第六十四話


「セイラ――!?」

 なぜ!?――と言いたげな篁(たかむら)の視線(しせん)を、セイラは黙殺(もくさつ)して、

「それよりも篁、これから珍(めずら)しい客が来るんだ。おまえも会っていかないか?」

 それを聞くと、篁はムッとして立ち上がった。

「もういい!ぼくだけで行ってくる!」

 帰ろうとして、部屋を出たその時――

 小山のような体躯(たいく)の男に行く手をふさがれた。

 とび色の水干(すいかん)に葡萄染(えびぞ)めの括り袴(くくりばかま)、頭には烏帽子(えぼし)をかぶっている。

「お帰りですか、右近衛(うこんえの)少将さま?お邪魔(じゃま)して申しわけありません。男が来たら、来客があっても通すようにと、セイラさまから言いつかっておりましたので……ただいま牛車(ぎっしゃ)のご用意をいたします」

 家令(かれい)の楷(かい)が、大男の背中から顔をのぞかせて言った。

「あの…セイラさま、本当にこの男を通してよろしかったので……?」

「かまわないよ。ああ、それから……」

 男を見上げ、ポカンと口を開けている篁を見て、セイラはくすくす笑いながら、

「牛車の用意はしなくていいから……おまえは下がっていてくれ」

 楷(かい)が立ち去っても、篁はまだその場を動けずにいた。

「かげ…すえ……なのか?」

 自分が見ているものが信じられないといったようすでつぶやくと、男はひげを剃(そ)ってさっぱりとした顔に笑みを刻(きざ)んだ。

「久しぶりだな、右近衛少将。またあんたに会えるとはな」

「幽霊…じゃないのか?」

「あははっ。昼間っからか?まあ、そう思うのも無理はない。俺も近いうちそうなると思って、化(ば)けて出る先も決めてたんだがな」

「どうやって、牢(ろう)から出してもらえた?」

「俺はなにもしちゃいない。そこにいる大将(たいしょう)が、いらぬおせっかいをやいてくれたんだろうさ」

 景季(かげすえ)はそう言って、セイラに感謝の眼差(まなざ)しを向けた。

「じゃあ、西の市に晒(さら)されている首は……」

「人を殺して盗みを働いていた盗賊団の首領(しゅりょう)だよ。いずれ打ち首になる男だった。同情の余地(よち)もない。そんなやつの首を、わざわざ見に行く必要はないだろ?」

 にやにやしながらそう言うセイラが、篁はだんだん小面憎(こづらにく)くなってきた。

 ――こいつぅ、なにもかもわかっていながら、黙(だま)っていたくせに。

 だが、いかにセイラとはいえ、景季を釈放(しゃくほう)させるには相当(そうとう)の代償(だいしょう)を払(はら)ったはず……。

 篁の不安を見透(みす)かしたように、セイラが声をかける。

「二人とも、そんなところに立っていないで、中に入ったらどうだ?」

 うながされて、篁は元の正面の座(ざ)に、景季は躊躇(ちゅうちょ)して入口の近くに座を占(し)めた。

「……今上(きんじょう)に、願い出たのか?」

「帰ってきてすぐ、凱旋(がいせん)の褒美(ほうび)にね」

 なんでもないことのように言ってはいるが、それはセイラにしかできなかったことだろう――と、篁は思った。

 いや…たとえセイラが願い出たとしても、せっかく捕(と)らえた反乱(はんらん)軍の首領(しゅりょう)を、みすみす釈放(しゃくほう)したりするだろうか?

「それだけで、景季の釈放を了承(りょうしょう)してくださったとは思えない。ほかに見返りは?おおせつかったことはないのか?」

「篁……」

 セイラの苦笑いの意味を察(さっ)して、篁は後ろを振り返った。

「ああ、俺のことは気にしないでくれ。それよりも、俺の命と引きかえにセイラ殿がなにを支払ったか、俺も知っておきたい」

 景季の真剣な眼差(まなざ)しを、セイラはにこやかな笑みでかわした。

「支払うもなにも、いいことづくめだよ。蔵人(くろうど)の頭(とう)になるお約束をいただき、佐保(さほ)姫との結婚話まで取り持っていただいた。おまえが気にすることはなにもない」

