第六話
あたしは、かまわず二人のそばへ寄っていった。
篁(たかむら)は、あたしが現れたことに一瞬のためらいをみせた後、あきらめたように話の続きをはじめた。
「そうなんだ、綺羅(きら)さん。実はこれは、ぼくの母上が言い出したことなんだ。母上は、なにやら権大納言(ごんのだいなごん)殿の北の方から文をいただいたらしくてね、『わが邸には今、異国からまいられた麗人(れいじん)が滞在(たいざい)しておられ、毎日がそれはもう大変なにぎわいようですの。このような珍しいお客さまを迎えられたことは、わが権大納言家にとりましても、ことのほか名誉なことと思っておりますのよ――』とかなんとか、書かれていたらしいんだ」
「まあ、母さまが篁の母上にまで……?」
母さまがあちこちに文を書きまくっていたのは知っていたけど、まさか篁の母上にまで送りつけていたとは思わなくて、あたしは少なからず驚いた。
「うん。たぶんぼくの家で、綺羅さんをあまりよく思っていないということを聞いて、少々当てこすったんだと思うけど……それで母上が、セイラはきっと、綺羅さんがひそかに吉野に隠していた恋人に違いない、なんて言いだしたものだから、実は、吉野で空から降りてきたセイラを見つけたのは、ぼくと綺羅さんなんだって話したら……」
「あっ、あんた!セイラが空から降りてきたこと、ばらしちゃったの!?」
「ごめん。綺羅さんをかばおうとして、つい……」
「それで?母上はなんておっしゃったの?」
「うん…だったらその天人は、どうして変わり者と評判の姫のところにばかりいて、ぼくのところには来てくれないんだって騒ぎだして、ぜひともわが邸にもセイラを呼ぶべきだって父上に泣きついたんだ。それで父上も……」
篁は酸(す)っぱい顔をして口ごもった。
あたしは、白々とした目を篁に向けた。
「その変わり者の姫って、あたしのことね」
「ぼくが言ったんじゃないよ!母上は……綺羅さんのことを、あまりよく知らないから……綺羅さんのよさがわかってないんだ」
篁は気色(けしき)ばんで否定した後で、苦しそうにそう言いわけをした。
「綺羅姫は、変わり者って言われてるの?」
セイラがおもしろそうに瞳をおどらせた。
「そりゃあ、あたしは平気で人前に出たり、外歩きしたりするからね」
「普通の姫君は、そんなことしないのかい?」
「まあ、普通はね。邸の中に閉じこもったまま、おとなしくお歌なんかを詠(よ)んだりしてるわけよ」
「それならわたしは、今のままの綺羅姫のほうがずっと生き生きしていていいと思うな。篁だってそう思うだろ?」
なんてにこにこしながら言うものだから、あたしは顔が赤らんできちゃうし、篁は返答につまっておたおたしていた。
「そ、それで父上も、宮中での権大納言殿の評判が急に高まったことへの羨望(せんぼう)もあって、ぜひとも明晩(みょうばん)、セイラを招いて宴を催(もよお)したいというんだ」
そこで、篁は急に声を落として、すまなそうな顔をした。
「セイラを家の者に紹介したいとは思っていたけど、こんなふうに権大納言殿や北の方と張り合うために招待する羽目(はめ)になるなんて、セイラにも綺羅さんにも申しわけなく思うんだけど、あの、セイラ……」
うつむいて、上目づかいにようすをうかがっている篁に、セイラはにこっと笑顔を返した。
「もちろん、喜んで招待を受けるよ」
あたしは、セイラの人の良さに呆(あき)れると同時に、だんだん腹がたってきた。
「セイラ!あんた宮中での人気取りの道具にされてんのよ。それでもいいの?篁の父上もどうかしてるわ。そんなことのためにセイラをだしに使うなんて!それを言いにわざわざやってくる篁も篁よ!セイラがなんのために都に――」
「綺羅姫――」
セイラは苦笑いを浮かべて、あたしの言葉をさえぎった。
「篁を責めるのは間違ってるよ。それが、篁の本意(ほんい)じゃないことはわかってるし、そうじゃなくても、これまで篁にはいろいろ助けてもらってきたから、右大臣殿と北の方には、一度私から出向いて、きちんとお礼をいわなきゃいけないと思ってたところなんだ。それに、私としてもより多くの方にお会いして、早くこの国の人々に受け入れられたいと思ってることだしね」
