転がる視線に秘められた(後)
煮えくり返るはらわたを抱えて、俺は夜道を歩いていた。月が顔を出し、適度な明るさをもたらしてくれている。涼しさを増した風は、けれど俺の怒りを吹き飛ばしてはくれない。
――あんたなんかリエルじゃない!
――あんたさえ居なければ……!
腹が立った。誰が生き返らせてくれと頼んだんだ。全部自分で、勝手にやったことじゃないか。
「……うん?」
怒りを滾らせる頬に、くすぐったさを感じた。俺は反射的に頬を叩く。見下ろした手の平では蚊が潰れて死んでいた。見事なまでの潰れ具合に、思わず「ははっ」自嘲的な笑いが漏れた。
殺されたと喚いた俺が、あっさり……虫とはいえ、他者の命を奪ったことが、妙に滑稽に思えた。俺は出来るだけ丁寧に剥ぎ取って、土に置いた。
ティティにとっても、俺は、この程度の存在でしかなかったんだろうか。伝説の呪術師の遺した術に魅了され、魔女となる道を選んだティティにとって、俺ら普通の人間なんて取るに足らない存在なのか?
だとしたら俺は、何て――馬鹿なんだ。今まで、「死人」であることに負い目を感じたことはなかった。それもこれも、ティティがあまりに普通に接してくるからだ。造物主と被造物という関係は永遠に消えないかもしれないが、それでも、少なくとも俺達二人は対等な位置に立っていると――そう思っていたのに。
「俺、これからどうしようかな……」
勢いで飛び出してきてしまったが、行くアテなんかない。不本意だが、ティティが俺の世界の全てだった。せめて記憶が戻れば、現状打破に繋がるんじゃねぇかと思うんだが。
「あ。そうか」
俺は突如閃いた。出入り禁止の、ティティの研究室兼実験室。あそこにはティティが聖書と崇めるスヴェトラーナの呪術書がたんまりと置いてある。死霊術の本も当然、そこにあるはずだ。
何か記憶を取り戻すヒントがあるかもしれない。思い至った瞬間、俺は踵を返していた。
不良品として捨てられてたまるか。
地下室は暖炉近くの階段から行くことが出来る。飯を食った後すぐ研究室に行けるように、逆もまた然り、というティティの安直な発想からだ。
そーっと玄関を開け、中の様子を窺う。ティティの姿はなかった。フィロは暖炉で爆ぜる火に照らされて眠っている。俺はこの一年眠いと思ったことはないんだが、フィロとは構造が違うんだろうか。まあ、今はそんなことどうでも良い。
足音を忍ばせて階段を下りる。意外と長い。やがて研究室の入り口が見えてきた。寝室と大差ない簡素な扉だ。
そっと扉を滑らす。小さく軋みながらも、未知への扉は開いた。扉の隙間からティティの後姿が見えた。机に突っ伏している。寝てるのか?
俺は注意深く観察した。結構広い部屋だ。本棚と変な器具の棚を壁一面に置いてもまだ余裕がある。暖炉では小さな火が踊っている。
舐めるように見回して、妙な違和感を感じた。じっとその正体を探っていると……あぁ、床の色が違う。灰色の中に、くすんだ赤のような茶色のような、そんな色が混じっているのが目についたんだ。特に俺が居る辺りが一番くっきりしている。足元の床はほぼ茶色だった。どう見てもこれ……血の跡だろ。人間を殺してるティティの姿を想像して、ぞっとした。
俺は一歩部屋に踏み込む。ティティがぴくりと反応した。やべっ、起きたか? 俺はとっさにしゃがみ込み、物陰に身を潜める。いや全然隠れてねーけど、何もしないよりマシだろ。
「……誰か居るの? フィロ?」
ティティが肩越しに振り返る。その顔を見て、俺は絶句した。思わず立ち上がってしまったほどだ。俺を見咎めて、いつもの調子で「何やってんの!」と怒鳴ったりする様子はない。当たり前だ。今のティティには両目が――ないのだから。本来あるべき場所には、闇で満たしたような空洞が並んでいる。血も流れているのに、痛がってる気配はない。
「フィロ、居るの? こっちにいらっしゃいよ」
ティティが口元に笑みを浮かべて、手招きしている。正直、かなり異様な光景だ。
どうすべきか迷って、結局、
「何だよ、その目」
声を出した。「リエル!?」途端にティティの顔が強張る。
「どうしてここに居るの? 入るなって何度も言ったでしょう!」
先ほどまでの優しい声音は奥へ引っ込み、非難めいた口調で怒鳴られる。ティティは机に肘を突くと、両手で顔を覆った。泣いているようにも見えたし、呆れているようにも見えた。
俺は近づいて、でもかけるべき言葉も見つからず――無言でその肩に手を置いた。「……何よ」不機嫌な声でティティが言う。
「目、どうしたんだよ」
問いかけに、ティティは躊躇いを示す。
「視力、調整してんのよ。私の前に箱があるでしょ、そん中」
言われてみれば、雑多な机の真ん中に黒い箱が置かれている。両の手の平に収まるくらいの、小さな箱だ。
ティティは迷うことなく箱のふたを開ける。変な液体で満たされた中で、確かに目玉が浮いていた。硝子のような、ティティの瞳だ。
「目って、外して平気なのか?」
「……あんた馬鹿でしょ」
慣れた手つきで眼球を取ると、丁寧に二つの空洞へ収めていった。軽く頭を振って「よし、見える」一人で満足していた。
「おい、ティ……」
「私が創ったんだけど、どうも一月に一回は調整液に浸さないとダメみたいでねー。やっぱり私って才能ないのかなー」
俺の言葉を遮って、わざとらしい台詞を吐く。笑いも妙に乾いている。
「誤魔化すなよ」
強く言うと、ティティも笑いを引っ込めた。気まずい沈黙が下りる。
「覚えてない人に何を言っても無駄だとは思いますけど! 私の両目はね」
俺の鼻面に人差し指を突き付けて、思いも寄らぬことを言い放った。
「リエル、あんたにくれてやったのよ」
――はい?
