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  どーぶつと一緒に暮らすとき

 動物たちと一緒に暮らすのは、楽しくて幸せで、でも大変なこともたくさんあって、お小遣いがなくなってみたり遊ぶ時間がなくなってみたり。部屋の中はくさくなるし人間のスペースはなくなってくるし。
 だけど動物たちはそんなことを忘れさせてくれるような、ほかほかした気持ちを私たちにもたらしてくれます。
 ただしそれは動物をちゃんと飼えているのが大前提。動物を飼うってことは、その子の一生すべてに対する責任を負うってこと。とても重たい責任です。

 動物をちゃんと飼う、ちゃんと飼えば動物は幸せ、動物が幸せなら飼い主も幸せ。

 私はこんなふうに思っています。ちゃんと飼うのにはどうしたらいいんだろう? それはつまり 愛情 と 科学の心

どんなにその子のことを愛してても、愛情だけでは動物は飼えません。
どんなに動物の知識を持っていても、愛情がなくては飼えないのです。

 飼っている動物が病気になったとき、治るようにとお百度参りをも厭わないほどの深い愛情と、お百度参りをしても病気が治るわけではないと思う理性、このふたつがとっても重要であるなあ、と考えています。

 むろん、愛情といってもたとえば犬に服を着させる、お菓子ばかりあげるなんてのが愛情ではありません。飼うと決めた動物を理解し、その動物に合った飼い方をするのが愛情です。

 おそらく、犬と、そしてトリの一部を除いては、積極的に人とコミュニケーションを取りたいと思っている動物なんてそうそういません。なでなでしたらじーっとして気持ちよさそう…ってのも実は怖くて固まってるだけだったりするもんです。ひとりでいるのが好きな動物を飼うならひとりでいさせてあげるのが本当の愛情。動物への愛に(目に見える形での)愛情を求めちゃいけません。(長生きしてくれたりすれば、それは正しい愛情を向けていられた、ってことでもあるんじゃないかな。偶然長生きすることもあるけど(^^;)

 そしてまた、自分の飼っている動物のことだけじゃなくて、いろんな動物のことも理解するようにすると、より自分の飼っている動物のことが深くわかるようになるかな、と思います。いろいろ知ることもしくは飼うことで、その動物(もともと飼っている動物)への偏愛(上に書いたことでいえば愛情のみによる飼育ということ)がなくなり、動物は動物であって人間とは異なる動物だということ、擬人化して考えるものではないということがわかるようになる、気がしています。


情報をどう読む

 ちゃんと飼うためには、どうやって飼うかという情報を集めなくてはなりません。ところが、ことエキゾチックペットに関してはいろんな情報が錯綜し、なにが正しくてなにが正しくないのやら? 正しいことを言ってくれるに違いない、と思われがちな情報発信元が間違ってたり、伝言ゲームの結果なんだかおかしなことになってたり…。

 新聞(…なに新聞だっけ)のCMで「情報を疑え」ってのがありました。これいい言葉だと思いますよ、動物を飼ううえでも。もちろんこれは「こんなのウソに違いない!」ってふうに疑え、ということじゃありません。「その根拠はなんなのかな?」っていうふうに考え、「はい、これね」と渡されたものをなんも考えずに「はーい」と受け取るべきではない、ということなんじゃないかなあ? 

 とりあえずここでは、きわめて個人的な見解であるということをお断りしておいて、いろんな情報発信元、動物関連のひとびとについてちとコメントを付けさせていただきます。なお念のために申しておきますが、あくまでも一般論であり、特定の団体、個人を中傷するものではありません。

ペットショップ

 一部のよく勉強されている方をのぞいては、ペットショップの店員さんに動物に関する知識を望んではならない、という現状はとても残念なものです。よく「動物は商品じゃなくて生き物なんだからもっと大切にして!」という飼い主さんの声を聞きますが、私は、商品なら商品でいいから知識と責任を持って商品らしく扱ってくれればいい、とも思うのです。利益を追求するのがお店ですから、商品であって当然でもありましょう。
 商品ですから、傷んだり壊れたりしたものをお店に置いてはいけないよね。間違った使い方を指導してはいけないよね。どこの電気屋さんが、4畳半に住んでる人に30インチのテレビを勧めるか、どこのスーパーが生鮮食品を直射日光当たるところに展示しているか。
 ところが動物は、商品としての扱いすらされていない。管理が悪くて弱った個体、感染症を持って売られていき、家にきたとたん発症する個体、飼うのがとても大変な動物なのに「飼えますよ」と簡単に売ってしまう。今の状態は商品以下だ。…あれ、話がずれてるぞ。
 えーとつまり、悲しいかな多くのショップの店員さんには、動物の知識がない、ということであります。がんばってくださいよねー。
※2004年追記:ペットショップは届け出制から許可制になることになりました。今後に期待しましょう。

