北海道小樽の蜃気楼・高島おばけ

 「高島おばけ」とは、1846(弘化3)年に伊勢(現三重県三雲町)出身の北方探検家・松浦武四郎が小樽沖を航行中に見た蜃気楼です。松浦武四郎がまとめた「三航蝦夷日誌」や「西蝦夷日誌」に記述されています。その記述の内容からして、上位蜃気楼と考えられます。当時の高島(現小樽市高島)では「高島おばけ」と呼ばれていたそうです。

 小樽沖では1998年より前における上位蜃気楼発生の記録は松浦武四郎のもの以外にはありませんでした。でも確認観測を行った結果、1998年からは毎年上位蜃気楼を観測しています。おそらくそれ以前でも毎年のように発生していたのでしょうが、注意深く観察する人がいなかったり、それを報告する人がいなかったため記録が残っていないのだと思われます。また、「蜃気楼」とはどんなものなのかということが知られていなかったのも一因だと考えられます。

 松浦武四郎が「高島おばけ」を見たのは小樽市の西部である塩谷海上においてと記されています。そこから祝津の高島岬などが蜃気楼化したようです。
 当会で上位蜃気楼を観測しているのは、高島岬より東方の石狩湾岸地域(小樽市高島・朝里・銭函、石狩市、厚田村、浜益村)です。


三航蝦夷日誌(訳文と挿絵)
 扨(さて)此処に至るや東方ニ見ゆる高シマ岬ニ、雨霞斜に靉靆かと思ひしまま、今まで小き其高シマ岬頓(とみ)に大きくなり、又近く見えしも遠くなるかと思ふまま、夷人共が申に、ソラ高しま岬が変化(かわ)るぞ変化るぞ、あすは雨だ雨だと云けるニ、船中の通辞も見て申けるや、先暫く此処に而彼岬を見玉え、今ニ種々の形を現しおもしろきものを御覧に入れると云や否、其言の終らざる間ニ右之雲之霞の色頓(とみ)に紫赤の色と変じ、水上に一点せし小嶋変じて天を刺すが如き????(=山偏に樂・山偏に角・峻・山偏に會)たる奇峰と変じ、其麓と思ふ当たりは武第の九曲かとも怪れける。屈曲たる数湾、数珠の樹木あると見れば、其樹木五色の花を開き、今花かと見たるは鱗鳳竜蛇の形とも見え、あまりの事に思ひけるまま其あたりに碇して是を図さんと、料紙とりよせ写さんとして首を上れば、今見る奇峯変じて高楼玉殿朱簾錦帳を引が如く、其間平坦の地有るかと見れば其地上ニ大魚躍上り、此処ニ今漁りせし蓆(むしろ)帆の夷船彼の辺りえ入るかと見れば、たちまち錦の帆となり。赤藤被を着(ちゃく)せし夷人は変じて錦金襴緞子の服となり、蓬芽異るかと見えしが金蓬を葺が如く、実に写すニもの無して不レ斗(はからず)海底に紙筆を投じ、是ぞ本邦にて聞蛤の宮殿を噴かと云ものなるべしと、目を留る間ニ東風一陣吹来るや、今の楼閣も宮殿も吹消す故ニ朱簾錦帳も元の青海原となり、????(=山偏に樂・山偏に角・峻・山偏に會)も一点の高嶋岬となり、桂の棹蘭橈錦帆も元の蓆帆の夷船となりたり。是ぞ我去年周防なる黒崎より見たる蛤の宮楼と同じものか。彼の気は防州より予州の島々を当(あて)に見るが故ニ、凡十里も遠く見たるなるが今日のものこそ纔(わずか)二りニも不レ満(みたざる)地を見ることなれば、委敷其変現の様を見たるぞ又奇也。扨此島が変わる時は必三日の間に雨有と云しが、果たしてカ明日は雨に逢ヲタルナイ(小樽)に而一宿致しけるなり
 扨此蜃気楼と云もの必向方に嶋か、国か有る処ならではなし。我諸国を遊歴し其蜃気楼の現ると云る処を聞に、先(まず)防州の海岸、勢州の津より桑名の浜、越後糸魚川、南部の山田浦也。其余も聞侍れどもさし而多からず。此防州は予州を見る也。桑名は尾(び)の知多郡をみる也。越の糸魚川辺は佐渡を見る也。南部の山田は此岬を見る也。何れも如レ此此処は高しま崎を見る事ぞ。惣而春か雨の前日は山嶽を見るとても其近きものぞ。敢てあやしむニたらん。是春の濛靄のなさしむること也。


西蝦夷日誌(訳文と挿絵)
 高島おばけ・蜃気楼の現象
弘化丙午五月初旬なるが、此處え來りしや、水主のいへるに、今日は高嶋のオバケが出る、あれ見られよと彼方の岬を指さし教ふるに、間もなく纔(わずか)一點(てん)の島と覺へし岩磯大きくなる哉否(やいなや)、其嶋青黄赤白の色を顯(アラ)はし、また紫摩(シマ)黄金(ワウゴン)の光を放ち、此方より(風舟)(カケ)行(ユク)筵(ムシロ)帆(ホ)頓(トミ)に金(?)綾羅(キンシヤウレウラ)の帳(チャウ)と變(へん)じ、彼方の苫(トマ)やと思いし漁屋は宮殿樓閣、珊瑚(サンゴ)瑠璃(ルリ)の甍(イラカ)に黄金(コガネ)白銀(シロガネ)の梁(ウツパリ)と思わる。あれよ〜々〜と指さし眺る間に、一陣の西風に早吹く消たりけり。扨(さて)水先の言に、今宵降出すか、イヤ明日なるべしと。其譯(わけ)を聞ば、必ずこのオバケの出る時は雨なりと言しが、果たして明朝より微雨(コサメ)催たりしも不思議なりける。おそらくは是濠気(もうき)に依て、種々人家・船、または岩等變化して大きく見へ始めしと思ふ。是ぞ所謂(いわゆる)我勢(いせ)桑名の蜃気楼なる哉。桑名にては尾(ヲハリ)の知多(チタ)郡を見、また余周防の黒崎浦にてみたりしが、是は豫州の島々を見たるなる哉、それは何れも十里餘、こゝは纔(わずか)二里に満ざる處を見る故、至て近く見たり。其餘北越糸魚川・南部の山田浦等にても時々有よし。糸魚川にては佐渡、山田浦にては御崎を見たるものかとそ思わる。