●忍びとは?
忍びとは忍者の古くからの呼び名。日本語で“忍ぶ”とは隠密行動をするという意味だが、より広義には平常心を保って耐えるという意味がある。ただしそれは我々の想像を絶したところにある忍術、死ぬこともまた平静に迎えうる忍耐である。ここに忍びの哲学の全てが表れる。彼らにとって最も大切なことは忍び部族の存続であり、その目的のためにはいかなる苦しみにも耐える意志力を持たねばならないのだ。
有名な“葉隠”の極意、“武士道は死ぬことと見つけたり”とは侍なりの発見だが、忍びの世界においては、より窮まった常識的哲学として死というものを冷徹に見据える。それは彼らが子供の頃から仕込まれる習い性に他ならない。
忍びとは徹底訓練された技術をもって諜報、戦争工作、暗殺などに従事してきた特異的職能集団であり、日本で最も内戦の激しかった16世紀に隆盛を極めた。現代の諜報機関や軍事※SOGに似た性格を帯びるが、違いも大きい。
まず、彼らが一族をなし、閉鎖的な血統の中で技術を伝達したこと。したがって幼少期からの言語を絶する訓練のすえ、磨き抜かれた血筋と相まって全員が驚異的なスペシャリストたりえた。
次に、そうした忍びの集団の独立性がある。彼らは諜報、軍事活動を生業とするが、単純に権力機構に組み込まれた部門組織ではない。侍にも卓越した手練れと、諜略の専門家である忍びたちの集団は、少数でありながら権力者から一定の距離を保つだけの牽制力を有してきた。
ただしそれはアウトサイダーである少数部族のぎりぎりの独立性である。これを果たすために彼らは圧倒的な技術を比類ない商品として権力者達に売った。一族のもの同士が任務の上で、敵味方になろうともプロフェッショナルの間に私情は無用。ひとたび里を出れば親兄弟もない非情な世界に生きることが部族の存続につながるのである。
そうした生を生きるための極意こそ“忍”の一字。すなわち忍び。全て受け容れがたい状況に耐える力こそ彼ら忍びの真骨頂であり、忍耐を放棄した“意志薄弱者”はその時点で部族の危機とみなされ抹殺される。それは忍び集団が鉄の結束によって独立的に存続するための血の掟なのだ。
“葉隠”は侍の美学だが、忍者の死生観はより切実で、この厳しさの前では侍もまた穏健な生活者に過ぎない。これが強者の中の強者として忍びを少数ながら独立的に存続させてきた仕組みだ。
山里に隠れ潜み、権力と相容れることなく権力に荷担した部族、それが忍びである。
おもしろいのは、彼ら忍びと天狗との関わりである。
忍びの者達のルーツはひとつに中央政権に服従しない山人族(→“天狗とは?”)の武力集団と考えられ、実際、彼らの伝える技術および思想には、妖怪的な山岳種族である天狗に最も近しい人々とされている山伏が実践する人格鍛錬法、修験道の影響が色濃く顕れている。
山伏とは天狗を崇拝する山岳信仰者で、天狗の神通力にあやかり自らもその力を身につけるべく、山々を駆けめぐって心身を鍛え上げるが、一般的には天狗ほどの格を持たない。当然彼らは天狗族ではなく肉体的に劣勢な日本民族であるのが普通である。それでも彼らの中から天狗あるいはそれに匹敵する人物を輩出することもあり、文武両面で極めて恐るべき力を持っている。
忍びがこの山伏と分かちがたい関係にあることは疑いない。それどころか忍びと山伏を同根同種と見なす向きさえある。共に秘匿性を旨とする集団であるから両者の関係を示す歴史的な文献資料は存在しないが、多くの状況証拠がそれを示唆している。
忍術は天狗由来の技術をことさら強く反映していて興味深い。たとえばゲーム中でファンタジックに描かれる忍法イズナオトシは大天狗、飯綱三郎の飯縄の法に由来する。忍術がその他の武術に優れて恐怖されるのはこうした事情にもよっている。
※SOG:Special Operation Group、特殊作戦部隊。軍事SOGといった場合、非軍事SOGとは異なる。前者は主に軍隊に属し超法規的で隠密行動が多い。対テロリスト戦などでは人質の人命よりもテロリストの殲滅が優先される。後者は警察などに所属し法律を遵守する形式をとって、人命救助を第一義とする。
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●抜け忍とは?
所属する忍び部族を脱退した忍者。
脱退は彼らの社会では絶対に許されない。徹底した秘密主義とそのための鉄の結束で集団の安泰をはかる忍び達にしてみれば、内部情報を携えたまま部族の管理を逃れる者は危機そのものとなる。こうした危機は絶対排除される必要があり、抜け忍抹殺のための追っ手がかけられる。
抜け忍になることは自殺行為にも等しく、過酷な運命をその者にもたらす。
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●霧幻天神流忍術とは?