動物病院

 獣医さんなんだから動物はなんでも診てくれないとイケナイ! と思っているとしたらそれはあなたが間違っています。獣医大学では、最近は少しづつエキゾチックにも力を入れはじめているようですが、ほとんどの先生方は、大学では大動物(牛とかの家畜)、小動物(犬猫)を学んでおられるのです。今、エキゾチックを診てくださる先生方は、みなさんご自分で勉強、研究なさっているわけです。そのことは理解しておくべきでしょう。そして犬や猫以外の動物を飼うときは、先に先生を探しておいたほうがいい、ホントにそう思います。

「○○を診ていただけますか?」と言ったとき、先生の反応はいくつかに分かれるでしょう。
1 うちでは診られない(診たくない、かも)
2 診られないがなんとかがんばりましょう
3 診られる、といってくれたのになんかあやしい
4 診られる、ときちんと診てくださる
 どの先生が「ひどーい」と思います? 私は3番がひどくて、あとは間違ってないと思う。4はもちろん素晴らしいよね。1は? 診られない(診たくない)と正直におっしゃってくれるのは正しい反応だよなあ。で、2ですが、たよりないなあと思ってしまうかもしれないけど、たとえ獣医学書片手の診察でも、前向きに動物に向かっていってくださる先生なら、いっぱい頼っていっぱい勉強していただいちゃいましょう! 失礼を承知で不遜なことを言わせていただければ、動物のことで悩んだこと困ったこと、いっぱい相談に乗っていただいて、ばしばし勉強していただいて、「私たちが先生を育てるのよ!」くらい思っちゃいたいところですネ。もちろんそのためには、自分ちの子のことをきちんと説明できて、先生に言われたわからないことはどんどん聞いていくという私たち側の努力も必要なんだよ。

 そうそう忘れちゃいけない。テレビによく出ている先生たちのなかにはすばらしい先生もたくさんいるけれど、テレビに出ているからといってすばらしい先生だとは限らないということです。テレビで正義ヅラしていても人として間違ってるような先生もいるわけだ。くわばらくわばら。いい先生と出会えれば、動物との暮らしは充実します。目先の派手さなんかに惑わされないで先生を見つけましょうネ。

飼育書

 飼育書はピンキリだよねえ。
 多くの飼育書のなかには、自分の経験のみを根拠にして書かれたものもあります。前に出ている本から、引用・引用・・としていくために、「今じゃそんなことはないべ」というようなことが出ているものもあります。明らかに間違いが書いてあるものもあります。ともかく、飼育書は1冊だけを頼るより、何冊かを読んでみることで、あなたの動物に適した、よりよい飼い方を見つけてほしいなあ。
 ひとつ補足しておくと、いい飼育書は、読者すべてのことを考え、より安全な方法を書いてあるものだと思うの。自分の本でいうと、私はうちのリスが冬眠したら勝手に冬眠させますが、『リスクラブ』にはシマリスは冬眠させないようにする、と書いています。なぜなら、読者のレベルはわからないから。しょーもない飼育をしてボロボロのリスの飼い主もいれば、バリバリ健康なリスの飼い主もいる。健康なリスなら冬眠しててもそんなに問題にならないけど、ボロボロのリスは、死ぬかもしれない。誰が読むかわからない書籍で、すべての個体を例にあげて記載することができない以上は、ボロボロリスの飼い主にレベルを合わせて書くことがもっともいい(安全な)方法だと考えています。
 ネットでよく見かけるのが、「こんなこと飼育書に書いてなかった。やっぱり皆さんにお聞きしてよかった」というメーリングリストとか掲示板での文言。たしかにいろいろなケースへの対応が聞けるのは本当に貴重なことだけど、とりあえず飼育書読んで、基本を知ってくれ、基本を。「飼育書なんかじゃ…」なんて書いてあるのを見ると、ひじょーにムッとします。

動物マンガ、動物エッセイ

 本屋さんに行くと動物マンガ、動物エッセイっていっぱい売ってますね。ほのぼのほほえましかったりします。しかしっ、どうもこれらを飼育書だと勘違いして読んでしまう人ってのもいるみたいな気が…。そりゃ違うだろうって(^^;)
 そのおうちでその子をどんな感じで飼ってるか、っていうのはすごく参考になるよね。でもそれは「そのおうちのその子」の飼い方。「うちのこの子」の飼い方ぢゃないのよね〜。動物には個体差があるのだなあ、ということを知れてとってもよいんだけれども、飼育書と勘違いして読むのは、ちょっと違うと思うよ。

ホームページ

 これがくせ者です(^^;) 素人さんでもとてもきちんとしているページもあれば、間違いをホントのように書いてるページもある。(最初からシャレや親バカとわかるページはいいのよ、それはそれで楽しめば)
 もちろんこれも、いろんなページを読んでそこからいい方法を読みとっていけばいいんだけど、気をつけないといけないなーと思うのは、「自分ちの個体の飼い方」をまるでその動物種すべてにあてはまるように書いてあるページがあることです。まかりまちがえば死なせるかもしれないんだよう。使用上の注意みたいなことは書いといたほうがいいんじゃないかな? そうそうあと著作物から引用したときはちゃんと引用元を明記しようね!
 いけね、ウェブマスターさんへの苦情みたくなってきたぞ。えーとともかく、活字と同じでホームページに書かれていることはなんでも正しい、と思いがちなものではありますが、必ずしもそういうわけでもないのだということは理解した上でいろんなページを楽しまれるとよろしいかと。むろんこのページも厳しい目で見てくださいね。