「結婚――!!セイラ、その話受けたのか!?」

「佐保姫はかわいらしい姫だ。私には願ってもない話だよ。ところで景季……」

 その話はこれで終わり、とばかりにセイラは景季に目を向けた。

「私は、おまえが再び反乱(はんらん)を企(くわだ)てないよう見張る監視(かんし)役でもある。だから、私の目の届くところにいてもらわなくてはならない。おまえの牢獄(ろうごく)は今日からこの邸(やしき)だ。さしあたって、楷(かい)の下で働いてもらうことになる」

「この邸で……真純(ますみ)と……?」

「そういうことだ」

 うれしそうに話すセイラを、景季はあっけにとられて見つめた。

 望むべくもないこの計(はか)らいに、じわじわと喜びがこみあげてくる。

「ありがたい、セイラ殿!これでまた…生きる、甲斐(かい)が……」

 感極(かんきわ)まって肩(かた)を震(ふる)わせている景季を見ると、これでよかったんだとセイラは思った。

 自分がいなくなった後、小さな真純が生きていくにはこの男が必要だ。

 たとえ、それが時代に干渉(かんしょう)することになったとしても、二人を見殺しにできるはずがない……。

「いいや……やっぱりだめだ!」

 ふいに、景季はブルンと首を振った。

「俺ばかりがこんないい思いをしていたら、死んだ他のやつらに申し訳が立たねえ。セイラ殿には悪いが、やっぱり俺は……」

「他の連中も、帝(みかど)の計(はか)らいで罪を減(げん)ぜられた。島流しにはなったが、みんな生きてるよ。おまえがしなければならないのは、連中の心配よりも真純を幸せにすることじゃないのか?」

「そこまで、俺たちのことを……」

 ガクッと頭を下げ両手をついた床に、ぽたぽたと熱い涙が滴(したた)り落ちる。

 この無償(むしょう)の情けにどう応(こた)えればいいのだろう。

 差し出せるものがあるとすれば……。

「セイラ殿……あんたに俺の命をやる。俺の命を懸(か)けて、必ずこの恩に報(むく)いてみせる!」

 それを聞くと、セイラは苦笑して瞳(ひとみ)を翳(かげ)らせた。

「私は、おまえたちの仲間を何人も葬(ほうむ)ってきた。戦(いくさ)の上でのこととは言え……これはその、せめてもの償(つぐな)いだ。恩(おん)に着る必要はない。その命は、おまえと真純のためにとっておけばいい」