忍術流派。この流派を二分してさらに天神門と覇神門とがあり表裏一体をなす。霧幻天神一門の忍び達によって受け継がれる。
天神門(てんじんもん)
霧幻天神流忍術の表の流れであり、霧幻天神一門の忍者のほとんどはこちらを修得している。超人的な肉体と武術の鍛錬を旨としてフィジカルな側面を重視する傾向にある。
覇神門(はじんもん)
霧幻天神流忍術の裏の流れ。忍びの恒のとおり秘密主義に覆われた霧幻天神流にあって、さらにその存在を秘匿される神秘の忍術。通常の忍術、体術のほかに妖術(超常現象的な術)に優れるとされ、覇神門が恐怖される所以もここにある。
使い手は極めて少なく、一般的に、表の天神門を補完、援護して暗躍すると言われる。恐ろしい力を秘めた一派でありながら、一門の掟として、天神門の忍びに対しては絶対の服従を余儀なくされている。
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●隼流忍術とは?
忍術流派。霧幻天神流のような大きな門派は形成しないが、少数精鋭としてならす隼忍び一門に受け継がれる。技術的に霧幻天神流と近い関係にあることはおそらく疑念を含まないが、双方の門派が歴史的にどのような関わりを持ったのか、それを物語る資料は一切存在していない。
この一門については、山伏や天狗との関係が最も深い忍び集団ともいわれ、そのことでも畏敬の念をもって見られている。
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●イプシロンとは?
現代最強の忍びの1人であるハヤテの肉体を利用した人体改造研究が20世紀末に行われた。その意図は超人的な肉体の開発にあった。イプシロンとは、被験体として一時とらわれたハヤテにつけられたコード名である。主として神経組織への操作が行われたようだが、イプシロンの機能向上には失敗し、超人ならぬ廃人を生み出しただけだった。
イプシロン計画の後継として、ハヤテよりも優秀な遺伝情報を持つとされる彼の妹、かすみの体細胞クローンを用いた計画があり、その最初の試験をカスミαという。
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●劈掛拳とは?
数ある中国拳法流派のなかでも最も激しく動き回る拳法といわれる。敵の周囲を素早く動き回って翻弄し、中〜長距離の手による攻撃を主体とする。
劈掛拳の名は攻撃時の手の動作名称からきている。すなわち、手を振り下ろす動きを“劈”、振り上げる動きを“掛”という。その名の通り、劈掛拳は風車のように両手を振り回して戦う拳法である。ほとんど拳は握らず、指を伸ばして脱力した手を鞭のように用いて武器とする。華麗に見えてその打撃は鞭のように鋭く重い。
動きはしなやかで柔らかい。体を柔らかく使うことを身上とする中国北派拳法のなかでも劈掛拳の柔軟性は極致である。
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●ジークンドーとは?
今は亡きブルース・リーの創始した格闘術。彼が若い頃から学んだ中国拳法、詠春拳を母体とし、さらに様々な武術の長所を取り入れる形でできあがったこの格闘術のコンセプトは“自由”。
型にとらわれることなく自由な発想で戦いに臨むそのスタイルは、ブルース・リーが単なる武術家にとどまらず、映画人としての視野の広さをも持っていたからこそ生まれたものである。
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●心意六合拳とは?
威力絶大にして一撃必殺。最強との呼び声も高い中国拳法心意六合拳は、回族(中国のイスラム教徒)などの徹底した秘密主義の内に伝えられた秘伝の拳法である。近年、その内容が公開されるや恐ろしい実戦性のゆえに瞬く間に名を広め、今日その名を知らない拳法家はいない。
自らの急所をさらす危険をかえりみず、あえて正面からの接近戦を挑み、やられる前にやる。したがってその打撃は敵の反撃を許さない一撃必倒の重打撃であり、頭突きや体当たりが重要となる。
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●太極拳とは?
老人にもできる健康体操として日本やアメリカでも広く普及した中国拳法だが、もちろん実戦のための格闘術である。
呼吸法と肉体のねじりによって導かれる力、すなわち勁を瞬間的に用いて打撃を打ち込む。筋力に多くを頼らないため年老いても威力を発揮するが、逆に体得するのに時間がかかる神秘的な拳法。
敵に対する時に特定の構えの形を持たないものが多い中国拳法界にあって、太極拳は構えや姿勢を重視する。その大きな要因は、正しい姿勢からでなければ勁力を発せられないということにある。
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●コマンドサンボとは?
