太郎の話をさせていただきます。
 元太郎はタイワンリスで、享年は推定1才9ヶ月です。

出逢い

 少し遡ってお話します。庭にタイワンリスが来ることに気がついたのは平成12(2000)年頃。そのうち、モチノキ(樹高は電信柱位)に巣らしきものがあることに気付き、平成15(2003)年1月には母リスが山から戻った直後、子リス2匹がモチノキを走り回る姿が見られるようになりました。好奇心旺盛な子リスは樹を見上げる私を不思議そうに見下ろしていました。それから10日ほど経ったある朝、私がパソコンに向かっていると、軒を走る音がして母リスが軒から顔を出し部屋の中を覗き込み、そして柳の木へジャンプ、続いて子リス達も柳へジャンプし「僕たちお山に行くんだよ」と微笑み、挨拶をするかのように首をふり幹を登って山へ消えてゆきました。夕方になっても戻ってこないので、山の巣へ引っ越したことが分かりました。
 その年の8月、駐車場にするために庭を潰すことが最終的に決定されました。私の力不足で庭の木々を守ることができませんでした。
 モチノキに住人は居なかったのでその点だけはよかったと安心していたところ、9月12日頃からリスが夕方になると帰ってくるようになりました。冬に出産した母リスよりは下の世代のリスだと思います。「出産」という言葉が頭を過ぎりましたが、まだ、残暑の厳しい頃でしたしまさかと思ったものの、専門家の方にリスを怖がらせる方法を伺って巣を移動させようと試みました。けれど、巣を動かす気配は全くありません。それどころか、ある朝、庭に居るとリスは私の方へ振り返ってから山へ出かけるではありませんか。これは「居ない間、頼んだわ」の意味ですから、巣に赤ちゃんのいることをほぼ確信したものの、どうか、この推測は間違いであって欲しいと願う他ありませんでした。なぜなら既に工事開始日は10月27日と決定していました。

2003年10月27日(月)
 工事当日。工事関係者とリスの巣を壊さないという確約を結んでいましたが、どうやって赤ちゃんを守るのかの策もないままその日を迎えました。電動ノコギリの音が響き渡りました。樹の育つスピードに対し、人間の伐採するスピードは比べものにならないほどわずかな時間でした。朝8時過ぎに始めて11時頃に庭の木々はほとんど姿を留めなくなっていました。どこかでモチノキの伐採は明日になるだろうから、夕方にママリスが赤ちゃんを山に運んでくれることを期待していました。ところが、みるみるうちにモチノキの枝は切り落とされ、残った枝の巣の中で何かが動き回っていることが地上からでも確認できました。山ではリスが甲高い警戒音を発しています。ママリスに違いありません。職人さんにお願いして、樹に登り巣を静かに降ろしてもらうことにしました。巣ごと箱に入れてママリスの通り道に置くしか方法はないと判断したからです。職人さんがはしごを昇り巣に近づこうとした瞬間、巣から何かが勢いよく飛び出してきました。子リス2匹が降ってきたのです。1匹は庭に落ち、すぐに職人さんが捕まえ私に渡してくれました。すぐに落ちた巣も拾い、段ボール箱に巣と子リスを入れ、ママリスの通り道に置きました。もう1匹は道路側に落ち、蓋付きの側溝に逃げ込んだと教えられたので、通りのふたを覗き込みましたが見つけられませんでした。どこかの穴から外に出たものと思い、カラスが来るといけないので子リス入りの段ボールを見張っていました。
 午後4時過ぎ、工事は終わって職人さん達が帰り静かになると、自転車のタイヤを擦ったような「キィーッ」という音が響き渡りました。子リスが母リスを呼ぶ声だと分かりました。なぜなら、夕方になるとこの声をよく聞いていたからです。道路に飛び出し側溝を調べてみると、モチノキの下のふたの辺りから聞こえてきますし、屋根ではママリスが狂ったように走り回っています。近所のおじさんも心配して来てくれましたが、ふたは開かないと言われました。私は市役所に電話して開けてもらおうかとも考えましたが、駆除対象動物になっていますから殺されるだけだと思いとどまりました。火事場の馬鹿力とはよく言いますが、無我夢中で気がつくと素手でふたを引きあげていました。バールをとって戻ってきたおじさんもかなり驚いていました。側溝の中は暗く、子リスの姿は見えません。斬られた桜の枝を下ろすと、子リスが這いずるように近寄って来ました。けれど、動物を抱いたことのない私はどうしてよいか分かりません。もし、驚いて奥に逃げ込んでしまったら大変です。代わりにおじさんが軍手をつけて子リスをそっと拾い上げてくれました。渡された子リスの濡れた毛を軍手で拭きながら屋根の方へ高く掲げ、ママリスに見えるように「助かったよ」と伝え、急ぎ軍手で包んだままの状態で籠に入れ樹の枝にかけました。そうすると、ママリスはその樹をスルスルと降りてきて、子リスが助かったことを確認すると、身を翻して軒に置いてあった段ボールに近づき、庭に落ちた子リスを咥え山に消えてゆきました。
 私はきっと戻ってきて、側溝に落ちた子も連れて帰るに違いないと、空いた段ボールに入れると、子リスは這いずって巣の中に入りました。夕方7時まで待ってから箱を覗いてみると、子リスはそのまま巣にいました。10月も末ですから夜半は冷え込みますし、きっとママリスも山の巣の修理で忙しいだろうから、明日返すことにして家に入れました。濡れた体を拭いてあげようと思いましたが、子リスの毛は既に乾いていました。昼間のうちに動物園に連絡して食事のことを尋ねておいたので、急いで近所のペットショップへ猫ミルクと哺乳瓶を買いに走りました。人肌より温かいミルクを教えてもらった濃度で作ってみましたが、子リスは口を真一文字にしっかり結んで、哺乳瓶を近づけると拒否するかのように口を背けます。1日目の夜は温めることを知らなかったので、巣とタオルと段ボールのまま子リスは眠りにつきました。心配だったので、どんぐりを割って段ボールに入れておきました。