パソ通・メーリングリスト

 複数の方が参加しているので、ある飼育上の疑問点に対していろいろな方法を知ることができるのがいいところですね。でも場合によっては、その会議室なり掲示板なりメーリングリストなりの主導権を握っているような人(スタッフだとか主宰者に限らず)の意見を他の参加者がヨイショしている、というような光景もあったりするように思います。まあこれも、パソ通・メーリングリストからだけの情報に頼らず、情報収集アイテムのひとつと考えるがいいでしょうね。

雑誌

 いやはやいろいろですね〜。私は『アニファ』でお仕事いただいていますから、持ち上げたいんですけど、たまになんかちょっと違うこと書いてあるしなあ(^^;) ただまあ、動物にとってのよりよい方法を考え続けている雑誌であるはずではあります。もともと。
 エキゾチックを扱うペット雑誌はいろんなのがあり、出ては消えていきましたが、今(2004年)、アニファの他になんかあるのかな? ウサギさん専門誌は出ていますね。雑誌も他のメディアと同じで、いろいろ比較検討すべきではあると思います。

お友だちから聞いた話

 どうしてそんなに自信満々に自分の飼ってる一個体だけのことから、その種全てにそれがあてはまるようなことが言えちゃうんだろうか…と思うことも。クチコミって恐いよね。「痛さの単位=1ハナゲ」だって広まってくうちに「事実」みたいになってしまうし(^^;) 
 動物の飼い方を語るのってそうたやすいことではないのだから(私は小動物飼育系ライター稼業を始めて数年たちますが、日が経つにつれこの想いは強くなります。なめちゃいけない>動物)、「うちではこうしているよ」というような話はあくまでも「うちでのやり方」であって「うちではこうだからこの種の動物にはこうすればいいんだよ、だってうちでは大丈夫だもん」という言い方はしないでほしいなあ。動物は奥が深いんである。


動物を飼うってどういうことなんだ

動物をばかにするな

 …なんて書くと、こんなに大切にしてる、こんなにかわいがってる、愛してる、って反論が聞こえてくるようですが、でも多いんだもん、動物をばかにした飼い方しているひとって。
 動物のいろんな習性や生態は、ものすごーーーく長い年月を経て出来上がってきたものでしょ。これからまた先、ものすごーーーく先にはまた変わっていくかもしれないけど、一朝一夕に変わるものではございません。動物をばかにしちゃいけません
 たとえば単独性の動物。彼らは単独で暮らすことで生き延びていく術を得たわけです。それを家に迎えたからといって簡単に集団性になるわけないんだよ。単独性の動物に集団性の生き方を押しつけるのは迷惑千万だよ。

「野放し」は飼育ではない

 ことに野生動物を飼っている場合、「野生動物だからケージに押し込んでおくのはかわいそうなので放し飼いにしている」なあんてことがありますな。でもこれ、「運動不足になるので放し飼いにしている」ならまだしも、「野生動物だから」っていうのはどうかしら。野生動物を飼うとき、野生下の生態を理解して、飼育に生かしていくのはこれ当然のこと。でもね、飼育するってことは、その動物への全責任を負わなくちゃならないの。放し飼いにしているから、どこでなにしているかわからない…そんなの飼い主の責任を全うしてないんじゃないのかな。
 ましてや野放しにしていたあげく逃がしたりしたら…。飼育という責任を果たしていないことにくわえて、帰化動物を作ってしまうという意味でも罪作りであります。

簡単に飼える動物なんていない

 ハムスターは簡単に飼える動物呼ばわりされることが多いですね。たしかに、さほどあれこれ考えなくても死にません。でもこの、「死なない」っていうのと「バリバリ健康」っていうのは全然違うことなのです。

「飼わない」という愛情もある

 動物を飼うのに向いていない人は、います。自分がどうかと問われれば、うーむと考えてしまうけど、ちょいと自分のことはさておいて。向いてない人は何回飼ってもたぶん、向いていません。
 飼育が簡単ではない動物がどうしても欲しくなっても、飼えないと思うなら飼わないほうがいい。「飼えないから飼わない」のだって動物に対する愛情です。

飼うために勉強するのはあたりまえ

 同じ種類の動物すら、育てるのに誰かに教わったり、本を読んだりしなくちゃならないでしょう? …人間のコドモのことですが。ましてや別の種類の動物を育てるのですから、勉強しなくちゃわからないことだらけなのはあたりまえのことです。なにを食べる? どんな温度? どんな接し方? どーぶつ好きなら勉強しましょ。ね。

いろいろとつづくかも。
初出2000年くらい? 最新改変2004年7月。

background by Mariのいろえんぴつ


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