八王子城

はちおうじじょう




北条氏照は滝山城から八王子城へと居城を移す。 八王子城の築城時期は正確には把握されていない。天正6年(1578)頃に築城開始、その後、 天正12〜15年頃に滝山城から移転したと考えられている。
この時期、城郭は平城化する時期だが、なぜ丘城の滝山城から時代に逆行する 山城の八王子城へ移ったのか・・・一般には、永禄12年(1569)9月、武田信玄が滝山城を攻撃し、落城寸前まで追い詰められたことが きっかけとなったといわれている。
しかし未完成のまま天正18年6月23日、前田、上杉北国勢の猛攻によって、小田原在城中の 城主氏照を欠いたまま、八王子城は一日で落城した。

【左】根小屋地区より本丸方面  根小屋地区の先、山麓部から本丸まで徒歩約40分の登山となる。

<場所>東京都八王子市元八王子町
<行き方>県道61号八王子城入口信号入る 直進突き当たりが入口
<駐車場>入口脇に路駐5台
<撮影日>2005年7月
<参考書籍>『日本城郭大系5』

『八王子城縄張図』



【左上】金子曲輪周辺  麓のアシダ曲輪から金子丸を経て本丸に向かう。本丸へ向かう道は何本か あるが、このルートが一番整備されている。金子丸までは段郭が続く。
【中上】小宮曲輪下から八王子市街方面  この日はあいにく見通しが悪かったが、武蔵野台地が ほぼ見渡せてしまう。すぐ下には根小屋地区も見える。
【右上】松木曲輪  本丸下東側には大きな曲輪が連なる。その南端部松木曲輪から中の丸(八王子神社)部分。 神社背後から本丸、小宮曲輪へと登っていくことになる。

【左上】本丸  本丸自体は20m四方くらいの狭いところ。
【中上】小宮曲輪  東西に細長く約80mはある。本丸と比高は同じくらいで、本丸と小宮曲輪が 並立するような形となっている。
【右上】「馬冷やし」  松木曲輪から詰城方面へ向かう途中の巨大な堀切。松木曲輪から「富士見台方面」 の案内板を頼りに、少し下り山腹の道を馬冷やしまで行く。ここから道は尾根上に戻り、詰城域までつづく。

【左上】詰城への道  詰城域の尾根上には石塁の痕跡を窺わせるものが続いており、数条の 竪堀も確認できる。
【中上】「大天守」  詰城域最上部が大天守とよばれている場所である。狭い削平地だが、北の尾根 上には段郭が続いている。また、西側は「馬冷やし」以上の大堀切によって防御されている。その先、 富士見台周辺も城域とされているが、今回はここで引き返す。松木曲輪から大天守まで約15分。
【右上】御主殿上石垣群  山王台と御主殿をつなぐ道の途中に石垣群が見られる。

【左上】曳橋より御主殿方面  大手道は城山川南側から曳橋を渡って、御主殿に行くことになる。 大手道南側の尾根上には太鼓曲輪中心として防御線がある。
【中上】御主殿虎口部分  曳橋を渡ると通路はコの字型となっており、急な階段を上ることになる。 山中城へと発展する 北条氏の虎口、屈曲スロープを利用している。
【右上】御主殿内部  城主北条氏照の居館があったと考えられている場所で15m以上も盛り土をしており、 大規模な普請が行われた。庭園もあったようである。この付近 一帯は発掘調査が行われ虎口部分などは復元されている。


〜感想〜
主要な曲輪から延びる尾根上には段郭による防御が徹底しており、防御にはかなり気を使っている。
御主殿と山王台との途中にある石垣群は見応えあるが、狭隘な谷底にダムのような感じで4段くらい続いており、 曲輪形成の為というより、土砂止めの役割をしている感じがする。
城域はかなり広く、各拠点が本城域を取り巻くように分散しているようである。なので一つ一つは それほど大きいものではなく、私などが単純に見て一番の見所は御主殿付近となってしまう。 ただ、これは氏照が八王子城において目指していた縄張りなのかもしれない。



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