2日目(2004年10月28日(火)晴天)
 朝もやはりミルクを飲もうとしません。とにかく、早く母リスに返さなくてはと昨日と同じように軒に置きましたが、その日は電動ノコギリに加えユンボが入ったため凄まじい騒音のせいか、母リスは一度も姿を見せませんでした。結局、夕方「キィーッ」と鳴き声がして、行ってみると段ボールから這い出した子リスはかなり動き回って屋根から落ちそうになって鳴いていました。暗く寒く怖かったのだと思います。きっと、ママを探し回っていたのでしょう。人間の匂いをつけないようにと、軍手で捕まえて段ボールに戻し、家に入れました。やはり、ミルクは拒否されました。リスの専門家の方から保温と給水が大事であるというメールを頂き、段ボールの底にホカロンを貼り、哺乳瓶で水を飲ませようとしましたがやはり駄目でした。

3日目(2004年10月29日(水)大雨/午後雷雨:工事中止)
 何か食べさせないと死んでしまうと買出しに出かけました。給水ボトルとリスのエサ、パウダーミルクなどを購入して電車に飛び乗ると、母から電話が入りました。すごくあわてていました。雷の音で驚いた子リスが段ボールを飛び出して、鳴きながら部屋を這いずり回っているというのです。雷に驚いてママを探しているのでしょう。怪我でもしたら大変と電車の中を走りたい気分で家路を急ぎました。部屋に入ると、木が恋しかったのでしょうか、木製の机の梁に掴まって動こうとしません。体をなでて落ち着かせ、そっと巣に戻しました。その晩もミルクを拒否しました。もう3日間何も食べていません。仕方がないので段ボール箱に「ナチュラルラックス」と給水ボトルを設置しておきましたが、飲んだ様子はありませんでした。

4日目(2004年10月30日(木)晴天)
 この日、モチノキの根を掘り起こして伐採工事は終了と聞いていたため、段ボールに入れた子リスをいつものように軒に置き、様子を伺いながらモチノキの最期を見守っていました。そうこうするうちに、1匹のリスが山からやってきて軒に近づきました。やっとママリスに返せるとほっとしていましたが(内心は少し寂しくもありました)、山に戻って行く時に何も咥えていないように見えたので、食事をとってから連れて行くのかもしれないと様子を伺っていました。お昼に職人さんが帰ってしまうと、また、「キィーッ」という甲高い鳴き声が聞こえました。急いで軒の段ボールを覗くと子リスはいません。連れて帰ったのかとも思いましたが、周囲を探してみると道路でフリーズしている子リスを発見しました。自転車や自動車に轢かれなかったのは奇跡と言う他ありません。
 その姿を目にした瞬間、子リスがママリスに捨てられたことを悟りました。抱き上げた時のぬくもりを今でも覚えています。それは命の温かみでした。誰が何と言おうと私が育てると心に決めました。一方、子リスも自分が生きていくためにママの代役として私を選ばざるを得なかったのです。部屋に入れてタオルの下にホカロンを置き、食卓にあったラフランスを刻んでお皿に置くとよろよろと近づいて食べ始めました。すごくお腹が空いていたのでしょう。ママのところに帰るために、人間の匂いがついたミルクを拒否し、この4日間齧ることのできないどんぐりの実を一所懸命しゃぶっていたようです。とにかく温かいミルクを飲ませようと、私が部屋から離れると「キィーキィーッ」と鳴いて私を呼ぶのです。急ぐあまり、しっかりと混ざっていないミルクを子リスはゴクゴクと元気に飲みました。あまりの飲みっぷりに鼻にミルクがにじんでしまう程でした。つまるといけないのでティッシュで拭き取り、拭き取り、飲ませました。お腹が満たされると、心身ともに疲れきった子リスはホカロンの上まで這いずって行き眠りに落ちました。

