田中伊織

生年 不明
出身地 不明
役職 不明
略歴 文久3年6月から7月にかけての隊士名簿に名前を残す。
事件 八月十八日の政変
最期 文久3年9月13日(23日とも)に、近藤の意に反するところから、詰め腹を斬らされたとされる。
墓所 壬生寺
一言メモ 永倉の「浪士文久報国記事」が完全に正しければ、田中伊織と新見錦は、別人ということになるが、やはり永倉の手記の日付が間違っている可能性が高いと思われる。ということは、新見錦と同一人物かな・・・・。

新見錦

生年 天保7年
出身地 水戸
役職 局長、副長
略歴 神道無念流の免許皆伝。
文久3年2月、浪士組に加わり三番組小頭となって上洛したが、浪士組本隊が江戸への帰還を決めると、3月10日には近藤、芹沢らに同調し、京都残留を希望。12日には会津藩お預の浪士組の一員となり、15日には会津藩邸を訪問し、22日には嘆願書にも連名している。同年4月には大坂の平野屋五兵衛方での金策に名を連ね、芹沢、近藤とともに隊長格にあったが、副長に降格になった形跡がある。
事件 八月十八日の政変(?)
最期 貸し座敷の「山緒」で、近藤らに詰問され、切腹、と伝わる。
墓所 なし。
一言メモ 田中と同一人物かも・・・ということで、新見の名簿も作りました。なお、「親見」という記録もあるので「しんみにしき」と発音するのが正しいそうです。

壬生寺・・・京都市中京区

田中伊織=新見錦?

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