東日本大震災C&Nボランティア活動報告
3月19日、被災地に向かう為に、いままでお会いした人達のネットワークを通じ
て、衣料14箱、新品バスタオル300枚を寄付していただき、現地で活動する為
のガソリン150リットルを持って第一陣として夜、石巻に向かいました。第二陣は
20日に軽トラックと乗用車の2台で現地に向かいました。
石巻に20日朝、到着 市役所職員に衣服を避難所に持ち込む件を相談、現地
はまだ、騒然とした状態で対応できず、自衛隊がすべての物資配送をするとの事
で、自衛隊が駐屯している場所に防寒衣服14箱とバスタオル300枚を持ち込み
ました。この時、市役所一階は津波にやられ、2階の市役所内は死亡届の人達
が溢れ、机の横に毛布があり、職員も寝ずの対応をしているのが分かりました。
震災から9日経った物資倉庫にはかなりの品物が入っていました。衣料だけを自
衛隊にお願いして、そのまま少ない食糧を持って女川、雄勝町、新北上大橋(大
川小学校地域)の被災地に向かいました。震災地は、まだ道を確保する作業中
で、自衛隊が遺体探しと一緒に黙々と作業をしてました。峠からすさまじい女川の
町を見て、表現する言葉がありません。初めてボランティアとして行った。阪神淡
路の潰れた家並み、倒れた高速道路に驚きましたが、津波で破壊された町は言
葉がないです。  3月20日現地にて
雄勝町では自衛隊が遺体捜査中で、ヘリコブターが10分間隔で遺体を運んでいま
した。その光景は9日経った被災地ではなく、いま襲われた町の救援をしている自
衛隊でした。実際、その3日後に奇跡的に助けだされた人がいました。
3月20日当時は余震もあり、まだ津波の危険もあ
るので地域不案内の我々は、毎日 女川に通じる
山道の峠の部分で、野営をして夜を過ごしました。
被災地とても寒い日が続きました
第一段階の物資を渡し、現地で救援物資の運搬をおこなう予定でしたが、3月20日
当時、すべての救援物資運搬は自衛隊がやると決められて、我々が手伝うことがで
きませんでした。(後日、自衛隊だけでは無理となり変更)そこで、私達は渡波から
万石浦の被災者が、家族を探し、避難所、遺体安置所や役所に行く為の海側の道
が地震で水没してしまい、この時、唯一 市街地に行くことができる自動車専用の危
険な牧山トンネル(長さ1800m)だけでした。家族を求めてヘドロの土埃が舞う、歩
道がない、真っ暗なトンネルを歩き、避難所を訪ねて1日に30キロ近くの距離を歩き
まわる被災者に何人も会いました。
トンネルの中を自衛隊救援大型車両が走り、その車の明かりを頼りに人が土煙の中
歩いていました。自動車専用トンネルなので、歩道も無く、車道だけの危険なトンネル
でした。私達は被災者の搬送をするためにトンネルの両出口に軽トラックを用意して、
ここを歩く人、自転車で通る人達をトラックに乗せて搬送しました。8日間、活動して分
かった事は、海に近い地域の人は家も車もすべてを流され。中間地区の被災された
方は家の一階は破壊され、車や自転車を流されていました。移動するには歩くだけで
した。

被災地では救援情報はFM放送で流していましたが、被災した人はラジオも携帯もあり
ません。電気も携帯も3月25日現在、通じてません。携帯の基地局が破壊され電話も
まったく役に立たな状態です。。被災した人達に役所、自衛隊などからの大切な救援
情報が被災者に伝わらない被災地でした。 避難場所の数が多く、情報がゆきわたり
ません。救援物資もバラつきが多く、被災地は大変な状態でした。石巻でも八幡町か
ら渡波地帯は冠水している部分が多く満潮時間になると道が沈んでしまう状態でし
た。
3月21日雄勝町から大川小
学校に向かう峠に、地震後
ここに避難した方々が数日
過ごした後がありました。新
北上大橋のところまで行った
時、何故かランドセルが橋の
たもとに寄せられていまし
た。小学校の悲劇を知った
のはずーと後でした。
この場所は石巻、八幡町、石ノ森萬画館がある橋のところ
です。まわりはすべて流されていますが、奇跡的に石ノ森
萬画館は残っています。ここに隣接する道は満潮で沈んで
しまいます。(3月25日現在)私達は、次の活動として自転
車の修理活動、必要な情報を得ることが難しい被災者の
ために、情報集めて加工、発行、そして町の辻に連絡掲示
板を設置することにしました。
石巻、八幡町橋、病院の敷地をお借りして修理場と
して、周りはまだ 騒然とした状態
渡波駅前にて
冠水した海水の中を走った自転車はパンク以外の故障が多
く。廃棄場に頼んで、壊れた自転車を譲っていただき、そこか
らパーツをはずしてパンク以外の修理をしていきました。
石巻の八幡町から渡波駅にかけて8か所,,掲示板を設置
被災された方向けの情報を、FM石巻さんの協力で情報をいた
だき、また河北新聞、石巻市HP等から情報を抜きだし、現地に
加工できる仮設テント事務所を作り、掲示板用の情報をまとめ
て、印刷をしました。
左が発行していた情報の一つで
すが、被災者に必要な情報を出
せるように毎日、情報を集めて加
工、発行作業をつづけました。
2011年3月20日から続けた活動は6月2日の看板撤去で終
了しました。この活動に多くの方の協力があり、活動を続けるこ
とができました。 被災された方から 感謝の言葉をおおくいた
だきました。被災地での活動も必要な技術など高いレベルの活
動に移り、行政、政府のこれからの支援活動を進めていただき
たいと思います。
C&N
施勝彦
アウトドアスクール&イベント、企画、環境調査

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