穏(おだ)やかな声で、さとすようにそう言われると、あたしもそれ以上強くは言えなかった。
篁はほっとしたように先を続けた。
「宴(うたげ)には、昨年の秋の除目(じもく)で、新しく弾正(だんじょう)の尹(いん)にご推挙(すいきょ)された宮殿も来られるよ。尹の宮殿は、今上(きんじょう)帝の兄宮に当たられるお方で、当年二十五歳におなりなはずだ。セイラほどじゃないけど、光源氏の再来(さいらい)とうわさされる見目(みめ)麗(うる)しい方で、深い教養(きょうよう)もおありになり、今上のご信頼も厚い方だよ。セイラにもぜひ紹介したいんだ」
「帝に兄宮がいらしたの!?そんな話、初めて聞いたわ!」
「綺羅さんが知らないのも無理はないよ。なにしろそれまで、宮中とはまるで縁(えん)のない暮らしをされておられた方だからね」
「でも、順番からいったら、その方が帝になっていてもおかしくなかったんでしょ?」
「実は、その辺の事情については、ぼくもあまりくわしいことは聞かされていないんだ」
篁は、困ったように眉(まゆ)を寄せて、
「ただ、ぼくたちが生まれたばかりの頃にいろいろあって、それで、当時三の宮であらせられた今上が、急遽(きゅうきょ)東宮にお立ちになることになったらしい」
なんだか言いずらそうに、もそもそとそう言った。
「ふーん。帝になれなかった兄宮ねえ…」
弾正(だんじょう)の尹(いん)というのは、確かに位(くらい)は高いけど、名目(めいもく)だけの、親王(しんのう)をやしなうお飾(かざ)り職のようなものだった。
要するに、出世コースからは外(はず)されている閑職(かんしょく)だったりする。
篁が言いずらそうにしていたのも、そのあたりに理由がありそうな気がした。
つまり、その宮さまには、実力者の後見人(こうけんにん)がいなかったってことじゃないかしら。
たとえ兄宮であっても、宮中で有力な後ろ盾(だて)がいないっていうのは致命(ちめい)的だもの。
「そんな方がどうしてセイラに会いに来るの?光源氏の再来なんて言われてるから、セイラが美貌(びぼう)だっていう評判を聞いて競争心でもわいたのかしら?」
あたしは冗談のつもりで笑ったけど、篁は急に真顔になった。
「尹の宮殿はそんな方じゃないよ。もしかしたら……今上のご内意(ないい)を受けてのことかもしれない」
「今上って、それってつまり……!?」
あたしの胸の奥が、ざわざわと騒いだ。
「近く、セイラに帝のお召(め)しがあるかもしれない!」
篁は、いやにきっぱりと言い切った。
「帝か……どういうお方か、お会いしてみるのも悪くないね」
その時を楽しみにしているような、セイラの口ぶりを耳にしながら、あたしはとんでもないって思っていた。
セイラがそんなことをいうのは、帝のことをよく知らないからよ。
もし、セイラが帝にかかわりあうようなことにでもなったら、絶対いいように振りまわされるに決まってる――あたしは、心の中でそう確信していた。
3.記憶の影
次の日の夕べ、宴に招待されたセイラは、その夜とうとう帰ってこなかった。
翌朝遅くになって帰ってきたセイラに話を聞くと、セイラが、すすめられたお酒に酔ってしまったこともあるけど、篁の母上に、どうしても泊まっていってくれと懇願(こんがん)されたということだった。
あたしが、弾正尹の宮はどんな人だったって聞くと、
「いや、尹の宮殿は、最初にあいさつをかわしただけで、その後は全然そばにも来なかったよ。ただ……どういうわけか、気がつくと遠くからじっと私を見つめているんだ。かえって私のほうが気になってしまったくらいさ」
と、笑って話してくれた。
「だけど綺羅姫、当分宴の席はえんりょしたいと、権大納言殿に申し上げてくれないかな。ここのところの宴続きでさすがに疲れたし、それに、本当のことを言うと私はお酒が苦手なんだ」