5日目(2003年10月31日(金)晴れ)
 ミルクを飲むようになると、次に心配されるのは排泄のことでした。食べていないこともあって、27日から一度も排泄物を確認していませんでした。まだ、自分で上手に排泄できないのかもしれないと食間にマッサージを行うと、初めは驚いていましたが結構気持ちよさそうにしていました。寝かしつける前に、突然私の体に登り首筋の少し下の辺りに座りました。眠るのが嫌で逃げたのかと思ったら、母が背中に光るものが付いていると言います。それは小さなフンでした。服を脱ぐと尿の痕跡もありました。初めて排泄してくれたことと、安心できる場所として私の体の上を選んでくれたことが、ママと認められたようで言葉にならない程感激しました。

命名
 世話のことに気をとられていると、母がいつのまにか「元太郎」と名付けてしまいました。雷の時に元気に鳴きまわっていた男の子だからだそうです。「元気に育つように」の意味も込められています。元太郎の誕生日は定かではないのですが、9月の末~10月の初めだと思われます。庭の木の伐採が1ヶ月遅ければ山の巣に移っていたでしょうから、こんな目に遭うこともなかったのにと思うとかえすがえすも残念でなりません。
 人間と動物が暮らすというと「ペット」「飼う」という言葉が用いられますが、少しばかり違和感があります。言葉で表すとすれば「暮らす」であり「子供」と言う他ありません。元太郎のことばかりで日々暮れていたと言ったらウソのように聞こえるかもしれませんが、子供好きというタイプでもなかった私の中で、元太郎を抱いた瞬間から母性というものが目覚めたようです。元太郎との生活について詳細を記したくもありますが、あまりにも膨大なので割愛させていただきます。
初期の計測:体重78g。体長約26cm(体と尾の長さが同じ)。


突然のできごと
2005年6月12日(日)
 私は朝寝坊し昼に目が覚め、急ぎ元太郎のケージの覆いを外しました。不思議なことに元太郎はすぐに巣箱から出てきません。ふと見ると、ステージのところに嘔吐物がありました。お腹が空いて貯蓄したサツマイモを食べたせいだと思いました。様子を伺っていると、巣箱から出てきた元太郎はケージの床に落ち、すぐさまステージにジャンプしました。体力がかなり低下していたのでしょうか。急いでごはんの仕度をしていると、また吐きました。12時から13時まで2回ばかり計3回嘔吐したため病院行きを決心しました。私が約1ケ月も咳が止まらない状態だったので、元太郎にうつったのかもしれないと考えたからです。
 元太郎は食欲がないのか、嘔吐物にあったサツマイモやキューイを食べようとしません。ブルーベリーと栗を少し食べただけです。庭のびわをとってくると喜んで食べていました。吐いた後も元太郎は元気な様子を見せていましたが、いつもは種から食べるびわの実ばかりを食べていました。今思えば、硬いものは腫れた内臓に痛みを伴うため避けていたようです。ケージの一番高い柿の枝の部分にステージを加えゆったりとできるようにしようとすると、すぐにやってきて「僕も手伝うよ」とじゃれつきます。最近、寝ていることが多くなった元太郎はその日も身体を横たえていました。尿の臭いがきつく感じられました。

