14.山川惣治のライバルたち 南部高麻夫
「ライオンマン・蒙古篇」(昭和32-33年)。
クラスの3分の1の家庭にテレビが普及した頃(残りはラジオを聞いていた)。「鉄腕アトム」や「鉄人28号」が
大人気だったころ。桑田次郎が絵物語をすて、「まぼろし探偵」や「月光仮面」などのマンガに転向していたころ、
絵物語の時代はとっくに過ぎ去っていたのに、「少年クラブ」に絵物語を連載していたひと。名前はこのページを
作るまで、見たこともありませんでした。
「少年クラブ」は会社が大きく、そこそこ売れたらそれでよいのか、編集が全く古くさかった。この時代に
絵物語をあたらしく連載するなんて、全く「遅れて」いました。
あるときなど、「ライオンマンは全国の紙芝居で大評判です」とページの余白に書いてあるのには、唖然としました。
いまどき、紙芝居でもないだろうと思ったものです。(山川惣治の後輩だったのですね。)
ちょうど桑田次郎の「月光仮面」がテレビとマンガのタイアップで人気絶頂だったので、紙芝居と絵物語のタイアップ
も宣伝文句になると思ったのでしょうか。全くセンスを疑います。
しかし「ライオンマン」はけっこうおもしろかった。作者もだんだん上手になって、乗って書いていました。アラビア
篇、蒙古篇と異民族の物語を描こうとするのは、永松健夫の影響でしょうか。スケールが大きくてよろしかったです。
今見直すと、マンガの時代に合わせるため、工夫して書かれています。まず、展開をスピーディーにするため、地の文
が極端に短く、まるで詩のようです。
次に同じ大きさのコマを並べると単調になるので、いろんなおおきさ、いろんな形の絵をならべて、しかも順序を
間違えずに読めるように配置しています。
この中に、魔法の壷から呼び出される、トリケラトプスを巨大にしたような怪物がでてきました。山川惣治が「少年
バーバリアン」で巨大なトリケラトプスを登場させるのはこの影響と思います。
荒々しいタッチの絵も山川惣治に似てないこともありません。最後期の絵物語です。