そう言ったセイラの頬(ほほ)は、二日酔いのせいもあるのか、心持ち蒼ざめて見えた。
あたしは、父さまに話しておくと約束した。
その日、セイラは気分がすぐれないのか、一日中部屋にこもりっきりだった。
でも、次の日からはまた、真尋(まひろ)や篁と連れ立ってどこかへ出かけていった。
きっと、都中を駆けまわって、記憶を取り戻す糸口を懸命(けんめい)に探しているんだろう。
そんなセイラに、あたしはなにもしてあげることができなかった。
セイラとあまり話す機会もないまま、数日が過ぎたある夜――
あたしは、夢にうなされて、夜中に突然はね起きた。
ひどく怖い夢だったらしくて、手のひらがじっとりと汗ばみ、心の臓がはみ出しそうなほどドキドキしてるのに、さてそれがどんな夢だったかというと、これがさっぱり思い出せない。
あたしの他に誰かいたような気もするし、あたしはあたしで、必死でなにかを叫んでいたような気もするんだけど……。
頭の中にぼうっと霞がかかっているみたいで、もう一歩のところで思い出せそうなのに、それがどうしても浮かんでこないもどかしさを感じながら、床の上でしばらくそうしていたけど、結局なにも思い浮かんでこなかった。
仕方なくあきらめて、もう一度眠りにつこうとして身体を横にしながら、部屋のまえを流れる遣水(やりみず)のさらさらという音を、聞くともなしに聞いていた。
ふと、セイラは今頃どうしてるんだろうって思った。
こんな夜中だったら、きっともう寝てるわね。それとも、今でもあの暗い夜空を見上げてるのかしら――って思ったとたん、夢でみたことを思い出したあたしは、ぎょっとしてとび起きた。
あれはセイラだった!?
そうよ!思い出したわ!夢の中で、夜空を見上げていたセイラが……。
胸の鼓動(こどう)が、早鐘(はやがね)のように鳴り続けた。
まさかね……って思う気持ちの一方で、次第に大きくふくらんでくる不安を、押さえることができなかった。
いても立ってもいられなくなったあたしは、衣架(いか)にかけてある衣をひっかぶると、はやる気持ちにせき立てられるように、庭に飛び出していた。
東の対屋(たいのや)から、庭づたいにセイラのいる東北の対屋にまわりこんで、あたりをそうっと見まわしてみたけど、セイラらしき人影は見当たらなかった。
ほっとしたようながっかりしたような、急に力が抜けてしまった感じで、そのまま部屋に戻ろうとした時、セイラの部屋の格子(こうし)から、耿耿(こうこう)と明かりが洩(も)れているのに気づいた。
こんな夜遅くまでなにしてるのかしらって思って、近づいていって軽く妻戸(つまど)に手をかけると、意外にも、妻戸はかけ金がはずれていたらしく、カタンと音がしてすーっと開いた。
「セイラ?……まだ起きてるの?」
小声で呼びかけてみたけど、返事がない。
灯台(とうだい)に火はあかあかとともっているのに、人のいる気配(けはい)がなかった。
――こんな夜中に、セイラはどこへ行ったのかしら?
そう思いながら、少し大胆(だいたん)になったあたしは、妻戸のすき間から身をすべらせるようにして、部屋の中に入った。
廂(ひさし)の間を通って、奥の間に忍び足で入っていくと、そこに――セイラはいた!
一番奥の部屋のすみに、壁にもたれるようにして、うずくまったままじっとしているセイラが――!
「セイラ!どうしたの、そんなところで……?どこか具合でも悪いの?」
あたしがそう聞かずにはいられないほど、セイラはひざを抱えて、なにかに怯えたように小さくなっていた。
「綺羅姫……」
顔をあげたセイラは、穏やかで自信に満ちたいつもの顔とはうって変わって、別人のように頼りなげだった。
「眠れないんだ。もうずっと……眠るとまた、悪い夢にうなされそうで……怖いんだ!」
悪い夢――と聞いて、あたしは内心ぎくっとした。それにしても――
あたしの目と耳は、どうかしてしまったんじゃないかしら。
夢が怖くて眠れないと言って、ここで小さな子供のように怯えているのは、本当にあたしの知っているセイラなの!?