まったく事情が飲み込めない俺に、億劫そうに語り出した。
ティティはその日も、次にリエルが来る日を心待ちにしていた。十六年の人生において、「魔女」の自分を友人と認めてくれたのは彼一人だけだった。両親さえも見捨てたのに。
ティティにとって術とリエルが全てだったのだ。
地下実験室で呪術の準備をしながら、彼の好奇心に満ちた瞳を思い起こす。
「ティティ。この本は何だ?」
「それはあまり現実的な術のじゃないわ。こっちならリエルにも使えるんじゃない?」
当たり障りのない術が書いてある書物でも、彼は十分に喜んでくれた。たまに、彼が年上なのが信じられなくなるが、一歳差では大した違いはないということか。
リエルが完全に帰った頃合を見計らって、リエルが興味を示した死霊術の本を紐解く。死霊術はまだ行ったことがない。危険すぎてリエルには見せられなかったし、見せる必要もないだろう。
部屋に描かれたいびつな陣に捧げるのは、白い仔犬。今朝、街道で馬車に轢かれて死んでいたのを持ち帰ってきたのだ。
最後にもう一度、念入りに材料や陣をチェックする。欠けているものは、ない。本を閉じ、しゃがみ込んで陣に両手を置く。淡く光った。
「いけるわ」
強く念じる。輝きが増す。子犬がぴくりと動いて、かすかに頭を持ち上げた。
と、その時。
「すっげぇな!」
――何っ? ティティは突然の声に驚き、振り向く。瞳を輝かせたリエルが立っていた。彼はたまに、妙に子どもじみた行動を取ることがある。恐らく、ティティが何か術をするのではないかと隠れていたのだろう。
「帰ってなかったの?!」
思わず陣から手を離してしまった。刹那、光が陣を離れて溢れ出す。
ティティは咄嗟に理解する。術が暴発したのだ。光が何かを求めるように、強く煌めく。生きているのではないかと錯覚するほどに、不規則に伸び、弾け、光り続ける。
何か良くないものだと、ティティの直感が告げた。
「うわ、何だっ?」
目映い光に飲み込まれる部屋で、リエルの慌てた声が妙によく響いた。
「早く逃げ……!」
ティティの叫び声は、光に融けていった。その目映さに堪えきれなくなって、固く目を閉じる。
「リエル、大丈夫?」
どれくらい経ったのかは分からないが、実際は数秒の出来事だったのだろう。ティティは恐る恐る瞳を開け、真っ先にリエルの名を呼んだ。
彼が立っていた辺りに視線を向ける。
「リエ、ル」
愕然とする。「リエル……!?」掠れた声しか出なかった。四つん這いになってリエルの元へ進む。
彼は、彼の腹は、破裂していた。白い骨が不気味な方向へ曲がりながら顔を覗かせている。鮮やか過ぎる血がとめどなく溢れ、血溜まりを作っていく。
呪術にまったく耐性がなかったせいだろう。あまりに酷い有様だった。
部屋自体は何も変わっていないから、悲惨さが余計に際立つ。
「あぁ、そんな……!」
まだ温かい体に縋りついて、嗚咽を漏らした。顔はまだ辛うじて原形を保ってはいるが、眼球が飛んでしまっている。耳も少し千切れているようだ。
――私のせいだ、私のせいだ……私が気を散らしたから……!