「くっくっく…右近衛少将、あんたの大将はやっぱりおかしいぜ。はっはっは……」

 流れる涙をそのままに、景季は身を起こして笑い続けた。

「朝廷(ちょうてい)軍からすれば、俺たちはごみや虫けらのようなものなのに……くっくっく」

「知ってるよ……」

 篁はボソッとつぶやいた。

「セイラは、命を狙(ねら)っている敵にさえ情(なさ)けをかけてしまうやつだ」

「命を……?」

 景季の顔から笑みが消えた。

 もの問いたげな眼差(まなざ)しを向けられると、セイラは篁をジロッとにらんで、

「そうだ、言い忘れていたことがある。護純(もりすみ)というのはどうだろう?」

「護純……?」

「藤原景季はもういない。だから、私が新しい名を用意しておいた。藤原護純、それが今日からおまえの名だ。気に入ってくれればいいけど……」

「藤原、護純(もりすみ)……へへっ、なんだかこそばゆい感じだな。俺じゃないみたいだ」

「護純…いい名まえじゃないか。どうしてそう名づけたんだ、セイラ?」

 篁に聞かれると、セイラは景季を見つめ、心なし寂(さみ)しそうにほほ笑んだ。

「おまえが真純を護(まも)っていってくれること、私の願いはそれだけだよ」

 さっそく、家令(かれい)の楷(かい)が呼ばれた。

 セイラに、護純と名を改(あらた)めた景季の世話を頼まれると、楷はしぶしぶ承知(しょうち)した。

 人手が増えるのはうれしいが、食糧(しょくりょう)がかさむのと、大男に歩き回られて床がすり減(へ)るのがたまらなかったのだろう。

 主(あるじ)の出費を最小限におさえること、それが有能な家令の務(つと)めであり楷の生き甲斐(がい)でもあった。

「そう言えば、邸の中がやけに静かだけど、ナギと真純は?」

「ああ。二人なら、西の市に買い物に出かけましたよ。おかげで、よけいな仕事を増やされずにすみます」

 その言葉に、セイラと篁の顔がこわばった。

 護純(もりすみ)を連れて楷が下がると、篁は恐れていることを口にした。

「まさか、二人ともさらし首を見たんじゃ……!」

「もし見たとしても、ナギがついているなら大丈夫だろう。真純の力が暴走(ぼうそう)しないように、なだめてくれるはずだ。たぶん……」

 そう言ったセイラの顔も、自分の言ったことを信じているようには見えなかった。

「やっぱり、私たちも行こう!」

 重苦しい沈黙にいたたまれず、セイラが立ち上がろうとした時――
 
「セイラ……傷を癒(いや)してもらった後、オルフェウスからなにか連絡はあったか?」

「いいや」

「そうか。オルフェウスのことも気になるけど、理空(りくう)殿はまだ生きてるのかな。連れ去られてからもうずいぶんになる」

「私が……死なせはしないさ!」

 唇(くちびる)をかみしめ、部屋を出ていこうとするセイラの肩を、篁がつかんだ。

「もうひとつ聞きたいことがある。さっきの結婚の話、本当なのか?」

「本当だよ」

「綺羅(きら)さんの気持ちはどうなるんだ!?おまえだって、ほんとは綺羅さんのことを――!」

 振り向いたセイラは、苦笑(にがわら)いを浮かべて、

「綺羅姫の婚約者は、おまえだろう?」

「そんなもの…とっくに解消(かいしょう)してるよ!綺羅さんが、おまえを好きだってわかった時から……ぼくは、おまえだから綺羅さんをゆずる気になれたんだ!」

「篁……」

 注(そそ)がれてくる真剣な眼差(まなざ)しがつらすぎて、セイラは目をそむけた。

「だからと言って、おまえを泣かせるわけにはいかないだろう」

「セイラ――っ!!」

 その瞬間、篁はセイラを殴(なぐ)りつけていた――!


     


 セイラはよろめいて、三、四歩後(あと)ずさった。

 体勢(たいせい)を立て直し、ひりつく頬(ほほ)に手をあて、呆然(ぼうぜん)として篁(たかむら)を見つめる。

「あまりぼくを見くびるなよ!ぼくだって、綺羅(きら)さんと結婚したいって思ってたさ。でも、綺羅さんの心がぼくから離れてしまった以上、ぼくじゃダメなんだ!綺羅さんを笑顔にできるのは、おまえしかいない……!」

 自分の言葉が、鋭(するど)い棘(とげ)のように胸を突き刺(さ)してくる。

 わかっていたつもりでも、声に出して言ってしまうと、苦しくて息ができなくなりそうだった。

 こぶしの痛みなど、それに比べればなんでもない!

「おまえが、ずっとここにいられないことはわかってる。綺羅さんだって、それがわかっているからなにも言えずに……そのおまえが他の誰かと結婚するって知ったら、綺羅さんはきっと……」

 毎日泣いてばかりいるだろう――と言いかけて、篁はやめた。

 ――綺羅さんは、そんなにしおらしい質(たち)じゃない。綺羅さんならきっと……。

「この邸を焼いてしまうかもしれない。女行者(ぎょうじゃ)になって、相手を呪(のろ)い殺しにいくかも……」

 ぷーっと吹き出したセイラを見て、篁は顔を赤らめた。

 ――なにバカなこと言ってるんだ、ぼくは……。

「とっ…とにかく、ぼくはそんな綺羅さんを見たくないんだ!」

「確かに、綺羅姫ならそれくらいやりかねないね。邸(やしき)を焼かれるのは困るけど……」

 セイラはもう笑っていなかった。

「手遅れなんだよ。話は、もうどうにもならないところまで進んでいたんだ」

「どうにもならない、って……おまえの気持ちも聞かずにか!?」

「ああ。でも今回ばかりは、どんな条件ものむしかない。それだけ、無理を言ったのだから……」

 大人びた顔で、自分に言い聞かせるように言うと、セイラは篁に背を向けた。

「私を都に縛(しば)りつけておこうとする、帝(みかど)の計略(けいりゃく)だということはわかってる。だからと言って、私にはどうすることもできない。できれば、もう誰も巻き込みたくなかったけど、もし断ったりしたら……」

