谷昌武

生年 嘉永元年5月20日
出身地 備中高梁
役職 平同志→見廻組並
略歴 谷三治郎の3男として生まれる。
文久3年7月以降に兄たちと入隊したものと思われ、元治元年の池田屋事変にも参加。この直前に近藤の養子「近藤周平」となった模様。

慶應3年6月の幕臣取り立てでは、見廻組並になるが名簿では「谷周平」となっており、この間に養子縁組が解消されていたことがわかる。

慶應4年1月の鳥羽伏見の戦いを経て、江戸へ帰還するがほどなく脱走。
明治5年には大阪府の巡査となり、その後山陽鉄道の職員となる。
事件 池田屋事件
最期 明治34年12月2日に死亡。
墓所 本伝寺
一言メモ 墓碑には「谷昌武」と書かれている。兄たちがいなくなった新撰組の中で彼は黙々と隊務をつとめていたのだろうか・・・。「女のためにあんなふうになってしまって・・・」という証言もあるが、具体的にどうなったかは不明。

本伝寺・・・大阪市北区兎我野町

谷3兄弟の墓碑です。

兄の三十郎、万太郎もここに合葬されています。

本伝寺は、JR大阪駅、阪急梅田駅から徒歩15分ほどのところのラブホテルや風俗店が乱立しているど真ん中にあります。
下段一番奥に、「谷昌武」とあります。

下段右から2番目には
「谷三十郎」の名前が刻まれています。