流れ出る血がティティを染めていく。リエルの恨みであるかのように、執拗に。
「……?」
ふと、頬に触れる感触があった。さっきの犬だ。いつの間にか隣に来ていたようで、小さく鳴きながら擦り寄ってきた。
「お前は生き返ったのね」
血に濡れた手でその頭を撫でた。冷たい。やはり、血は流れていないようだ。それでもしっかりと、息づいている。確かにここに存在し、生きている。ティティにはそう感じられた。
その姿をじっと見つめて、決心する。
「リエル、少しだけ待ってて――」
「……で、もう一回死霊術をやってあんたを生き返らせたわけよ。どうも上手くいってないみたいだけど」
ティティは大袈裟に溜息をついた。
「それで、目については」
記憶は断片すら浮かび上がってこない。俺は頭が真っ白になって、とりあえずそれだけ訊いた。
「完全にどっか行った目は創れなかったの、あの時の私では。片方でもあれば良かったんだけど……だから、私のを使った。生き返った時目がなかったら不自由でしょ? それだけの話よ」
全っ然、それだけで済ませられる話じゃないと思うのだが。
つまりあれか、元を正せば全部俺が悪いってことか? 一番の被害者はティティじゃないのか? 今まで自分が怒っていたのが馬鹿みたいに思えて、力なく座り込んでしまった。ティティが嘘をついているとは思わなかった。うるさくてワガママで自分勝手な女だけど、こういうことで嘘をつくような奴じゃないってのは、よく分かってる。
俺が頭を抱えて呻いていると、ティティが覗き込んできてふっと微笑んだ。今まで見たことない、優しい笑顔だった。
「私のことは気にする必要ないのよ。これが手に入るまではフィロが私の目の代わりをしてくれたし。知ってる? 術者が望めば、フィロを通して私も目が見えるのよ」
あえて被造物という言葉を使わなかったことに、ティティの気遣いを感じた。同時に、いつだって俺達を対等に扱ってくれていたのだと思い知る。
「いや、何つうか、その、そういうことじゃねーだろ」
俺は馬鹿だ。大馬鹿だ。この世とあの世をひっくるめてもこんな大馬鹿野郎は存在しないに違いない。勝手に卑下して腹立てて、当り散らして。
「その……ごめん。ホントにごめん」
生前の俺が無断で研究室に入ったこととか、さっきまでいろいろ勘違いしてたこととか、皿をぶつけたこととか。あの時、避けなかったんじゃなくて見えなかったのかもな。
悔いることは多くあるけど、俺には謝ることしか出来なかった。
ティティはそんな俺を抱いて、語りかけてくる。
「私こそ黙ってて悪かったと思ってるわ。でも……怖くて言えなかった。私から離れて行っちゃうんじゃないかって……」
俺を抱く体が小さく震えている。
「さっきも、酷いこと言ってごめんね。たとえ記憶がなくても、あんたは間違いなくリエル本人よ。魂が、帰るべき自分の体を間違えたりしないわ」
慈愛に満ちた声音。
いつも強気で押しの強いティティの、意外な一面を見た気がした。
正直――嬉しかった。
「死霊術……まだ続けるのか?」
「ううん。スヴェトラーナの秘術が完成したら、それで死霊術からは一切手を引くつもりよ。もう懲りたわ。これからはただの呪術師として生きて行くつもり」
呪術師を「ただの」と表現して良いのかは微妙だが……。
「何でそんなにスヴェトラーナの秘術とやらに拘るんだ? もう良いじゃねーか」
「あら、ダメよ!」
いつかのように俺の胸倉をぐわしっ! と掴むと、口早に捲くし立てた。
「あのね、スヴェトラーナの一族はかなり特殊で……体が部分的に腐っているの。それで彼女は『普通の体』を創ろうとしたのよ。魂移しの術は彼女の得意中の得意だったから、あとはそっちに魂を移すだけ」
ティティは瞳を輝かせて続ける。
「分かる? この術を使えば、リエル、『生きてる体』が創れるの。血の通った、温かい体! 本当に生き返るのよ! 私も魂移しなら失敗しないから安心して」
「な、え、それも俺のためなのか? いやそれは嬉しいけど俺は現状でも別に不満はねーと言うか」
動揺した拍子に、目が転がり落ちた。おい、なんつータイミングだ眼球。俺の「不満はない」ってのが嘘臭くなっちまうじゃねーか。
ティティも転がっていく眼球を視線だけで追っている。「本当に満足なわけ?」……今改めて聞かれると、微妙かもしれん。
「ま、その体に移るかどうかは自分で決めれば良いわ。これは私なりのケジメだから、術だけは絶対に完成させる」
こうなると、絶対に意見を曲げようとはしない。
「分かったよ。んで、術ってのはいつ完成する予定なんだ?」
俺の質問に、胸倉を掴んだまま視線を明後日の方に向けるティティ。
「んー……二年後くらいを目標に?」
「まだまだじゃねーか!?」
もう完成間近かと思ってたぜ! ティティは顔を真っ赤にして「仕方ないじゃない! 難しいんだから!」反論した。
拍子抜けすると、落ちた右目の視界が映しているものに、意識がいった。いつの間にかティティの真下で止まっていたらしい、その瞳が映すもの。それは……
「黒のレース?」
瞬間、ティティの右ストレートが飛んできた。残っていた左目も吹っ飛ぶ。
「最低!」
く、くそ……グーで殴るとは、何て女だ。俺はあたふたしながら目を拾い上げた。
耳まで真っ赤にしたティティが、俺を睨んでいる。
「馬鹿リエル! さっさと出てけ!」
引き摺られるようにして部屋から追い出された。
「何だよ、減るもんじゃねーし……」
俺はぶつくさ文句を垂れながら階段を上った。
――この体もまだまだ捨てたもんじゃねーな。
忍び笑いを漏らしながら。
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