「景季(かげすえ)の釈放(しゃくほう)は、取り消し……?」

「あんなにうれしそうな顔を見たら、そんなことはできない。真純(ますみ)のためにも……」

「セイラ、ほんとにそれでいいのか!?」

 追いかけてくる篁の声に、歩き出したセイラの足は止まらなかった。


  


 真純の手から、紫色のあけびの実がこぼれ落ちた。

 パックリと開いた実の内側には、白くて甘い果肉(かにく)が詰(つ)まっている。

 邸に帰って食べるのを楽しみにしていたその実は、コロコロと転がって、通りかかった荷車の車輪につぶされた。

「どうした、真純?」

 栗(くり)が入った麻袋(あさぶくろ)を担(かつ)いで戻ってきたナギは、真純のようすがおかしいことに気づいた。

 真っ青な顔をして、ナギが近づいても振り向きもせず、前だけを見つめている。

「今通った人、捕まった海賊の首を見てきたって……市のはずれに、さらされてるって……」

「真純……」

 景季が、近く処刑(しょけい)されるだろうということは、ナギにもわかっていた。

 よりにもよって、それが今日だったことにナギは愕然(がくぜん)とし、目の前の真純に伝えるべきかどうか迷(まよ)った。

「おじさんじゃないよね、ナギ!おじさんは、また会えるって言った。死んだりしないよね!」

 すがるように見上げる真純に、かける言葉が見つからず、ナギは唇をかみしめた。

 その時――

「おい、あっちだってよ!」

「首領(しゅりょう)の景季って、どんなやつかな」

 走りすぎる男たちの会話が飛び込んでくると、真純は矢も楯(たて)もたまらず走り出していた。

「待て!真純――!」

 後を追って、ナギも駆(か)け出した。

 なにか悪いことが起こりそうな予感がする。

 真純に、景季の首を見せてはいけない。

 気が急(せ)いて仕方がないのに、真純との距離はどんどん離れていく。

「くそっ!」

 ナギは、背負(せお)っていた麻袋を放り出して真純を追った。

「いや―――っ!!」

 真純の絶叫(ぜっきょう)が、市(いち)に響(ひび)き渡った。

 まわりにいた見物人の視線(しせん)が、真純に集まる。

 だがそれよりも、地面のあちこちから突如(とつじょ)として噴(ふ)き出してきた水に、誰もが唖然(あぜん)とした。

 水の勢(いきお)いに抗(こう)しきれず、地面に亀裂(きれつ)が入り、そこから地下水が人の背丈(せたけ)よりも高く噴(ふ)き出している。

 水が噴き出す近くに店を構(かま)えていた者は、商(あきな)いの品が濡(ぬ)れないようあわてて片づけはじめた。

「真純――!」

 ナギは駆け寄って、震(ふる)えている真純を抱きしめた。

 目の前の高い台の上には、髪を茫々(ぼうぼう)にのばし、汚れと血糊(ちのり)で人相(にんそう)もわからなくなった首が、ぎょろりと天をにらんでいる。

「おじさんが……おじさんが――!」

「大丈夫だ、オレがついてる。セイラさまだって……おまえはひとりじゃない!」

 そう言ってなだめても、真純は泣きじゃくっていやいやをするばかりだった。

「いやっ!おじさんじゃなきゃ……おじさんじゃなきゃ、いや――っ!」

 とたんに、水の勢いが激しくなり、噴き出す高さは倍以上になった。

 水の噴き出し口は不規則に十数か所、いや二十か所以上あるだろうか。

 市は大混乱をきたし、人々は景季の呪(のろ)いだと叫びながら、蜘蛛(くも)の子を散らすように逃げ去った。

「ダメだ、このままだと……」

 ナギは、かつてない焦(あせ)りを感じていた。

 都が水浸(みずびた)しになってしまう前に、真純の力を止めなくては……。

「いいか、よく聞くんだ真純。真純……?」

 見ると、ナギの腕の中で、真純は気を失っていた。