「ずっとって……じゃあ、何日も?」
セイラはコクンとうなずいた。
あたしは、驚いてそばに駆け寄った。
あらためて見まわしてみると、セイラは寝着(ねぎ)にも着がえておらず、開けられたままになっている襖障子(ふすましょうじ)の向こうの、寝所(しんじょ)の夜具(やぐ)にも乱れたあとがない。
「じゃ…じゃあ、その間こうして朝まで起きてたっていうの!?悪い夢にうなされるのが怖くて?」
「ああ……」
セイラは、はにかんだように、ようやく少しだけ笑みを浮かべた。
「綺羅姫は笑うかい?夢が怖くて眠れないなんて……」
「そうね。まるで小さな子供みたいね」
その笑みにつりこまれるように笑いながら、あたしには、この心細そうなセイラの姿が、吉野で都行きを決めた夜のセイラの姿と重なり合って見えた。
――ああ、そうだったわね。セイラはいつだって、穏やかな笑顔の裏に、悩みごとをすべて押し込めてしまうから、あたしたちにはそれが見えないだけなんだわ……。
「でも、あたしがここへ来たのも、実は怖い夢を見たからなの。夢の中で、セイラが黒い霧のようなものに取り巻かれて、どこかへ連れて行かれそうになったのよ……それで、心配になって来ちゃった」
夜中に殿方(とのがた)の対屋(たいのや)に忍び込んでくるなんて、考えてみると、あたしもずいぶん思い切ったことをしたもんだわって、我ながらあきれていると、セイラは、ひどく真剣な目をして、まじまじとあたしを見つめた。
「綺羅姫も、あれを見たの?」
「あれ、って……えっ!?」
はっとして、あたしはセイラの瞳を見返した。
「まさか、セイラが眠れなくなるほど怖い夢って……!?」
セイラは、蒼白い顔をしてうなずくと、あたしが入ってきた妻戸の方をゆっくりと指差した。
「あの、夜空の暗闇が、眠っている私を取り囲んでどこかへ連れ去ろうとするんだ。虚(うつ)ろな、すべてを飲み込んでしまう闇の中へ……。私は怖くなって、大声で助けを呼ぶんだ。その声さえ、底知れない闇の深淵(しんえん)に吸い込まれて、かき消されてしまう。いくら叫んでも、その叫び声が自分の耳に届くことはないんだ。上も下もわからない闇の中で、死のような静寂(せいじゃく)につつまれながら、私はそれでも必死であがきつづけ、叫びつづける。それがどんなに恐ろしいことか、綺羅姫には想像がつくかい?……もう、気が狂いそうなくらいさ。切れたのどからあふれだした血の匂(にお)いで、私は何度もむせ返りそうになる。苦痛が、身体を苛(さいな)んでいるうちはまだいい。そのうち、叫ぶ気力もなくなり、どれだけ時がたったのかもわからず、しまいには、自分が生きているのか死んでいるのかさえわからなくなって、私は……」
セイラは、その時の恐怖を思い出したようにがくがくと震(ふる)えていた。
聞いていたあたしは、背中に冷水をあびせられたような気がして、全身がゾーッと総毛(そうけ)立った。
セイラは、一体どこから、そんな途方もない悪夢を引っぱり出してきたんだろう?
セイラの夢の話には、まるで体験したことがあるような、妙に生々しい迫力と現実味があった。
セイラは、本当に悪夢を見ただけなんだろうか?
もしかしたら、セイラの見た夢は単なる夢じゃなくて、本物の恐怖の記憶なんだとしたら……!?
――ううん。そんなことがあってたまるもんですか!!