6月13日(月)
 午前8時半、ケージの覆いを外してもなかなか起きてきません。食事を置いて様子を見ていると、降りてきましたが、やはりすぐには口をつけませんでした。びわと栗のみ食べました。また、新しいびわをあげると喜んでぶら下がりながら食べていました。その時に元太郎の上腹部がぽっこりと腫れている感じがしました。元太郎は「もっとびわを頂戴」とねだったのですが、病院の予約があったため、麻酔のことを考えるとあまりたくさん食べさせるのはどうかと考え、残りのびわの大きいものから2番目を選び与え「大きいのは病院から戻ったら食べようね」と言いました。その時「これを食べさせてあげることはできないかもしれない」という思いがふと過ぎり胸騒ぎを覚えましたが、元気に跳ねている元太郎のまさかこれが最後の食事になるなんて思ってもいませんでした。
 午後4時45分に病院到着。レントゲン検査、血液検査、診察の結果、元太郎の病気は胆管閉塞である疑いがあるとのことでした。投薬治療に加えて、胆管の負担を軽減するために流動食を与えてゆくことになりました。インフルエンザかもという軽い気持ちで診療を受けたので、重病であったとことに驚いたものの、治療と養生で治る可能性があるという診断に一安心し家路に着きました。
 午後9時過ぎ家に帰って、水を与えたところゴクゴクとすごい勢いで飲んだため、また吐きました(麻酔の後、たくさん水を飲むと吐いてしまうそうです)。嘔吐物はびわの実と種、ごはんなどです。すぐに先生に電話し再び病院へ、午後11時半過ぎに到着しました。嘔吐を止める薬とブドウ糖など3本の注射を元太郎は我慢しました。

2005年6月14日(火)
 0時30分頃帰宅、今晩は用心して見守ってという先生のお話があったので、ケージに戻さず、キャリーのまま抱いて眠ることを決心しました。本当は元太郎をキャリーから出して直に抱いて眠りたいけれど、天井によじ登って落ちたりしたら、この上怪我でも負ったら大変なことになってしまうと思いとどまりました。また何も与えない方がよいと言われたので、ケージに戻せばいくら捨ててもどこかに貯蓄してあるものを食べてしまうだろうから、私が抱いている限り元太郎は狭いキャリーでも許してくれそうでした。朝食から何も食べていなかった私は、母に抱いてもらって簡単な食事を済ませました。その間元太郎は抱き方が悪いとかママが好いとかいろいろ駄々をこね元気な風を見せました。そう言えば、麻酔で意識が朦朧としているはずなのに、待合室で「かわいい」と言われると、しっかりかわいいポーズを決めたりと必ずしも重体とは感じられませんでしたが、夜の帳は不安を煽ります。元太郎を抱いて徹夜の覚悟でしたが、母に眠らないと明日病院へ行かれないからと言われ抱いたまま3時間ほど眠りました。
 目を覚ますと、元太郎はキャリーの中でタオルをたたみ、その横にちょこんと座っています。タオルにフンや尿がついたから換えて欲しいという意味だと分かり、ケージを半分に区切り貯蓄物をできる限り処分してからケージに戻しました。水が欲しいと言うけれど、お医者さんに行ってからねと我慢をさせました。お医者さんに行こうとキャリーに入れようとすると、力のない手でケージにしがみつき行きたくないと哀願します。その指を一本一金網から外し、私はキャリーに移しました。元気なら私が捕まえることなんてできません。一晩で元太郎は急速に衰弱していました。もしかしたら、元太郎は住みなれたケージの中で自分の最期の時を過ごしたかったのかもしれません。

 10時30分:病院で夜半と同じく注射3本を我慢した後、元太郎は私の薬指を噛みました。水を飲んで吐くかもしれないので、病院内で水を飲ませようとしましたが、元太郎は飲もうとしません。近くの公園でも試したけれど飲みませんでした。受付の方に家でなければ飲みたくないらしいので、家に帰って様子を見る旨を先生に伝えてもらい、帰宅。
 12時15分:帰宅後、水を4~5口飲ませて取り上げたところ吐かなかったので、15分後、また同じ量を飲ませたところ、1~2分してまた胃液を吐きました。あわてて先生に電話をかけたところ、水飲みは2時間後、吐かなければまた1時間後にという指示を受けました。その電話の最中、元太郎は這い上がるように巣箱に入ってしまいました。ほとんど力は残っていないようでした。
 吐いた直後、元太郎は呆然と立ちつくしたまま放尿しました。かなりの量でした。死後硬直による失禁はなかったので、思い返すとこれがそうだったのではと思います。元太郎はかなりショックだったのではないでしょうか、だからこそ、その後水を口にしようとしなかったと思われます。
 15時過ぎても、元太郎が起きる気配がないので傍らで私も仮眠。
 17時過ぎ、目を覚ますと、元太郎が巣箱から顔を出し私を見ている姿が目に入ってきました。「水を飲む?」と尋ねましたが、「いらない」と拒否し巣箱に潜り込んでしまいました。先生に電話をしたところ、水分は注射によって十分補給してあるから、この状態のままなら、明日の午前中につれてくるように言われました。リンゴをすった絞り汁なら少しあげてもよいと言われ、すぐに仕度。スプーンで巣箱の側に持っていっても、顔すら出しません。お腹は空いているだろうし、大好きなリンゴを前にして顔も出さないことに大きな不安を感じました。