「真純、起きろ!起きろったら、真純――!!」

 懸命(けんめい)に呼びかけて揺(ゆ)さぶってみるが、真純の意識は戻らない。

 それどころか、ナギが支(ささ)えていないと、ずるずるとくずおれていきそうだった。

「こうなったら、オレが――!」

 絶(た)え間なく噴き出してくる水は、すでに一面を泥土(でいど)に変えていた。

 ナギは、真純が濡(ぬ)れないよう、近くに積んであった材木の上に寝かせた。

 全身からふうっと息を吐き出し、胸の前で手のひらを合わせる。

「水の精霊よ!わが求めに応(おう)じてその力を示せ――!」

 目を閉じて、精神を集中させ研(と)ぎ澄(す)ましていく。が――

「だめだ!真純の強い感情に支配されていて、精霊を鎮(しず)められない!」

 水は、一時その勢いを弱めたかに見えたが、すぐに元の高さまで噴(ふ)き上がった。

 屈辱(くつじょく)感と真純に対する嫉妬(しっと)が、ナギの心を苦しめ濁(にご)らせていく。

「ちょうどいい。あれを操(あやつ)るいい機会だ。オレの本当の力を見せてやる!」

 ナギは、衣の下から黒い勾玉(まがたま)を取り出し、紐(ひも)を手に巻きつけて再び唱(とな)えはじめた。

「……王よ、わが求めに応じてその力を示せ――!」

 なにも変わったことは起きなかった。

 ――いや!

 変わったのはナギ自身だった。

 背丈(せたけ)がのび、ざんばら髪で覆(おお)われた額(ひたい)には、鉄か銅でできた額当(ひたいあ)てがしてある。

 いくつもの毛皮を身に纏(まと)った、威風堂々たる出(い)で立ち。

 三十代、いや二十代とも思える精悍(せいかん)な若武者の顔。

 ただ、その目は地獄を見てきた者だけが持つ、ぞっとするような凄(すご)みがあった。

 周囲には、禍々(まがまが)しい妖気(ようき)が漂(ただよ)っている。

『ほう。これはなかなかの見ものだ』

 ナギを依り代(よりしろ)として現れた男は、立ち並ぶ水の柱(はしら)を見てにっと笑った。

 それから、材木の上に横たわる真純に目を移し、

『童(わっぱ)の仕業(しわざ)にしては、大したものだ。が……』

 人気のなくなった市を傲然(ごうぜん)と見まわして、男は獰猛(どうもう)な目を光らせた。

『この程度では、都はびくともせん。吾(われ)がもっと面白(おもしろ)くしてやろう』

 男の身体にまとわりついていた妖気(ようき)が、幾筋(いくすじ)もの黒い煙(けむり)となって水の柱に向かっていく。

 噴き出している水に、蛇のようにぐるぐると巻きついたかと思うと、一瞬にして水は汚泥(おでい)色に変わった。

 頂(いただ)きには、二つの目と口のような黒々とした穴が開き、長い胴体(どうたい)を自在(じざい)にくねらせては、逃げ惑(まど)う人々を見つけ飲みこんでいく。

 そのうえ、水を蓄(たくわ)えはじめた胴体は急速にその長さを延(の)ばしていき、大路(おおじ)を飛び越えて市の外まではみ出そうとしていた。

 それはもはやただの水ではなく、西の市に根を生(は)やした異形(いぎょう)の生き物だった。

 あちこちから聞こえてくる阿鼻叫喚(あびきょうかん)の声に、男はうっとりとした目で、

『いい声だ。もっとあがき、のたうちまわるがいい。うぬらに滅(ほろ)ぼされた吾(わ)が同胞(どうほう)の無念(むねん)は、こんなものではない』

 おりしも日が陰(かげ)り、西の空から黒雲が張り出してきた。

 ここで雨に降られたら、地中にしみ込んだ大量の水が、異形の生き物をとてつもない怪物へと変えてしまうだろう。

 もはや術(すべ)なし――と思われたその時、蒼天(そうてん)に一閃(いっせん)の光が走った!


  次回へ続く・・・・・・  第六十五話へ   TOPへ