清水吾一

生年 天保7年
出身地 武州埼玉郡羽生村
役職 なし
略歴 酒造業清水弥右衛門の5男として生まれる。

母が根岸友山の妹で、吾一は甥にあたる。文久3年に浪士組に参加し上洛。浪士組本隊の江戸帰還が決定すると、3月10には京都残留を希望し、12日に会津藩御預浪士組の一員となり、15日には会津藩邸を訪問し、22日提出の板倉勝静への建白書にも連名している。

同月下旬に根岸とともに京都を脱して江戸に戻り、新徴組に加入する。慶應4年、新徴組預の庄内藩の帰国に伴い妻子とともに庄内に入り戊辰戦争を戦う。
事件 戊辰戦争
最期 明治5年5月27日に病死。享年37歳。
墓所 総穏寺
一言メモ 新徴組に入り、庄内藩の帰国とともに・・・ということは、当然沖田林太郎と知り合いの可能性はありますよね?

総穏寺・・・山形県鶴岡市陽光町5−1

総穏寺の
清水五一の墓碑。

見つけるのに、
一時間以上かかった
(^^;)。
墓碑全景。



「そうおんじ」と読みます。