 18時過ぎ、そうこうするうちに巣箱の中で小さく「ポッポッ」と鳴き始め、次第に声が大きくなりました。母をケージの前に呼び様子を伺っていると、元太郎が突然巣箱から飛び出し、仰向けになってグルグルとケージを這いずり回りました。驚いた私は母にタオルをとってきてもらい、とにかく体を打たないように敷きつめ、元太郎の体をさすってあげました。すこし落ち着いてきたので、片手で元太郎をさすりながら先生に電話しました。すぐにつれてきてと言われたので仕度を始める私に、母が「最期かもしれないから、傍にいてあげなさいと」と呼びました。頭の中では気付いていました。けれど、そんな事を信じたくなかった。母に促され元太郎の身体をさすりました。なのに、私の記憶からこの時の元太郎の姿が抜け落ちてしまっています。一番覚えておかなければいけない最期の命ある姿が記憶に留められていないのです。
 落ち着いたので嫌がる元太郎をキャリーに移し、元太郎に負担をかけないように道を小走りにタクシーを探しました。元太郎に「先生のところに行くからね、少し我慢してね」と声をかけると、答えるかのような「ポッポッ」というかすかな鳴き声がキャリーから洩れ聞こえていましたが、車に乗る直前に聞こえなくなりました。
 まさかとは思ったけれど、この瞬間が元太郎の最期でした。正確な時間は定かではないのですが、18時30分ころであったと思います。
 病院に着いてキャリーから出そうとすると、既に硬直が始まっていました。あまりのことに、私は震える手で必死にキャリーから出そうと焦ります。とにかく先生に診せなくてはと慌てふためいていると、横から先生が静かに出してくれました。元太郎の体は赤ちゃんが丸くなって眠るようにくるんとなって、静かに目を閉じていました。声にならない絶叫が体を駆け抜けました。もう何が何だか.....。先生は優しく元太郎の体をなでて、「自ら心臓を止めた」と言いました。
これは現実ではない、悪い夢を見ている、だって、昨日は跳ねていたのに、どうしてっ?????

 そして、私も病理解剖を了承しました。
 元太郎がどんな病気だったのか、いつからその痛みが始まっていたのか、私が見過ごしてしまったという現実から逃げてはいけないし、元太郎の痛みを少しでも知らなければならない、私にはその責任があると思いました。狂っていると思われるかもしれないけれど、解剖の写真があれば見せてもらいたいとさえ思っています。

空へ
 元気に跳ねていたのに、次の日に逝ってしまいました。
 実は家の電話を保留中にしたまま出てきてしまったので、母に連絡をつけることができませんでした。元太郎の亡がらを抱いて静かに家に入りました。母に花を抱いて眠る元太郎の姿を見せると途端に泣き出しました。「こんなに温かいのに起きて元太郎」「うそでしょ死んだなんて」「なんで死んじゃったの」と元太郎の体をさすりながら何度も何度も起こそうとしました。でも、二度と目は開けることはありません。
 夜半になり庭の花を切り、香をたき、通夜のための祭壇を造りました。そして、元太郎の好きなものをたくさんお皿に盛って「もう吐いたりしないから、好きなだけ食べて良いのよ。お水を飲んでも大丈夫よ」と。本当は一晩中抱いていたかったけれど、母から「亡くなったら仏様になるのだからお祀りしなければいけない」と諭されました。そう元太郎の最期の顔はまるで仏様のように柔和でした。目も三日月型に閉じていて、苦しんで七転八倒して亡くなったとは思えないような顔なのです。法隆寺の夢違え観音、或いは、永観堂の見返り弥陀のような姿でした。もしもがき苦しんだ顔をしていたら、遺された私たちはどんなに辛いことでしょう。心の優しい元太郎は遺していった者のことまで思い遣ってくれたのでしょう。
 翌日、荼毘に附すことに決め、火葬場を探しました。雑木林の中の火葬場を見つけ、お願いすることにしました。

