田内知

生年 天保10年
出身地 武州羽生
役職 平隊士
略歴 慶應元年5月、土方歳三の江戸での隊士募集に応じて上洛したが直後の名簿には載っていない。
事件 不明(−−;)
最期 慶應3年1月10日に切腹したことが伝えられる。

妾を郊外の八条村住まわせていたところ、近隣の水戸藩士と密通されるが、それを知らず妾宅を訪れ、押し入れに隠れていた水戸藩士に斬りつけられる。男と妾は逃走し、近所のものが隊に通報したところ、屯所へ連れ帰られ切腹を命じられた。
墓所 光縁寺
一言メモ 田内の介錯に谷三十郎が失敗したと、子母澤の作品に書かれていまして、司馬遼太郎の「新選組血風録」にも用いられていますが、谷は田内よりも早く死んでいるので、フィクションです(^^;)

光縁寺・・・京都市下京区四条大宮西

光縁寺の墓碑。

一番左に、「田内知」と
彫られています。

光縁寺新撰組隊士墓所全景

一番左が、
合葬墓です。