お題:意味なしアリス(谷山浩子)

 私は知らない景色の中に佇んでいた。
 夢を見ているのはすぐに分かった。
 私はアリス。不思議の世界に迷い込んだ、夢見の少女。服装はいつもの味気ないブレザーだけど、私がアリスの可愛らしい服を着たら犯罪だから、我慢しておこう。もう少し容姿が愛らしくなってれば良かったのに、変なところで律儀な夢だ。


 草木は形容しがたい不思議な色合いをして、大きく花開いて捕食者を威嚇しているように上を向いている。ジャングルも逃げ出す茂りっぷりに、歩く足がもつれて転びそうになった。
 根っこが天に向かって伸び、人間を――私を絡めとろうと蠢いている。地面の下では食人植物が、あり地獄のように待ち構えているのだ。
 地面から手が伸びている。憐れにもつかまってしまった人たち。彼らは必死でもがいているけど、誰も助けの手を伸ばさないし(ていうか周囲には私しか居ないんだけど)、いくら暴れても逃げられない。絶対に逃げられないんだから、あんなに暴れても意味なんてないのに。
 私は彼らの横をさっさと通り過ぎた。
 けばけばしいきのこの上では、教鞭を振るう芋虫が何事か喚いている。その周りを蝶々がひらひらと優雅に飛び回って、まるで芋虫を守っているかのよう。
 芋虫の言葉なんて分からないけど、誰かに向かって文句を言っているみたいだった。誰も居ないのに、なんて無意味なことをしているの?
 歩き続けていると、視界の隅から奇抜なジャングルが溶けていく。紅茶に垂らしたミルクをかき混ぜるように、唐突に景色は混ざり合っていく。続いて現れたのは、ハートの女王様の庭園といった風の景色。でもどの薔薇も茶色く枯れていて、トランプ兵はみんな疲れた顔をして薔薇の前に立っている。蘇らせる方法を考えているのかもしれない。
「そいつの首をお刎ね!」という女王の威圧的な声が遠くから聞こえてくる。その声を聞くたびにトランプ兵たちはびくりと肩を震わせて、次は自分かというストレスに、胃に穴を開けていることだろう。
 ばかな人たちね、さっさと逃げればいいのよ。
 そして女王様、自分は帽子屋さんたちと何でもない日をお祝いするお茶会に出ているようですけど、少しはご自分でお考えになったら?
「直接言ったらどうだい?」
「いやよ、どうせ聞く耳なんて持ってないもの」
 いつの間にか現れた、時計うさぎとチェシャ猫がけらけらと笑う。
「女王様はとっても賢いよ。僕とかぼちゃの見分けはつくんだからさ!」
 なんて皮肉屋なのかしら、この猫は。うさぎもさっきから笑いっぱなし。
 そんな二匹を睨み付けると、肩をすくめてどこかへ行ってしまった。代わりに現れたのは――お茶会中の女王様。
「おやおや、誰かしら、私をばかにするのは? 首を刎ねておしまいよ!」
 トランプ兵が明らかに私めがけて走ってくる。冗談じゃないわ、なんで私が!
 私は脱兎のごとく逃げ出す。いかれた帽子屋のティーカップに足を滑らせて、生ぬるい紅茶の海へ落ちてしまったけど、必死に泳いでどこか、女王の手の届かないところへ向かう。
 くたびれたトランプ兵が、怒れる芋虫が、捕われた人間が、どんどん遠ざかっていく――


 私は目を覚ました。本を読んでる最中に寝ちゃったみたい。図書館の外は橙色に染まり始めている。私はファンタジー小説が大好きだ。
 いつもいつも変わり映えのしない日常。
 逃げられない現実。
 そういったものを、一時であれ忘れさせてくれるから。
 たとえ無意味な逃避だと、分かっていても。