2005年6月15日(水)大雨/最高気温20℃
 母と私は喪服を着用しました。斎場の方が生前好きだったものを一緒に入れてあげてくださいと言ってくださったので、元太郎の遊び道具(モチノキの枝、薬玉等)や巣箱の中の巣、大好きなタオル、私の手だと思い込んで抱っこしていた軍手、大好きなブルーベリー、栗、そばの実、ご飯など、本当に数え切れないほどで大荷物になってしまいました。やはり、私が元太郎を抱いて連れて行きました。元太郎を抱いての外出もこれが最後かと思うと、やるせない想いでいっぱいになりました。
 斎場に着いて、お別れ式の準備の為に係りの方に元太郎を預けました。30分も経たないうちに祭壇の準備ができました。雑木林の中の小さな祭壇で、元太郎は自分の巣の中に居て、その周りは大好きなものや花で埋め尽くされていました。そして、人間と同じように守り刀が具えられていました。顔を見ると、30分しか離れていなかったのに元太郎の目は三日月型から真一文字になって少し淋しそうにしています。「なんでひとりぼっちにするの」とすねているかのようでした。元太郎はひとりぼっちが大嫌いでしたから、よく鳴いて私たちを呼んだものです。
 これで元太郎の身体とはお別れです。身体をなでながら絞り出すように「さよなら」と言いました。そして、「ありがとう」と何度も伝えました。
 元太郎は森の木々を知りません。おそらく、初めて木に登り少し戸惑いながら空へ昇ったことでしょう。

母親失格
 13日に病院へ行って15日に荼毘に附すという嵐のような3日間が過ぎました。
 14日の病理解剖後、現時点で分かった原因を教えてもらいました(けれど、私の記憶は混乱していて明瞭ではありません)。290g近くあった体重は数日で262gになっていました。開けてみると胆管よりも膵臓から十二指腸までが赤く腫れていて、膀胱炎と前立腺肥大が見られたということです。体内に残っていた元太郎の尿の中で白血球が増殖し菌と闘っていました。尿の中には石もありました。
 元太郎、痛かったね。すごく痛かったね。そして、よくここまでひとりで頑張ったね。
 こんな重い病に侵されていたなんて思いもよらなかった。私は今まで元太郎の何を見ていたのだろうか?
 なぜ、元太郎は自ら心臓を止めたのだろうか?
 それなのに、なぜ、恨みもせず、仏様のような顔をして逝ったのだろうか?

 5月に刊行された大野さんの『ザ・リス』に掲載された写真を見て、私は不安に襲われていました。他のリスちゃんたちと元太郎はどこかが違うと感じたからです。焦った私は生活環境の改善に乗り出しました。亡くなる一週間前の6月8日にケージの解体掃除とレイアウト変更を行って、直径20㎝あまりのクリスマスの木の丸太を入れました。いつもなら自分の匂いがなくなってしまったことや貯蓄物を捨てられたということですごく怒り出すのですが、この時はクリスマスの丸太の上で跳ねて喜んでいました。にもかかわらず食物を床材に埋めることをしませんでした。膀胱炎があったためか、床の牧草がチクチクして嫌だったのか牧草の上に降りることさえなくなりました。空中に高く吊った竹ブランコの上でうつ伏せになってユラユラと揺られていることが多くなりました。腫れたお腹を竹で冷やしていたのでしょう。食物を貯蓄しなくなった時、既に元太郎は自らの最期を悟っていたのかもしれません。
 なぜ元太郎が違って見えたのか、それは命の力が弱かったからだとようやく分かりました。本当に情けないです。ファインダーを覗きながら、元太郎の変化に気づきもせず、元太郎が自分の死を見つめている横で、愚かな私は干し芋作りなど夏の準備に躍起になっていました。

 7月7日、剖検や組織プレパーラートから重度の脂肪肝、前立腺肥大、膵炎、膀胱炎が認められたこと、前立腺肥大が膀胱からの尿の排出をしにくくしていたのかも知れないこと、膵炎、膀胱炎などから敗血症をおこしたものと推察されるという内容のメールが先生から届きました。

