河合耆三郎

生年 天保9年
出身地 播州高砂
役職 勘定方・小荷駄雑具方
略歴 儀三郎とも。源義輝、源吉輝。播州高砂の米問屋河合儀平の長男として生まれ、文久3年6月ごろに入隊する。
事件 池田屋事件
最期 慶應2年2月12日、隊費不算の罪で切腹した。斬首とも伝えられる。近藤が御幸太夫を見受けする際の代金500両に50両が不足していたので不算がばれたとも伝わるが、真偽不明。
墓所 壬生寺・光縁寺

壬生寺・・・京都市中京区仏光寺通北入

壬生寺の河合耆三郎の墓。

これは縁者の方が建てた墓碑。

今は壬生塚にあります。

名は「耆三郎義輝」。

光縁寺・・・京都市下京区四条大宮西

光縁寺にある河合の墓。

名は「耆三郎吉輝」。