毛内監物(毛内有之助)

生年 天保6年2月28日
出身地 津軽藩
役職 文学師範
略歴 有之助。津軽藩士毛内有右衛門祐胤の次男として生まれ、文久元年3月に脱藩する。

江戸で学問教授を行ううちに伊東甲子太郎と出会い、元治元年10月の近藤勇による隊士募集に応じて伊東らと上洛するが、同年12月の編成には名前がない。

慶應元年夏の編成で文学師範。慶應3年3月に御陵衛士として伊東らと分離。
事件 油小路の変
最期 慶應3年11月18日、伊東が油小路で殺害されると、同志と現場に急行。待ち伏せていた新撰組との戦闘で斬殺される。
墓所 戒光寺(光縁寺に埋葬、後に改葬。)
一言メモ 毛内の百人芸と言われ、どの武芸、学問も人並以上には出来たそうです。

戒光寺・・・京都市東山区泉涌山内町29

「毛内監物平良胤」と
刻まれた墓碑。
戒光寺墓地の
御陵衛士の墓所。