 自分が見落とした元太郎のSOSを振り返ってみます。
元太郎は生後1ヵ月前後でドブに落ち数時間も浸かっていたわけですから、いろいろな菌に感染した可能性を考えるべきだったのです。その時点では、リスは森で生活するのが一番よいと考えていたので、できるだけ人間との接触を少なくし早く山に返さなければいけないと思っていました。私も素手ではなく軍手で接していたため、元太郎は軍手がママの手だと思い込むようになり、ケージ付近に置いてある軍手を引き込んでしゃぶったり齧ったりするようになり繊維を多く飲み込むようになってしまいました。
 その上、山に返すために木登りやある程度の運動量が必要と考えたため、私が部屋に居る間は部屋に出しておいたので、本やパソコン、いろんなものを齧ってしまいました。元太郎にしてみれば、齧ることが世界を知ることであり、自分にとってどういう相手なのかを見極める術であったに違いありません。そのせいで、元太郎の内臓は様々な異物を消化しなければならなかったでしょう。よく、繊維の絡んだフンが出ていました。先生にも指摘されましたが、元太郎からタオルを取り上げると狂ったように怒ります。初めタオルに包んで保温していたため、元太郎はタオルを上手に巣の形にするようになりました。繊維の入ったフンを排泄するようになってから、タオルを齧ると私が心配して飛んでいくので、元太郎は私に傍に居てもらうためにかえってタオルを齧るようになりました。

 「前立腺肥大」についてですが、昨年の8月頃より元太郎は「ペニスを舐める」という行為をしばしば見せるようになりました。生後約1年なので成熟期に入ったに違いないと考え、マスタベーションのようなものと勝手に思い込んでいました。おそらく動物の「舐めて治す」治療であったのかもしれません。
 トイレはウサギ用の大きめなもので、紙製のトイレ砂を使用していましたが濡れた砂をすぐに換えると元太郎は不機嫌になります。ストレスの軽減と衛生との間でせめぎあいの連続でした。「ストレスを与えてはいけない」という呪文は、私をしばしば立ち尽くさせ思考を停止させるものでした。しかしながら、大病を患わせることを考えれば、日常の些細なストレスなど我慢の範疇とすればよかったと今になって思えるようになりました。「山で自由にさせてあげられないのだから」という感傷が、しょせんケージの中で生活させる他ない状況下で微妙な判断ミスを重ねさせ、そのズレが取り返しのつかない結果を招いたと思われます。
 野生のタイワンリスは木々を走る合間に、ふと立ち止まり排尿します。生活のリズムによる定位置もあるようですが、排泄物に繁殖した細菌は太陽が殺してしまうので心配する必要はありません。しかしながら、トイレや狭いケージの中での排泄を強いられた元太郎が、繁殖した細菌によって感染するであろうことは十分に予想できたはずです。元太郎は私の腕の上で「股を擦る」ような行為を頻繁に行っていましたが、何らかの違和感を解消したかったのでしょうか。排尿の格好も股を引きずるようでした。ケージの中で暮らすリスがどういう格好で排尿するかを知らなかった私は、観察をしていてもその行動の意味を探ろうとしなかったため何ひとつ活かすことができませんでした。
 『ザ・リス』のための撮影を行った前後、「真っ黒なフン」が出ていました。驚いた私はフンを潰して匂いを嗅ぎましたが、特に匂いの変化は感じられずそのまま放置してしまいました。その後も数回あったと思います。血尿については兆候を見つけられなかったのですが、血便は赤色ではなく黒色だそうですからこれがそうであったのかもしれません。栗を食べると栗色のフン、トマトを食べると赤いフンと、食べ物によってフンの色は変化しますから、黒いものを食べないのに黒いフンをしたら注意すべきだったのです。

