〔毛筆画の特性〕
毛筆画では水と墨を含んだ筆が一気に紙の上を動き、描こうとするものを瞬時に描出します。その生き生きした表現は、毛筆画のきわだっだ特長です。しかしそれだけにまた、自在に筆をあやつるための筆法の訓練が、どの絵画にもまして重要になります。
 ここで、このように毛筆によって描かれた絵画を毛筆画とし、その特質を次のように整理したいと考えます(この毛筆画は、水墨画・墨絵などとほぼ同じ意味あいであるが、俳画など墨のほかに水溶性の顔料を補助的に使用する場合も含む)。
(1)直接性と一体性 毛筆画では、描き手の意図や感情が、瞬時に画面に伝わります。筆の動きがそのまま形となり、ある物象の表現となり、また僅かなためらいや手のふるえが、そのまま滲みや描線のふるえとなって紙の上に現れます。  この表現過程の直接性と、精神と肉体と毛筆が一つに連動する一体性が、先ず第一の特質と考えられます。
(2)一回性と偶然性 毛筆画では、一度描いた筆の跡を、消したり修正したりすることが出来ません。また同じ部分を、原則として二度描きすることをしません。これを毛筆表現における一回性とします。またスケッチを見ることはあっても下図を描きません。ぶっつけ本番ですから、描き手の意図通りに筆が運ぶとは限りません。また特に滲みの強い紙に描く場合、画面にはにじみやかすれに伴う思わぬ表情が生まれます。このような偶然性も、毛筆画の特質の一つです。
(3)流動性 以上のような性質とも関連して、毛筆画の流動性、つまり画面の生き生きとした動きが生まれます。この点は、油絵や岩絵具による日本画との大きな違いといえます。この運筆が生み出す画面の表情と雰囲気を、中国の故人は、「気韻生動」とよんで、優れた絵画の第一要件としました。
このような特性をもつ毛筆画は、高度に技術的な表現であると同時に、高度に身体性を伴った活動であるという点で、最も根本的な表現活動である、といえます。
コンピューターグラフィックスをはじめとして、機械や道具を使ったアートが21世紀を迎えてますます拡大する中で、私が声を大にして毛筆表現の重要性を主張するのは、まずこのためです。
〔毛筆画の現状〕
 歴史的にみれば、毛筆と墨と紙による絵画表現においては、毛筆を自在に扱うための訓練、つまり運筆の習得が、まず作品制作の前提とされてきました。中国でも日本でも、それぞれの対象を描くのに適した筆使いが、例えば蘭や竹の描法について歴代の画家によって研究され、またその結果獲得した筆技を駆使して、さまざまの対象を独自の表現で描き出しました。さらにそのような筆法は、師匠から弟子へと伝えられ、伝統として豊かな稔りを後世に引き継いで来たのです。  しかし日本では、運筆の訓練を受けてきた明治生まれの画家たちがほぼいなくなってしまった現在、運筆に基づく毛筆表現は姿を消し、水墨画(或いは墨絵)は、ほとんどが墨を塗って描く絵となってしまいました。大学の美術専門課程に水墨画をおくところは皆無となり、「日展」などの公募展でも、水墨画は募集対象にすらなっていません。  ところが一方で、趣味として水墨画などを、カルチャースクール、テレビ講座、或いは通信教育などで学ぶ人々は、年配者の余暇の増大とあいまって、むしろ増えているように見えるのです。水墨画系美術団体も枚挙に暇なく、全国規模の水墨画公募展も一、ニにとどまりません。これに書道を学んでいる人々を加えると、毛筆と墨と紙によるアートに携わっている人々は、日本画や油絵を学ぶ人々に、数において拮抗しているともいえます。毛筆表現のテクニックを必要とする人々は、現在でも決して少なくはないのです。
〔筆法の訓練は可能か〕
 私は私自身の筆技訓練をふりかえって、筆法の習得方法は既に確立していると考えています。普通それは、白い毛氈(もうせん)を前にして、正座という形で行われます。正座姿勢による重心の安定と、肩から毛氈までの高さが、上半身の自由な動きを容易にするからです。その上で、様々な筆法で描かれた何十種類もの手本を繰返し描いて、それぞれの筆使いを身につけます。指先から全身の動き至るまでをコントロールしながら、色々な筆法を会得するには、長い時間がかかります。はっきりした目的意識のもとで忍耐が要求されます。しかしこの基礎的訓練を経ずして、毛筆の機能を十分に使いこなすことは出来ません。  毛筆を自由に扱うすべが身につくにしたがって、表現領域は拡大します。対象も花鳥・山水の世界にとどまらず地球上の様々な事象を含み、具象・抽象を問わず、毛筆による表現が可能なあらゆる対象に挑戦すべきでしょう。  このように考えて、以下にいくつかの提案を行います。
〔提案 −筆法による毛筆画再生のために−〕
 (1)先ずプロをめざす若者に対して、運筆の基礎的な訓練の場を設定すること。優れた筆技をもつ指導者によっての、本格的な教育の場が必要です。  そのために、どこかの美術系大学、或いは大学の美術過程に、毛筆画の専門コースを設けること、或いは国家文化政策の一環として、毛筆画専門の稽古場を作ることを考えるべきでしょう(歌舞伎、能、三味線など、伝統芸能の保護育成に準ずる措置として−)。
 (2)そのために毛筆の高い技法を身につけた指導者を、全国からピックアップしなければなりません。また抽象表現を行う書家などにも、優れた筆技の持ち主がいるかも知れません。同時に例えば台湾などから、腕のある毛筆画家を教師として招聘することも一つの選択です。
 (3)日展などの美術公募展に、「水墨画」を募集対象として加える必要があると思います。現状ではかなり趣味的レベルの毛筆画であるとしても、伝統絵画としての市民権は与えてしかるべきだと考えます。
 このようなことが、果たして今から可能でしょうか。先ず筆法を駆使した毛筆画は、21世紀の美術に貢献し得る可能性を秘めている、という認識が前提となります。文化庁や文部科学省の見識も問われます。同様に、今世紀の芸術を世界的な広がりで見通せるアーティストや文化人の、英知と直感を必要とします。  それらを期待出来るものとして、まず心ある毛筆画家たちの、或いは美術系大学の指導者たちの、この問題に対する理解と意見交換をよびかけます。  何とかまだ間に合うかもしれないうちに、一刻も早く。
2005年3月
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