田村銀之助

生年 安政3年8月1日
出身地 陸奥岩城平
役職 両長召抱人
略歴 田村半右衛門の5男として生まれる。隊士の田村一郎、田村録四郎の弟。
慶應3年6月以降に入隊する。翌慶應4年の鳥羽伏見の戦いを経て江戸へ帰還する。
その後蝦夷へ渡航し、箱館では榎本武揚附となっていた。また経緯不明ながらも陸軍隊長春日左衛門の養子になっていた、という。
降伏後は弘前の薬王院に収容されるも、年少であったために外出などは許された。
放免後は黒田清隆の世話になり、西南戦争にも参加。のちに警察にも奉職した。
事件 鳥羽伏見の戦い、箱館戦争、西南戦争
最期 大正3年8月20日、65歳で死亡。
墓所 智光寺
一言メモ 田村が、「春日左衛門の養子」となっている話が
ありますが、これも正式に養子になっているかどうかも不明なんだそうです。
史談会において、田村が春日のことを「養父」と
呼んでいることから来ているとか。

智光寺・・・東京都文京区大塚3−28−7

智光寺の田村の墓碑。

右側面に、彼の戒名が
刻まれています。