 元太郎には「重度の脂肪肝」もありました。元太郎の食事は3つのお皿に分けてあって、1つは生野菜とフルーツ(サツマイモか栗に葉ものやプチトマト、時期のフルーツ)、1つは穀物主体の「ナチュラルラックス」に「はとの餌(ひまわりの種を抜く)」「そばの実」「麻の実」「アマランサス」「干しサツマイモ」などを混合したもの、1つは「シリアル(干しブドウを抜く)」に「玄米フレーク」か「ドッグパスタ」、消化促進用に「乾燥パパイヤ」や「乾燥パイナップル」、「ドライブルーベリー」「ドライなつめやし」「きなこ」などを混合したものを与えていました。ペット用として売られている餌のほとんどは正体不明なものが多いのですが、農薬完全除去と謳われているものをできるだけ選ぶように心がけ、人間用のものは基本的に有機か無農薬無化学肥料で栽培されたものだけを与えるようにしました。夕方になると、捕食として栗かご飯を与えていました。元太郎は炊きたてのご飯ではなく、焼きおにぎりにしてその真ん中の柔らかい部分を喜んで食べました。冷めたものよりも湯気が立っているような状態のご飯をフグフグ言いながら、時には熱さで手を振り回しながら食べました。遅くなると元太郎の方から急かしてきますし、食べてから眠るのが日課になっていました。そして、食べる場所は私の腕の上と決めているらしく、気の済むまで乗って食べていました。配合飼料(ペレット)を食べさえる工夫はいろいろ試みましたが、元太郎はお皿から出してしまいました。動物性たんぱく質を食べさせる闘いは、全戦全敗という感じで、唯一喜んだのは栗毛虫だけでした。これは元太郎が自分で見つけて好んでいたものです。思いっきり森を走ったり好きなことができないのだから、せめて食事くらい元太郎が食べたいものを食べさせたいと考えたことが元太郎の寿命を短くしてしまったのでしょう。
 2月にカヤの葉を食べ吐いたのは葉の毒によるものではなく、サインであったと今になって思います。その後、元太郎は寝ることが多くなり、母が老衰ではないかと心配していました。まだ2才にもならないのに老衰なんてありえない、もしかしたら栄養不足かもしれないと多種の栄養素を摂取させることくらいしか考えを巡らすことができませんでした。
 3月のある日、元太郎はいつものような鳴き声を出さず、私の口元を見ながら口をパクパクと動かしていたことがあります。日誌に「何か伝えたいことがあるのだろうか?」と記していますが、おそらく、私が自分の言葉を理解できないことを元太郎は気付いたのでしょう。どうにかママと同じ言葉を発して自分の痛みを知らせたかったに違いないのです。元太郎は私の言葉の少なくとも6割がたを理解していました。「気」の触れ合う位置に居れば、おそらく動物は音声ではなく「気」によって相手の伝えたい意思を汲み取ることができるように思います。5月の終わり頃、ケージを覆った後に「キィーッキィーッ」の甲高い声で鳴きました。そんなことが数回ありました。私はケージのそばに行って「元ちゃんな~に?眠りたくないの?」と声をかけましたが、元太郎が本当に伝えたかったことを最期まで何も理解してあげることができませんでした。

 山に居れば、太陽が降り注ぎ、風がわたり、木々の恵みが元太郎を育ててくれたことでしょう。いくら最善を尽くしたつもりでも、私はその一部さえ再現することはできなかったのです。動物の飼育について何の知識もなく、生活環境も整えてあげられない私のところに落ちてきたばかりに、元太郎は天寿を全うすることができませんでした。「私が育てる」と思い込んでしまったことが、元太郎の不幸の始まりでした。母親気取りで元太郎に「一番好き」と言いながら、結局、ひとりで痛みや死の恐怖に耐える毎日を強いてしまった。「なんで、ママは僕の言葉を理解してくれないの」「僕はママの子供ではないの」とどんなにか絶望の淵に追い詰められていたことでしょう。どのような想いで過ごしていたのでしょうか、元太郎の本当の想いを知る術はありません。
 元太郎が噛んだ薬指の小さな歯形はあえて手当もしなかったのに、数日後跡形もなくなってしまいました。
 今も私は元太郎がこの世に存在しないという現実を理解できないでいます。
 夢を見ない眠りだけが元太郎の死を忘れさせてくれます。どこにいても、私は全身で元太郎の命がこの世に存在しないことを感じ取ってしまうのです。
 病院に行く前の晩、元太郎はいつものように私の手の甲に乗って、私の中指を両腕でしっかり抱え込んで静かにしていました。元太郎のお気に入りの過ごし方です。元太郎の温かい息が私の指に伝わってきました。吐いたこともあって早く寝かしつけようとすると、元太郎は寂しそうな目をして手から降りました。気の済むまで好きにさせてあげればよかったのに、後悔の念は尽きることがありません。中指には元太郎の小さな腕の感触が今でも残っています。

 元太郎と暮らした日々は花のようでした。
 出逢えたこと、傍にいてくれたこと、言葉には尽くせないほど感謝しています。

**病状や診断についての記述は、素人の理解によるため正確性を欠いている点もあると思われます。


background by Mariのいろえんぴつ


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