「大丈夫よ、セイラ」
あたしはとっさに、震えているセイラの身体を、両腕で包みこむように抱きしめていた。
「あたしがセイラを守ってあげる。こうして、セイラがどこへも行かないようにつかまえていてあげるから、だから、安心して眠っていいわよ」
「綺羅姫!?」
セイラはびっくりしたように、あたしの顔をのぞきこんだ。
灯台(とうだい)の油が切れかかっているのか、部屋の中がしだいに薄暗くなりはじめていた。
物の形がやわやわと闇に溶(と)け出していくような、そんな薄暗がりの中でも、ほの白く輝いているように見えるセイラの端整(たんせい)な顔立ちが、すぐそこにあった。
唇と唇が、今にも触(ふ)れ合いそうな気がして、あたしは、顔から火が出そうなほど真っ赤になっていたと思う。
いつもだったら、恥ずかしさで顔をそむけて、腕を振りほどいてしまっていたかもしれない。
でも今は、この部屋の暗がりが、あたしの味方だった。
セイラのきれいな紫色の瞳が、翳(かげ)って見られないことだけが、ちょっぴり残念な気がした。
「友だちは、困っている時には助け合うものでしょ?セイラは、悩みや不安を、自分の中だけに閉じ込めておき過ぎるわ。あたしたちには、もっと見せてくれていいのよ。弱みなんてなにもないようにみえるセイラも、カッコよくて素敵(すてき)だけど、弱みだらけで、悩んだり迷ったりしているセイラでも、あたしは好きよ。そんな時のためにこそ、友だちっているんじゃない。ねっ。だから、セイラを苦しめるような悪い夢は、あたしがこうして追っ払(ぱら)ってあげる」
とまどったようなセイラの表情が、ふいに、ニコッとあどけない笑顔に変わった。
「うん。じゃあ少しの間だけ、私を…守って……いてくれ。き、ら、ひ………」
崩(くず)れるようにあたしの肩にもたれかかると、セイラはもう、泥(どろ)のような深い眠りに落ちていた。
――ちょ、ちょっとセイラ!せっかく、真夜中の部屋にあたしたち二人だけっていうシチュエーションなのに、こんなにいきなり寝てしまわなくったって……。
っていっても、この状況じゃ無理もない、か。
ずっと眠ってないって言ってたから、きっともう目を開けているのがやっとだったんだろうな……。
『少しの間だけ――』ですって?このようすじゃ、明日の夜までだって目を覚ましそうにないわよ、セイラ――
眠っているセイラの体から、ほのかに、なんとも言えないいい香りがただよってくる。
温(あたた)かいセイラの体温を腕の中に感じて、あたしは、胸がキューンと締(し)めつけられるように切なくなった。
セイラは、疲れきって、まるっきり無防備(むぼうび)な顔をして眠っていた。
かわいい――なんて言ったら、後でセイラに叱(しか)られるかもしれない。
けど、あたしは初めて、セイラのありのままの素顔を見せられたような気がしていた。
ここにいるセイラは、優雅(ゆうが)な微笑と物腰(ものごし)であたしたちを魅了(みりょう)するセイラではなく、怖い夢に怯(おび)えて眠ることすらできずにいる、危(あや)ういほどの脆(もろ)さをかかえた少年だった。
そんなセイラが、あたしにはかえっていじらしく、いとおしく思えた。
――篁、いいよね。今晩一晩だけ、セイラの側についててあげても、かまわないよね……。
それから、どれだけ時がたったのか、セイラの寝顔をながめているうちに、あたしもいつの間にか、誘われるようにうとうとと眠ってしまったらしい。
せわしなくさえずる小鳥の声に気づいて、目が覚めた時には、もう夜が明けかかっていた。
――まずい!
こんなところをセイラづきの女房(にょうぼう)にでも見られたりしたら、なんて言われるかわかったもんじゃないわ。
ただでさえあたしは、変わり者とか、はしたない姫だなんて言われてるんだもの。
誰も起き出して来ないうちに、早く自分の対屋に戻らなくちゃ――って思ってとなりを見ると、セイラはまだぐっすりと眠り続けていた。
静けさのただよう、菩薩(ぼさつ)さまのように安らかな寝顔だった。
どうやら昨夜は、悪い夢にうなされないですんだみたい。
ほっと胸をなで下ろして、セイラを起こさないようにそうっと壁にもたせかけると、あたしは、少しだけ開いたままになっている妻戸(つまど)へ急いだ。
そこから庭におりて、妻戸を閉めようとした時、はおっている袿(うちぎ)のたもとから、かすかにセイラの移り香が馨(かお)った。
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