生年 | 天保9年2月2日 |
出身地 | 武州八王子 |
役職 | 局長附人数、隊長附(会津戦争時)、第二分隊 嚮同役(箱館戦争時) |
略歴 | 初名は、峯吉。中島又吉の長男として生まれる。 天然理心流を使い、元治元年に近藤勇が東下した際に入隊を申し出たが、近国の状況視察を命じられ、身分を隠して活動していたという。 慶應3年10月に土方歳三が、江戸で隊士を募集した際に正式に入隊してものと思われる。 慶應4年、鳥羽伏見の戦いを経て、江戸へ帰還。五兵衛新田に駐屯し、近藤の投降後は、土方、島田らに従い、旧幕軍に参加。宇都宮戦争にも参加。8月に会津の母成峠での戦いに敗れた後に蝦夷へ渡航。 5月15日に弁天台場で降伏。 「戦友絵姿」「中島登覚書」を書いた。 維新後は、静岡県の浜松市に居を構え、洋蘭の栽培、鉄砲店の経営、など事業家として成功した。 |
事件 | 鳥羽伏見の戦い、甲州戦争、宇都宮戦争、会津戦争、箱館戦争 |
最期 | 明治20年4月2日没。享年50歳。 |
墓所 | 天林寺 |
一言メモ | 「中島銃砲火薬店」は、あと継ぎがいない・・・ので閉店するという噂があります(−−;) なお、墓所の天林寺には「無断駐車罰金5000円」という紙が大量に貼られています。みなさん、気をつけてね(^^;) |
天林寺・・・静岡県浜松市下池川27−1 |
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天林寺の中島の墓碑。 左下には、中島登の 略歴が書かれた石板が あります。 |
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中島銃砲店・・・浜松市紺屋町 |
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中島が始めた銃砲店です。 |