松本喜次郎

生年 弘化3年
出身地 和泉岸和田
役職 平隊士→見廻組並、
略歴 喜治郎、喜三郎、喜四郎とも。

文久3年秋以降に入隊し、池田屋事変にも参戦。慶應4年1月の鳥羽伏見の戦いを経て、甲陽鎮撫隊敗走後に永倉、原田とともに靖共隊を結成し、歩兵取締役になる。その後、北関東から会津まで転戦したものと思われるが、時期不明ながらも新撰組に復帰。
事件 池田屋事件、鳥羽伏見の戦い、甲州戦争、会津戦争
最期 白河の戦いで傷ついたらしく、墓所である正福寺の竹薮の中で倒れていて、傷の手当ての甲斐なくその地で死亡。
墓所 正福寺
一言メモ 正福寺って駅から本当に遠いんですよね・・・。松本は意外に無名ですが、池田屋にも参戦している古参隊士なんです。

正福寺・・・福島県湖南町三代

「喜見道清居士」と彫られた
松本喜次郎の墓碑。

正福寺の墓地に看板あります。
墓碑の左側面です。

「新選組士」と刻まれて
いるのが御覧になれると
思います。

明治維新130年を
記念して建てられた碑。

松本の墓碑の前に建てられています。

遠くに見える赤い屋根は、
正福寺の本堂。