旧ソ連圏の中央アジア周辺は格闘技の宝庫。サンボはそれらの地域にある200を越える民族格闘技のエッセンスを統合した技術で、特に洗練された関節技が恐れられる。サンボの関節技が与えるダメージは決定的であり、たちまちに相手の戦闘力の大半を奪ってしまう。むろん、構築された技術体系は極めて優れた実戦性を帯びる。
コマンドサンボは、このサンボを土台にしてさらに徹底的な実戦性を与えられた旧ソ連の軍隊格闘術である。まったく容赦がないのも当然で、真実生死のかかった現代戦争を生き残るために編み出された冷徹な武術なのだ。
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●天狗とは?
日本列島の山奥深くに棲んでいる妖怪的な種族。一般の日本人から見て妖怪的との評価はいかにも正しい。つまりこの山岳種族は、日本国内にあってはいろいろな面であまりにも異質なのである。しかしそれもそのはず、天狗はいわゆる日本人とは別の人種系統に属する希少民族である。
驚くべきことに、その容貌は日本民族のものとはまるで異なり、鼻が非常に高く体格も格段に優れる。身の丈10尺※の天狗に会ったという者もいるが、もちろんこれは誇張表現の極みであって信憑性はほとんどない。しかし現実でも男性の平均身長は6尺をゆうに越え、7尺に余る巨躯も珍しくない。
全般に横幅も大きく驚異的な体力を有する。“天狗倒し”という彼らの日常的な娯楽からは、その力の一端が伺える。山に生える成長した杉の木を折り倒すという一種のいたずらだが、競技性もあって、太い木を倒すほどに評価される。コツもあろうが、並の人間ではてんでビクともしない杉の幹をいともたやすくへし折ってしまう様子をみれば、その尋常ではない膂力を認めざるを得ない。
彼らの皮膚の色は濃いのが普通で赤褐色から黒褐色だが、中には日本人と変わらない色をした者もいて幅がある。ただし用いる言語は歴史的な古い日本語と大差ない。
天狗という種族は、古くはアジア大陸からの渡来を伺わせ、様々な技術を日本人に教える輩として日本人に大きな影響を与えてきた。この国の多様な格闘技の基盤となる技術もまた天狗由来である頻度が高い。そんな彼らを“教えたがり”と評する向きもある。
しかし一方で、天狗は山岳地帯に隠れ潜む者らしく秘密主義的な面もあり、彼らの伝える神秘的な技術、知識は日本のオカルティズムの最たるものともなっている。どのようなトリックが用いられるにせよ彼らは俗にいう神通力を有し、その知力や体力は現代においてなお人々の畏怖の対象である。
天狗の全貌については未だに謎も多い。近年では彼らとの接触が難しいからである。あるいはまた、天狗は山人社会の中枢的存在として秘密のベールに隠された部分が大きい。
山人とは、日本の国土のほとんどを占める山岳森林地帯に隠れ棲む人々で、中央の政治体制に組み込まれないマイノリティをさす。(ちなみに忍者も山人の派生である。→“忍びとは?”)そもそもこの山人族からして独立的かつ秘密主義的なことから政治の管理をある程度逃れているうえ、山人の中の山人ともいうべき天狗のこと、さらに輪をかけて秘密性が高く日本人との相互交渉も長らく持たれていないのが実情である。
天狗の翼
天狗はその背中に翼を生やしている。その翼で飛翔が可能だという説もあるし、目撃談もあるが、天狗が有翼人であるなどと語るのはいかにも荒唐無稽な眉唾談義である。ただ、彼らがひとつのオシャレとして鳥の翼を背負っているのは本当であり、ほとんどの天狗はそうした姿で平地人の前に姿を現す。
その翼が実際に飛行に使われるとの主張は、天狗が木から木、あるいは断崖絶壁の岩から岩へと飛び移る様子の目撃談を論拠とする。しかしこの主張は、翼構造が飛行に耐えないという航空力学者の猛反発を喰らった。もっともな話である。
目撃談にある天狗の身軽な行動は、翼がなくとも決して不可能ではなく、忍者でさえそうした修行を積む。そのような身軽な者の背中に翼がついていたものだから、錯覚してしまったというのが本当のところのようだ。
木から木へ、岩から岩へと飛び移る天狗の身軽さに間違いはなく、目撃例も多い。一歩踏み外せばたちまち墜落死という場所を、大変な速さで渡ってゆく天狗を見れば、誰もが神秘的に感じるに違いない。
ただ、いかな達人もミスを犯すように、神ならぬ天狗も失敗することがあるらしい。かつて、木曽山脈の切り立った断崖の根元に全身打撲を負った天狗の死体が発見されたが、どうやら彼は岩を踏み外してしまったと思われる。
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※:1尺=30.3cm