生年 | 嘉永5年 |
出身地 | ??? |
役職 | 差図役?小隊司令官? |
略歴 | 小笠原胖之助。 唐津藩十代藩主小笠原長泰の4男として生まれる。 慶應4年5月の彰義隊の戦いに参戦して、敗れた後、三河島まで輪王寺宮を警護したのち、旧幕艦長鯨に乗船して宮とともに会津に入る。 8月に新政府軍が会津に進攻してきたため、上山から白石、さらに仙台へと向かい、新撰組には9月中旬に入隊する。 |
事件 | 箱館戦争 |
最期 | 蝦夷渡航直後の明治元年10月24日、七重村の戦いに銃弾を浴びて討死し、遺体は同村の宝林庵に埋葬され、現宝林寺の過去帳にも記載がある。 |
墓所 | 近松寺 |
一言メモ | 三好胖の墓が発見されたのは平成7年のことなんです。それを発見なさった方は「うれしいというよりもショックだった」と語っています。なにが、そんなにショックだったのか・・・唐津に行けばわかります(笑)。 |
近松寺・・・佐賀県唐津市西寺町511 |
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三好胖の墓碑。 近松寺内の小笠原記念館の裏側にあります。 |
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この近松寺(きんしょうじ)は、なんと近松門左衛門の墓もあるんです。 |